第23話 元相棒
あの絶望的な体育祭から数日が経過した。
俺たちの足首を繋ぐ忌まわしい赤い紐は、少し緩んだものの未だに解ける気配がない。
オカルト研究会の星野まりもが文献やネットを駆使して調査を続けてくれているが、解呪の決定的な条件は依然として謎に包まれたままだった。
だが、人間の適応能力というのは恐ろしいものだ。
あれほど反発し合い、物理的な距離の近さに発狂しかけていた俺たちの生活は、気付けば「当たり前」のようなものに変わりつつあった。
朝の洗面所での歯磨きでは、互いの肘がぶつからないよう自然にタイミングをずらす。
夜、風呂上がりに髪を乾かしあうのも、もはや無言のルーティンだ。俺がドライヤーを持てば、神楽舞衣はスッと背中を向けて大人しく髪をすかせる。
極めつけは食事中だ。食卓の遠くにある醤油を俺が取ろうと視線を向けた瞬間、神楽がすでにそれを手に取り、俺の前に差し出してくれる。
「……ほら」
「おう、サンキュー」
まるで長年連れ添った熟年夫婦のような連係プレー。息が合いすぎていて、自分でも時々怖くなる。
昼休み、そんな俺たちの様子を観察していた星野まりもが、タブレットを片手に旧校舎の裏までやってきた。
「久慈浦君、神楽さん。調査の経過報告なんですが……」
「おう。何か解呪のヒントは見つかったか?」
俺が期待を込めて尋ねると、星野は目を隠す重たい前髪の奥で、ギラリと怪しい光を放った。
「正直、文献の捜索は難航しています。ですが、私の見立てでは、お二人の息はすっかり合っているのに紐が解けない理由は、ただ一つ……物理的な接触、つまりスキンシップが決定的に足りないからだと推測されます!」
「は?」
「精神的な繋がりだけでなく、もっと肉体的なアプローチが必要です! 例えば、もっと密着して抱きしめ合うとか――」
「「んなわけあるか!! 十分に毎日接触してるわ!!」」
俺と神楽は、コンマ一秒の狂いもない完璧なシンクロで、星野に向かって盛大なツッコミを入れていた。
「ほ、本当に……星野さんはたまに突拍子もないことを言うんだから!」
神楽が顔を真っ赤にして抗議する。
「だいたい、これ以上密着したら俺の精神がもたねぇよ!」
俺も全力で否定したが、星野は「その見事なハモリ具合こそが、お二人の絆の証明なんですがねぇ……」とボソボソ呟きながら去っていった。
やれやれと溜息をつきながら、俺たちは再び二人三脚のすり足で教室へと戻った。
+++
放課後のチャイムが鳴り、俺と神楽は日課となった弓道場での練習に向かうため、教室の廊下を、二人三脚のすり足で進めていた。
「おい、駿!」
背後から、やけに響き渡る大声が廊下を震わせた。振り返るまでもない。この暑苦しい声の主は、一年生の時に応援団で俺の相棒だった轟大河だ。
ガッチリとした体格に常にジャージ姿のこいつは、大型犬のような勢いで俺たちの目の前に立ち塞がった。
「なんだよ大河。今、いそがしいんだけど」
俺が嫌そうに顔をしかめると、大河はニカッと白い歯を見せて笑った。
「つれないこと言うなよ。お前、ここ数日でなんだか顔つきが変わったよな。昔みたいな『熱さ』が戻ってきたっていうかさ」
「はあ? 気のせいだろ」
「いや、俺の目は誤魔化せないぜ! なあ駿、そろそろ応援団に戻ってこいよ! お前ならブランクなんてすぐに取り戻せる! 俺はお前ともう一度、一緒にエールを切りたいんだ!」
熱血漢全開でスカウトしてくる大河に、俺は呆れ半分、申し訳なさ半分で頭を掻いた。俺が深夜バイトでフェードアウトした後も、こいつだけはずっと俺を信じて声をかけ続けてくれていたのだ。
「悪いけど、今は……こいつのサポートで手一杯なんだよ」
俺が隣の神楽を一瞥すると、大河はハッとしたように神楽の存在を再認識し、途端に姿勢を正した。
「お、神楽さん! ちわっす! いつもうちの駿がお世話になってます!」
「え? あ、ええ。こちらこそ……」
突然の礼儀正しい挨拶に、神楽も少し戸惑いながら会釈を返す。
だが次の瞬間、大河の顔がギリギリと歪み、血の涙でも流しそうな悲痛な表情に変わった。
「ってか駿……お前ら、紐の化学反応だかなんだか知らないけど、最近ずっと一緒にいるし、マジで付き合ってんのか!? しかも、親公認で同じ屋根の下に住んでるんだろ!? 学校一の高嶺の花と同棲とか……ぐおおおっ、羨ましすぎて憤死しそうだぜ!!」
「だから違うって何回言えば分かるんだよ! これは事故だ!」
「嘘つけ! 絶対お前、本音は役得とか思ってんだろ! お前……神楽さんを泣かせたり、変な真似したりしたら、マジで絶交だからな!」
「するわけねえだろ! お前の脳みそはどうなってんだ!」
一人で嫉妬に悶絶し、勝手にキレちらかす大河に、俺は全力でツッコミを入れた。
ひとしきり暴れた後、大河はふうっと息を吐き、今度は真剣な顔で神楽に向き直った。
「神楽さん。こいつ、普段はスカしてて無気力に見えますけど、根は誰よりも熱くて真っ直ぐな奴なんです。もしこいつが迷惑かけたら、俺が責任持ってぶっ飛ばすんで……どうか、駿を見捨てないでやってください!」
「お前は俺の保護者か! 勝手に頼み込むなっての!」
俺が怒鳴ると、大河は「じゃあな! 応援団の枠、ずっと空けて待ってるからな!」と嵐のように去っていった。
「……ったく、相変わらず暑苦しいな」
俺がため息をつきながら隣を見ると、神楽は口元に手を当てて、小さく、けれどとても楽しそうに微笑んでいた。
「なんだよ」
「ううん。いいお友達ね。……あなたが、どれだけ彼に信頼されているか分かったわ」
「信頼じゃなくて、ただのお節介だよ」
照れ隠しにそっぽを向く俺の腕を、神楽はそっと引いた。
「さ、行きましょう。私の大切な『サポート役』さん」
少しだけ軽くなった足取りで、俺たちは夕暮れの弓道場へと向かった。




