第29話 崩れた連携
「大河! 葵!」
「やめなさい、あなたたち!」
俺と舞衣は、口論する二人の間に滑り込むようにして割って入り、完璧なブレーキングでピタリと静止した。
ズザァァッ!と上履きが床に擦れる音が響く。
あまりにも見事な連携と急ブレーキに、大河と葵は目を丸くして硬直した。
「しゅ、駿……? 神楽さん……?」
「ま、舞衣先輩……?」
二人はぽかんと口を開けたまま、俺たちの顔を交互に見比べ、やがてその視線を下へと下ろしていった。
俺たちの、ガッチリと指を絡ませ合い、止まった後も無意識に手を離さないでいるその繋がれた手に。
「……」
「……」
数秒の、完全な沈黙。
やがて大河はニヤリと笑い、言った。
「今の息ぴったりの二人を見たか? この固い絆! 駿が神楽さんの足手まといになってるわけねえだろ!」
「た、確かに……」
葵は納得してしまい、勝手にいらぬ心配をした自分を恥じていた。
「そんなに、しっかりと手を……。舞衣先輩、こんな無気力男と、そこまで心を一つに……っ!」
葵はなぜか感動したように涙ぐみ、敗北を認めるように膝から崩れ落ちた。
「……は?」
俺と舞衣は、その言葉でようやく自分たちの現状を理解した。
手、繋いでる。
しかも、指と指を深く絡ませ合う、恋人繋ぎで。
「っっっ!!!!」
俺と舞衣は、弾かれたようにバッと手を離した。
顔面が一瞬にして沸騰し、耳の先まで真っ赤に染まるのが自分でも分かる。隣の舞衣も、今まで見たことがないほど顔を真っ赤にして、ワナワナと唇を震わせている。
「ち、違うわよ葵! これは走る時にバランスを取るためで、物理的な措置であって他意は……!」
「そ、そうだぞ大河! ただの転倒防止だ! 絆とかそういうんじゃねえから!」
俺たちは裏返った声で必死に弁解したが、大河は「はいはい、仲良しなこった!」とニヤニヤ笑い、葵は「先輩が幸せなら、私はそれで……」とハンカチを噛み締めていた。
完全に、墓穴を掘った瞬間だった。
+++
放課後。夕日が差し込む弓道場。
いつものように、俺は舞衣の背後に立ち、彼女の足踏みのスタンスに合わせて自分の重心を落としていた。
だが。
……クソ、集中できねえ。
俺の左足は舞衣の右足に寄り添っているはずなのに、どうにもしっくりこない。
昼間の廊下で、無意識に強く握り締めてしまった彼女の手の感触。少し汗ばんだ熱と、硬いマメの感触が、俺の右手に未だに焼き付いて離れないのだ。
それは、舞衣も同じだったらしい。
ミシッ、と弓を押し開く彼女の背中が、普段の氷のように張り詰めたものではなく、どこかフワフワと浮き足立っているのが伝わってくる。
「……っ、駿。もう少し、右に体重かけて」
舞衣の声が、微かに震えている。
「お、お前の方こそ、踏み込みが浅いぞ。前傾しすぎだ」
俺も動揺を隠すために、少しぶっきらぼうに言い返してしまう。
昨日まで、あんなに息が合い、完璧な阿吽の呼吸で支え合っていたのに。
「手繋ぎ」という強烈なスキンシップの余韻が、お互いの存在を過剰に意識させ、かえって連携をギクシャクさせてしまっていた。
パーンッ!
弦音と共に放たれた矢は、的の端を掠めて外れた。
「……外した」
舞衣が小さく息を吐き、弓を下ろす。
7月初旬のインターハイ予選が、もう目前に迫っている。絶対に負けられない戦い。その強烈なプレッシャーの中で、俺という不純物が、彼女の心を大きく揺さぶってしまっているのだ。
「……悪い。俺の支えがブレた」
「違うわ……私の集中力が足りなかっただけ」
舞衣は俺の方を振り向かず、夕日を浴びる的をじっと見つめていた。その横顔が、焦りと、名前のつけられない感情で揺れているのが分かった。
紐はまだ繋がっている。
物理的な距離よりも、どうしようもなく近づいてしまった心の距離に、俺たちは完全に戸惑っていた。
恋心という名の新しい重圧が、インターハイ予選を前にした俺たちの前に、静かに、けれど確実に立ち塞がろうとしていた。
+++
六月下旬。
梅雨の湿気を帯びた重たい空気が、水鏡高校の校舎を包み込んでいた。
昼休み、俺と神楽舞衣が渡り廊下を歩いていると、ぬっと柱の陰から星野まりもが現れた。相変わらずタブレットを抱え、重たいボブヘアの奥から探究心に満ちた目をギラつかせている。
「久慈浦君、神楽さん。調査の途中経過報告です」
「おう。呪いを解く条件、分かったのか?」
俺が身を乗り出すと、星野は少しだけ悔しそうに首を振った。
「いえ……最近のあなた方の仲良しな姿と、その緩んでいる紐を見るに、解呪の条件は親密度によるものだということはほぼ間違えないのですが、それ以上のもっと極限の精神的同調が必要だと思われます。ですが、ネットや一般の郷土資料だけでは、これ以上詳しい手がかりが掴めません」
「じゃあ、お手上げってことか?」
「オカルト研究会の意地にかけて、それはありません」
星野はタブレットを胸に抱き直し、ふふっと不敵な笑みを浮かべた。
「実は、市立図書館に何度も申請を出して……次の日曜日、ついに『閉架書庫』への入室許可が下りたんです。あそこには大正時代の心中事件や、この『紐』について書かれた原本が眠っているはずです。私が必ず、真実を突き止めてきます」
「閉架書庫……頼むよ。今は星野だけが頼りなんだ」
星野が残した謎と、迫り来るタイムリミット。
彼女の頼もしい言葉に希望を抱く一方で、俺たちの足首を縛る忌まわしい赤い紐は、依然として重く、そして確実に俺たちの日常を拘束し続けていた。




