第34話 絶対条件
市立図書館の前で合流した俺たちは、とりあえず落ち着いて話ができる場所を探すことにした。
図書館から少し歩いた先にある、アンティーク調の落ち着いたカフェ。足首が紐で繋がっている俺たちは、周囲の目を気にしながらも、奥のボックス席へと滑り込んだ。
対面にはタブレットを抱えた星野まりもが座り、俺と神楽舞衣は隣同士で密着するように腰を下ろした。
「さて、調査報告と行きたいところですが……その前に、注文を済ませてしまいましょう」
星野がメニュー表を開きながら言った。
「そうね……」
舞衣もメニューを覗き込む。休日の私服姿ということもあってか、彼女の視線は色鮮やかなフルーツパフェのページに釘付けになっていた。だが、すぐに眉をひそめ、小さくため息をつく。
「……やっぱり、私はコーヒーだけでいいわ。もうすぐインターハイ予選だし、カロリー制限しないと……」
ストイックな彼女らしい葛藤だ。だが、今日はせっかく志乃さんが気を利かせてくれた「息抜き」の日だ。プレッシャーで押し潰されそうになっていたこいつには、甘いものでも食べてリラックスしてほしい。
「なあ、舞衣。せっかく店に入ったんだし、食いたいもん頼めよ」
「でも……」
「もしカロリーが気になるなら、俺が半分食ってやるから好きなの頼めって。な?」
俺が自然に提案すると、舞衣はパッと顔を輝かせた。
「ほ、本当? じゃあ……この季節のフルーツパフェをお願いしようかしら。駿、パフェは好き?」
「俺は甘いの全般好きだから、生クリームの方を多めに引き受けるよ。フルーツはお前が食え」
「ありがとう、駿!」
舞衣は花が綻ぶような笑顔を見せ、俺たちはお互いの好みを把握した上で、完璧なシェアの計画を立てていた。
「…………」
ふと気づくと、対面に座る星野が、タブレットを持ったまま完全に無表情で俺たちを見つめていた。
「あ、あの……星野?」
「……早く本題に入っていいですか。調査のために閉架書庫の埃にまみれていた私に対する、なんという仕打ちでしょう。すっかり出来上がった夫婦のようなやり取りを見せつけられて、私の精神力が削られています」
「「ふ、夫婦!?」」
俺と舞衣は弾かれたように顔を見合わせ、一気に顔を赤くして距離を取ろうとしたが、足首の紐が突っ張ってそれ以上は離れられなかった。
「い、いや、これはただのカロリー計算であって……!」
「そ、そうよ! アスリートとしての体調管理よ!」
必死に弁解する俺たちを無視して、星野は冷ややかにタブレットの画面をスワイプした。
「言い訳は結構です。本題に入りますよ」
星野の声が一段低くなり、オカルト研究会部長としての真剣な表情に変わった。俺たちもゴクリと唾を飲み込み、居住まいを正す。
「まず、お二人の足を繋いでいる『例の赤紐』ですが……閉架書庫の古い郷土奇譚集『水底の恋紡ぎ』に、その記録が残っていました」
星野は画面に、古い文献のスキャン画像を表示した。
「この呪いの本当の名前……真の名称は、『比翼の縛』と言います」
「比翼の縛……」
舞衣がそのおどろおどろしい名前を反芻する。
「起源は、大正時代に遡ります。この学校の前身である『水鏡旧制中学校』と『水鏡高等女学校』。その両校の生徒の間にあった、凄惨な心中事件が発端です」
「心中事件……」
俺の背筋に、冷たいものが走った。
「身分違いの理由から引き裂かれた二人の生徒が、『来世では決して離れないように』と、裏山の神社の古い注連縄を解いて、互いの足をきつく縛り……水鏡湖へ身を投げたんです」
星野の淡々とした声が、カフェの喧騒から切り離されたように響く。
「『好きな人と結ばれたい、絶対に離れたくない』……その強烈な執念が注連縄に宿り、呪いとなりました。文献にはこう記されています。『足を繋いだ布は、二人の執念により刃を当てても切れず、火を当てても燃えなかった』と」
「……だから、消防の油圧カッターでも切れなかったのか」
俺は足元に視線を落とした。今も俺たちの足首を繋いでいるこの赤い紐は、大正時代の若者たちの、どうしようもない絶望と愛執の塊だったんだな。
「でも、星野さん」
舞衣が不安そうに口を挟んだ。
「以前、神社で雨宿りをした時、この紐は目に見えて緩んだのよ。私と駿が……その、お互いのことを少し理解し合えた時に。だから、このまま心が通じ合えば、自然と解けるんじゃ……」
舞衣の顔がほんのりと赤くなる。雨宿りでの、俺の過去の吐露と、それを受け入れてくれた彼女の優しい言葉。確かにあの時、紐は十センチほど緩んだ。
だが、星野は残酷に首を振った。
「それが、違うんです。心が通じ合って紐が緩んだのは、あくまで過程に過ぎません。解呪には、避けられない『絶対条件』があるんです」
星野はタブレットを操作し、今度は古い手毬歌の歌詞を表示させた。
「ネットのオカルトスレッドのログと、文献の記述を照らし合わせて、この手毬歌の完全版を復元しました。聞いてください」
星野が、ボソボソとした声でその歌詞を読み上げる。
『ふたり結んで三脚で
離れたくとも離れられぬ
刃を通すな火を貸すな
まことの心が交わるまでは
死出の山へと逆戻り』
「問題は、この『まことの心が交わるまでは』という一節です」
星野は俺と舞衣を交互に見つめた。
「神社跡地の元宮司の老人が言っていた言葉を覚えていますか?『上辺だけの恋事や、嘘偽りの気持ちで触れれば、紐は己の肉を食い破る』と」
「ああ……中庭で義務感で『あーん』をした時、足がちぎれるかと思うくらい痛かった……」
俺が顔をしかめると、星野は頷いた。
「つまり、この紐は『偽りの関係』を決して許さないんです。お二人は今、互いを支え合う良き相棒、あるいはそれ以上の関係になりつつある。だから紐は緩んだ。……ですが、完全に解き放つためには、中途半端な関係ではダメなんです」
星野は、宣告するように言った。
「下心や義務感、あるいは相棒としての信頼でも足りません。お二人が『本物の恋人』になり……『心からの本物のキス』をすること。それこそが、比翼の縛を解くための絶対条件なのです!」
「…………え?」
「…………は?」
俺と舞衣の思考は、完全に停止した。
数秒の空白の後、俺たちの脳がその言葉の意味を処理し終えた瞬間。
「「キ、キスぅっ!?」」
カフェの店内に、俺と舞衣の素っ頓狂な大声が響き渡った。
周囲の客たちがビクッとして、一斉にこちらへ非難と好奇の視線を向けてくる。
だが、そんなものを気にしている余裕はなかった。
「ほ、本物の恋人って!? 心からのキスって、お前、それ本気で言ってんのか!? 白雪姫じゃあるまいし」
俺はパニックになりながら机に身を乗り出した。
「そ、そんなの……っ! 私と駿が、恋人同士になって、キ、キ……キッ!?」
舞衣に至っては、顔を熟れたイチゴのように真っ赤にして、「キス」という単語すらまともに発音できず、両手で顔を覆ってブルブルと震え始めてしまった。
息抜きのはずの休日の外出は、最悪の、いや、ある意味で最大の問題を作り出してしまった。




