第5話 着替え
水鏡市内の夜道を走る車内は、葬式よりも重苦しい空気に包まれていた。
病院からの帰り道。俺と神楽舞衣は、彼女の父親である厳さんが運転する車の後部座席に押し込まれ、太ももから肩にかけてがピッタリと密着した状態で揺られていた。
そして到着したのは、立派な門構えを持つ純和風の家屋――神楽家だった。事態の隠蔽のため、大人たちが下した決断である「神楽家での同居生活」がいよいよ始まるのだ。
「おい、久慈浦君」
玄関をくぐるなり、厳さんが地を這うような低い声で俺を睨みつけた。
「病院でも言ったが、君が家にいる間、娘と君が泊まる部屋のドアは常に全開にしておきなさい!夜中に一ミリでも不審な動きをしたら……即座に武力行使に出るからな!」
「は、はい……」
現役の警察官である厳さんからの、冗談抜きで本気で殺されそうな眼差し。俺はただ、引きつった顔で頷くしかなかった。こんな状況で不審な動きなんてできるわけがないだろう。
「もう、お父さんたら。そんなに睨んだら久慈浦くんが可哀想じゃない」
ピリピリとした空気を一瞬で和ませるように話へ割って入ったのは、ふんわりとした柔らかい笑顔を浮かべた神楽の母親、志乃さんだった。
「急いで買ってきたから、サイズが合うか分からないけど……はい、これ」
客間に通された俺たちに、志乃さんから手渡された紙袋。その中身を見て、俺と神楽は同時に言葉を失った。
入っていたのは、サイドが紐仕様のパンツや、マジックテープ式の介護用下着。さらに、部屋着としてサイドがスナップボタンやマジックテープで全開になる「医療用・介護用のリハビリズボン」を買ってきていた。
「お風呂にどうしても入らなければならないでしょう? 水着を着て一緒に入るしかないと思って、それも買ってきたわ」
そう言って追加で出されたのは、布面積の極端に少ない舞衣用の紐ビキニ、そして俺用の紐パンツという狂気のセットだった。
「……嘘だろ」
「お母さん、本気なの……? こんなの、いくらなんでも」
「だって、そうしないと脱ぎ着できないじゃない。ほら、まずは今の服を着替えないと。ハサミ置いておくわね」
パタンと襖が閉められ、俺たちは青ざめた顔を見合わせた。厳さんの言いつけ通り、襖は完全には閉めきれず少し開いている。確かに、片足だけは今着ている体操服のズボン、下着を脱ぎ着することが物理的に不可能だ。
やるしかない。
俺たちは無言のまま、ハサミを見つめた。
「……お前のか、俺のか、どっちから切る?」
「……私からやる。絶対にこっち見ないでよ」
俺は顔を背けると、舞衣が体操服のズボンをハサミで切り開く。ジョキ、ジョキという布を切る音だけが、静かな和室に響く。
同級生の女子と、互いの服を切り裂きながら着替えるという地獄。あまりの非日常と羞恥心に、俺の精神はすでにゴリゴリと削られ始めていた。
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着替えを終えて客間でぐったりしていると、襖の向こうから志乃さんの穏やかな声が響いた。
「二人とも、ご飯ができたわよー。しっかり食べて元気を出しなさい」
促されるままに、俺と神楽は二人三脚の要領でダイニングへと移動した。だが、食卓に着こうとしたところで、さっそく物理的な壁にぶち当たった。
足首が数センチの紐で繋がっている以上、座卓を挟んで向かい合って座ることなど到底不可能だ。結果として、俺たちは横並びでぴったりと密着して座る羽目になった。薄い服越しに伝わる神楽の太ももの柔らかさと体温に、着替えで削られたはずの精神がまた別のベクトルで緊張し始める。
しかも、俺たちの正面には、腕を組んで地獄の閻魔大王のような威圧感を放つ父親の厳さんが鎮座している。視線だけで殺されそうだ。
「はい、お待たせ。今夜は特製カレーよ」
志乃さんが笑顔で運んできた皿からは、信じられないほど食欲をそそるスパイスの芳醇な香りが立ち上っていた。大きめの具材をごろごろと煮込んだ、見るからに美味そうなザ・家庭のカレーだ。
「……いただきます」
気まずい空気の中、俺たちはスプーンを手にとった。しかし、一口目を口に運ぼうとした瞬間、ここで信じられないほど致命的な問題が発覚する。
「っ……あ痛」
「あ、いっ……って、おい」
俺の左肘と、神楽の右肘が、カツンと激しく衝突したのだ。
神楽は右利き、そして俺は左利き。つまり、お互いにスプーンを持つ側の腕が内側で隣り合う形になってしまっていた。食べようとして腕を動かすたびに、どうしても肘と肘がガツガツとぶつかり合うという致命的な障害が発覚してしまった。




