第25話 雨宿り
下校中、空を覆っていた分厚い雲からポツリと冷たい水滴が落ちてきたかと思うと、それはあっという間に視界を白く染めるほどの土砂降りの雨へと変わった。
「うわっ、最悪だ!いきなり降ってきやがった!」
俺は慌てて鞄から折り畳み傘を取り出し、バサッと広げた。
「神楽、入れ!」
「え、あ、ありがとう……!」
俺たちは咄嗟に一つの傘に入ったものの、雨足は異常に強く、横殴りの風まで吹きつけている。傘を盾にしても、足元から容赦なく雨粒が跳ね返ってくる。
「ダメだ、これじゃ進めない!あそこの神社の軒下まで走るぞ!」
「分かったわ!」
足首が赤い紐で繋がれているため、普通に走って逃げることはできない。俺たちは「いっち、にっ!」と短く声を掛け合いながら、水たまりをバシャバシャと蹴立てて、近くの神社跡地にある社務所の軒下へと駆け込んだ。
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「はぁっ、はぁっ……なんとか雨宿りできたな」
屋根の下に入り、俺は傘を閉じてバサバサと水滴を払った。
薄暗い軒下は、激しい雨音によって世界から完全に切り離されたような、奇妙な静けさと密着感があった。息を整える神楽の肩が、俺の腕に触れるほどの至近距離だ。
ふと、隣に立つ神楽が俺を見て、小さく息を呑んだ。
「ちょっと……久慈浦君。あなたの右肩、ずぶ濡れじゃない」
「あ? ああ、ほんとだ。まぁ、これくらいすぐ乾くって」
俺が強がって肩を竦めると、神楽は少しだけ眉を下げ、気まずそうに目を伏せた。
「……私が濡れないように、傘を私の方へ傾けてくれていたのね」
「べ、別にそんなんじゃねえよ! 風の向きが右からだっただけだ!」
俺が慌てて誤魔化そうとすると、神楽は鞄からハンカチを取り出し、俺の左肩にそっと押し当ててきた。
「じっとしてて。風邪ひくわよ」
「おい、いいって……こんくらい、どうってことないから」
「私が拭きたいの。……不器用なんだから、あなたって人は」
神楽は耳の裏をほんのりと赤く染めながら、少し怒ったような、それでいてどこか照れ隠しのような表情で俺の肩の水滴を拭ってくれた。彼女から漂う甘いシャンプーの香りと、雨の匂いが混ざり合い、俺の心臓は柄にもなくドクドクとうるさく鳴り始めた。
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雨は一向に止む気配がなく、灰色の空から絶え間なく降り続いている。
激しい雨音だけが響く狭い軒下。急激な気温の低下による寒さと、ここ数日の過酷な密着生活の疲労が、俺たちの体に重くのしかかってきた。
神楽が小さく身震いをしたのを見て、俺は自分の体を少しだけ彼女の方へ寄せ、風除けになるように立った。
「……なんか、すげぇ静かだな」
俺がポツリと呟くと、神楽も「ええ」と短く頷いた。
雨のカーテンが作り出すこの閉鎖的な空間のせいだろうか。普段なら絶対に口にしないような、心の奥底に沈めていた重たい感情が、自然と口を突いて出た。
「俺さ……」
雨粒が地面を叩く様子をぼんやりと見つめながら、俺は自嘲気味に笑った。
「応援団辞めたこと、いつかの日に『環境のせい』って言い訳したけどさ。……本当は、分かってたんだ」
「……」
「深夜バイトで体がキツかったのも事実だけど、それ以上に、周囲の期待に応えられなくなっていく自分が惨めだったんだよ。声は出なくなるし、演舞のキレも落ちる。みんなの『久慈浦ならやってくれる』って視線が、次第に『あいつ、最近ダメだな』って落胆に変わっていくのが怖くて……。だから、逃げたんだ。俺は、自分から応援団を投げ出したんだよ」
寒さと疲れから、俺はポロリと応援団から逃げた後悔と、自らの弱さをこぼしていた。
俺は、神楽に軽蔑されると思った。ストイックで、決して歩みを止めない彼女からすれば、俺のような逃げ腰の人間は最も嫌悪の対象になるはずだ。
しかし、隣から返ってきたのは、氷のような冷たい言葉ではなかった。
「……あなたは、逃げたわけじゃないと思う」
静かで、とても温かい声だった。
神楽は俺の方を向き、真っ直ぐな瞳で俺を見据えた。
「期待に応えようと、限界まで自分を削っていたんでしょ? 深夜バイトでボロボロになりながら、それでも誰かのために声を枯らそうとしていた。……あなたは逃げたわけじゃない。ただ、休む場所がなかっただけよ」
「っ……」
その言葉は、俺の胸の一番痛くて脆い部分に、深く、優しく染み込んでいった。
誰にも言えなかった後悔。自分を責め続けていた心の傷。彼女はそれを否定するでもなく、ただ真っ直ぐに寄り添ってくれた。
視線が交差する。
互いの痛みを理解し、相手を心から愛おしいと思う感情。純粋な共感と愛おしさが、俺たちの間に確かに芽生えた瞬間だった。
――スッ……。
その時、足元で微かな感触があった。
星野まりもが語っていた、この神社の宮司の言葉が脳裏をよぎる。
『まことの心が交わるまでは、離れたくとも離れられぬ』
互いの純粋な心が通じ合ったその言葉に反応するように、俺たちの足首をカチカチに締め付けていた忌まわしい紐が、目に見えて大きく緩んだのだ。
「え……?」
「紐が……緩んでる」
俺たちは足元を見下ろした。これまで数センチしか間の距離の余裕がなかった紐が、今度は十センチほども余裕を持ってだらりと伸びていた。
物理的な拘束が解け、やろうと思えば、お互いに半歩以上も距離を取ることができそうだ。
だが。
俺は一歩を踏み出せなかった。
神楽も同じだった。距離を取れるようになったはずなのに、彼女は俺の隣から離れようとしない。
物理的な距離は広がったのに、精神的な距離があまりにも近づきすぎてしまったせいで、離れ方が分からなくなってしまったのかもしれない。
沈黙の中、俺たちは少しだけ触れ合っている肩を離すこともせず、ただ顔を真っ赤にしてモジモジと立ち尽くしていた。




