第3話 絶望的な診察
手に負えないとわかった先生は、外部へ救助を依頼した。
サイレンのけたたましい音と共に高校へ乗り込んできたのは、真っ赤な消防の救助工作車だった。
「まさか、ここまで大ごとになるとはな……」
「……仕方ないでしょ。本当に、何をやっても解けないんだから」
隣で青ざめた顔をしている神楽が、保健室の椅子の上で震える声を上げて答える。
俺たちの足首を繋ぐ、薄汚れた赤い紐。ハサミやカッターの刃を当てても滑るだけで一切傷がつかないという異常事態に、高梨先生が半狂乱になって消防を呼んでしまったのだ。
「いいかい君たち、これから油圧式カッターという強力な機材を使う」
屈強なレスキュー隊員が、無骨で巨大な機材を抱えて俺たちの足元に屈み込んだ。
「車の分厚いドアですらこじ開ける代物だ。少し大きな音がするが、絶対に動かないように」
「……はい」
神楽が緊張で息を呑むのが、隣にいる俺にもはっきりと伝わってきた。密着しているせいで、彼女の少し高めの体温も、強張った筋肉の動きも、嫌というほどダイレクトに伝わってくる。
油圧カッターの鈍色の分厚い刃が、赤い紐を両側からゆっくりと挟み込んだ。
「よし、少しずつ圧をかけるぞ。出力上げろ!」
隊員の合図と共に、ウィィィンという重低音が響いた。機材の出力が上がっていく。
――その瞬間だった。
「がああああっ!!??」
「きゃああああっ!!」
俺と神楽の絶叫が、校舎内に重なって響き渡った。
紐が切れる音なんてしなかった。カッターが紐を締め付けた途端、俺たちの足の神経そのものを万力で直接すり潰されるような、目の前が真っ白になるほどの爆発的な激痛が走ったのだ。
「い、痛ぇっ! やめろ、止めてくれっ!!」
「痛い、痛いっ……足が、ちぎれるっ!!」
俺はたまらず叫び、神楽は痛みに耐えかねて俺の腕にしがみつくように崩れ落ちた。
「おい、ストップだ! 圧入を止めろ、作業中止!!」
血相を変えた隊員が慌てて機材を離す。圧が消えると同時に、嘘のように激痛はスーッと引いていった。
俺と神楽は背もたれへ倒れ込み、ただひたすらに荒い息を繰り返すしかなかった。強力な機材で紐を切ろうとしても、そのダメージは紐ではなく俺たちの肉体側にフィードバックされる。
物理的な破壊は不可能。これがとんでもない「異常事態」であることを、俺たちは骨の髄まで思い知らされた。
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その後、俺たちは救急車で市内の総合病院へと担ぎ込まれた。
ストレッチャーに乗る時も、診察台に上がる時も、常に二人三脚状態だ。羞恥心や気まずさを通り越して、ただただ面倒くさい。だが、そんな文句すら吹き飛ぶような現実が診察室で待っていた。
「……なんだ、これ」
白衣を着た中年の医師が、モニターに映し出された画像を見て絶句した。
俺と神楽は並んでパイプ椅子に座り、そのモニターを見上げる。迅速に状態を確認するため、まずは手早くレントゲン撮影が行われたのだが――その結果は、素人の俺が見ても明らかに異様だった。
「先生……私たちの足、どうなっているんですか?」
神楽が、絞り出すような声で尋ねる。
モニターに映る俺たちの足首の骨。そこには本来写るはずのない「光が歪んだような黒いモヤ」が、骨と神経に深く絡みついていた。
「……紐の部分が、異常な黒い影として写っている。物理的に縛られているのではなく、未知の力で君たちの肉体と同化しているような状態だ」
「同化、って……じゃあ、どうすればこの紐は取れるんですか?」
俺が身を乗り出して聞くと、医師は重苦しい沈黙の後、ゆっくりと首を振った。
「……現状、これを安全に『解く』方法は見当たらない。どうしても離れたいというのなら……君たちの足を、切断手術するしかない」
「っ……!」
神楽が短く息を呑んだ。
「足を、切断……?」
彼女の声が震えている。弓道で全国を目指す彼女にとって、足踏みのスタンスをとるための両足は命と同じだ。それを切り落とす。そんな宣告、絶望以外の何物でもない。
「いやいや冗談でしょ! たかが紐ですよ!? それを外すために足を切断するなんて、やりすぎでしょ!」
俺が医師に食ってかかった、まさにその時だった。
バンッ!!
診察室のドアが乱暴に開け放たれた。
「舞衣っ!!」
血相を変えて飛び込んできたのは、大きな体格に鋭い眼光を持った男性――神楽の父親だった。その後ろには、顔が青ざめたしとやかな雰囲気の母親と、ヨレヨレのスーツを着て息を切らしている俺の親父の姿もあった。
「お、親父……」
「駿!お前、病院に運び込まれたって聞いて!? 一体どうなってるんだ!」
親父が涙目で俺に駆け寄ろうとするが、それよりも先に、神楽の父親がずかずかと踏み込んできた。その男から放たれる威圧感は、ただでさえ息が詰まりそうな診察室の空気をさらに重くした。
「先生、娘の足はどうなってるんです! そ、そのおかしな紐が外れないってどういうことなんですか!?」
「……それが、お父様。今ちょうどお話ししていたところなのですが」
医師が口ごもりながら、レントゲン写真の異様な結果と「切断手術しかない」という絶望的な可能性について説明を再開する。
話が進むにつれ、神楽の父親の顔に濃い影が落ち、親父は顔面を蒼白にして「そんな……」と崩れ落ちそうになった。
「足を、切断する……? 舞衣の足を、だと……?」
神楽の父親の怒りと混乱が入り混じった声が響く。
張り詰めた空気。大人たちの絶望と混乱。そして、逃げ場のない重すぎる宣告。
その時だった。
ギュッ……。
俺の制服の裾が、弱々しく引っ張られた。
見下ろすと、隣に座る神楽が、顔を真っ青にして俯いていた。常にピンと伸びていた彼女の美しい背筋は見る影もなく丸まり、気丈なはずの彼女が、無意識に震える手で俺の体操服の裾を強く握りしめていたのだ。
「……っ」
妥協を許さず、俺みたいな無気力な人間を冷たい目で見下していた高嶺の花。そんな彼女が、今、完全に心が折れかけて、一番近くにいる俺に縋り付いている。
気付けば、俺は動いていた。
「……あの!」
パイプ椅子から立ち上がり、震える神楽を庇うように、俺は大人たちの前に立った。
「駿……?」
親父が驚いたように目を丸くする。神楽の父親も、鋭い視線を俺に向けた。
「大声出さないでくれますか。……彼女が、怯えてるんで」
自分でも驚くほど、冷静で低い声が出た。
どうせ何をやったって無駄だ。俺はそう思って生きてきたはずだった。でも、彼女の震える手を見過ごせるほど、俺は完全に腐りきってはいなかったらしい。




