第18話 放課後の弓道場
放課後のチャイムが校舎に鳴り響いた。
長くて気まずくて、何より精神をすり減らした学校初日がようやく終わった。
俺は机に突っ伏し、深い溜息を吐き出した。
「終わった……やっと帰れる」
星野から呪いの仮説を聞かされ、中庭で義務感の『あーん』を試して激痛に見舞われ、互いを異性として強烈に意識してしまった昼休み。午後からの授業は、隣に座る神楽舞衣の体温や衣擦れの音がやけに気になって、黒板の文字なんて一つも頭に入ってこなかった。
「……行くわよ」
帰る準備をしようとした俺の耳に、凛とした声が降ってきた。
顔を上げると、神楽が真っ直ぐな姿勢で立ち上がり、俺を見下ろしていた。
「行くって、帰るの間違い、だよな?」
「弓道場よ。部活の時間だもの」
「……は?」
俺は耳を疑った。
「お前、正気か? 足首が紐で繋がってんだぞ。歩くのすら一苦労なのに、部活なんてできるわけねえだろ」
「それでも行くの。インターハイの予選が近いわ。一日だって練習を休むわけにはいかない」
神楽の瞳には、一切の妥協を許さない強烈な意志が宿っていた。
「いや、だから物理的に無理だって言ってんだろ。周りの目もあるし、それに……」
俺がさらに反論しようとした、その時だった。
神楽がスッと目を伏せ、俺に向かって深々と頭を下げたのだ。
「お願い。どうしても、インターハイを諦めたくないの。あなたに迷惑をかけるのは分かってる。でも、どうか付き合ってちょうだい。お願いします」
「っ……」
普段は氷のように冷たく、俺を無気力だと見下しているプライドの高い彼女が、こんな風に人に頭を下げるなんて。
親父の会社が倒産して以来、俺は深夜バイトに追われ、応援団からフェードアウトした。今はもうバイトも辞めているから、放課後に急いで帰る理由もない。
「……分かったよ。好きにしろよ」
俺がボソリと呟くと、神楽は顔を上げ、ほんの少しだけホッとしたような表情を見せた。
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弓道場に近づくにつれ、張り詰めた空気が漂ってきた。
パンッ、パンッと弦音が響いている。
俺たちが二人三脚ですり足のまま道場に足を踏み入れると、練習していた部員たちの動きが一斉にピタリと止まった。
「神楽……? と、久慈浦?」
「なんで足が結ばれてるんだ……?」
ざわめきが広がる中、奥の方から小柄な人影が猛スピードで突進してきた。
「舞衣先輩っ!! お疲れさまっす!」
活発なショートヘアを揺らし、弓道着姿で駆け寄ってきたのは、二年生の涼風葵だった。彼女は神楽を心底崇拝している、忠犬のような後輩だ。
葵は俺と神楽の結ばれた足元を見るなり、悲鳴のような声を上げた。
「せ、先輩! その男の人、誰ですか!? なんで足を縛り合ってるんすか!? ま、まさか……彼氏さんですか!?」
「ち、違うわよ葵! 誤解しないで!」
神楽が顔を真っ赤にして全力で否定する。
「これは、事故なの。体育祭の用具の紐に化学薬品がこぼれて、特殊な結合を起こしてしまって……今、海外の専門医を手配しているところで……」
高梨先生が朝のホームルームで語った、あの三流SFのような苦しい嘘を、神楽は必死に説明した。
「か、化学反応……? そんなことってあるんすねー……」
葵は狐につままれたような顔をしていたが、崇拝する先輩の言葉だからか、何とか飲み込もうとしているようだった。
しかし、その視線が俺に向いた瞬間、葵の目は親の仇でも見るかのような鋭い敵意に満ちた。
「……あなた、久慈浦とかいう無気力男ですよね。先輩の足を引っ張ったら、ただじゃおきませんからね! 先輩の神聖な練習の邪魔をしないでくださいよ!」
「好きで繋がってんじゃねえよ。こっちだって被害者だ。そ、それに俺だってお前の先輩だぞ!」
俺が面倒くさそうに返すと、葵は「キーッ!」と歯軋りをした。
「葵、いいの。彼は付き合ってくれているだけだから」
神楽が葵を宥めると、彼女は申し訳なさそうに視線を落とした。
「着替えることができないから、私は制服のまま隅で個人練習をするわ。葵たちは気にせず、的前に立って自分達の練習をして頂戴」




