第17話 失敗した検証
昼休み、俺たちは逃げるようにオカルト研究会の部室を後にし、人の寄り付かない中庭のベンチへと移動した。
星野から突きつけられた「心を通わせるか、ドキドキする行為で紐が緩む」という仮説。
一刻も早くこの異常な密着生活から解放されたい俺と神楽舞衣は、手っ取り早くその「ドキドキする行為」を検証することにしたのだ。
「……で、どうするんだよ」
俺が尋ねると、神楽は膝の上に広げた自分のお弁当箱をスッと押し出してきた。そこには、志乃さんが作った朝食の時と同じように、彩り豊かで完璧な出汁巻き玉子が綺麗に並んでいる。
「恋人同士のドキドキする行為といえば、これでしょ。……『あーん』よ」
神楽は義務感丸出しの能面のような真顔で、箸で出汁巻き玉子を一つ摘み上げた。
「は? お前、正気か?」
「大真面目よ。いいから早く口を開けなさい。一発でこの紐を緩ませるわよ」
神楽は一切の感情を排したような事務的な動作で、玉子焼きを俺の口元へと運んできた。
恥ずかしがる素振りなど微塵もない。ただの「作業」だ。俺も心を無にして、言われるがままに口を開けた。
ポイッと放り込まれた玉子焼きを咀嚼する。出汁が効いていてめちゃくちゃ美味いが、当然ながらドキドキなんて感情は欠片も湧いてこない。
「どう? 足元、緩んだ?」
「いや、全然……」
俺が首を横に振ろうとした、まさにその瞬間だった。
「がああああっ!!?」
「きゃああああっ!!」
二人同時に、中庭に響き渡るような絶叫を上げた。
緩むどころではない。足首を繋ぐ赤い紐が、俺たちの神経に直接牙を剥いたように、爆発的な激痛を走らせたのだ。
「痛ぇぇぇっ! なんだこれ、足が千切れるっ!」
「い、痛いっ、痛いぃっ……!」
俺たちはベンチから転げ落ち、芝生の上で足を抱えながら悶絶した。
星野が言っていた、神社の老人の警告が脳裏に蘇る。
『上辺だけの恋事や、嘘偽りの気持ちで触れれば、紐は己の肉を食い破るぞ』
まさにその通りだった。義務感だけで行った形だけの「あーん」は、呪いの紐から最悪のペナルティとして判定されたようだ。
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数分後。痛みの波がようやく引き、俺たちは芝生の上で荒い息を吐きながら睨み合った。
「お、お前が俺を男として一ミリも意識してないからだろ! だから呪いが弾かれたんだ!」
俺が痛みのあまり八つ当たり気味に怒鳴ると、神楽も涙目で激しく言い返してきた。
「なっ……! あなたこそ、私のことを女として全く見てないじゃない! あんな仏頂面で玉子焼きを食べられて、ドキドキするわけないでしょ!」
「お前だって真顔だっただろ! 俺に責任転嫁すんな!」
ギャーギャーと口論になる。だが、互いに言い争う中で、ある決定的な事実に気付いてしまった。
『相手を異性として強烈に意識しなければ、この紐は一生解けない』という事実だ。
ふと、口論の途中で声が止まった。
至近距離で睨み合っていた俺の視界に、神楽の顔が鮮明に映る。
激痛で少し潤んだ黒水晶のような瞳。怒りでほんのりと上気した白い頬。形の良い唇。
……女だ。
学校一の高嶺の花と呼ばれる、間違いなく綺麗な「異性」だ。
「っ……」
急に相手を『女』として認識してしまった途端、俺の顔が一気に熱を持った。
神楽も同じだった。俺の視線に気付いたのか、急にハッとして視線を泳がせ、耳の先まで熟れたチェリーのように真っ赤に染め上げたのだ。
「な、何よ……」
「な、なんでもねぇよ……」
急に押し寄せた猛烈な気まずさに、俺たちは同時に顔を背けた。心臓が、先ほどの激痛とは全く違う理由でドクドクと早鐘を打っている。
「……と、とりあえず、形だけでもう一回試してみるか?じゃあ、手を繋いでみようか。あくまで義務感で、検証のためだぞ」
俺は動揺を隠すようにぶっきらぼうに言い、右手を差し出した。
「……ええ、そうね。あくまで呪いを解くための、義務よ」
神楽も恐る恐る左手を伸ばしてくる。
指先が触れ、互いの掌が重なり合おうとした、その瞬間。
キュウウウウッ!
「「痛っっ!!」」
再び足首が締め付けられ、鋭い痛みが走った。俺たちは弾かれたように手を離した。
ダメだ。
頭で「異性だ」と無理やり意識しようとしても、それが解呪のための「作業」である以上、呪いは絶対にごまかせない。
「……形だけじゃダメなんだ。本当に心から相手を意識しないと……」
俺が絶望的な結論を口にすると、神楽は膝を抱えて真っ赤な顔のまま俯いてしまった。
相手に本気で心を通わせなければならない。
その果てしなく高いハードルを前に、俺たちの間にはかつてないほどの緊張感と、強烈な気まずさが生まれていた。
呪いを解くためには、この女と本当に心を通わせなければならない。
つまりそれは、俺がこいつに、こいつが俺に、本気で惚れなければならないということなのか?
物理的な距離はゼロに近いのに、精神的にはどう接していいか全くわからない。
最悪のくじ引きから始まった俺たちの密着生活は、「嫌悪」から「強烈な意識」へと変化し、ドギマギ必至の新たなフェーズへと突入してしまったのだった。




