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第13話 改造制服

 顔を洗い終え、昨日と同じやり取りのトイレも終え、客間へと戻ってきた俺たちに、次の難関が立ちはだかった。

「制服への着替え」である。

 昨晩は志乃さんが買ってきてくれた介護用の全開になるリハビリズボンで事なきを得たが、今日からは学校へ行かなければならない。水鏡みかがみ高校の指定制服に着替える必要があるのだ。


 神楽の制服はスカートだ。足首の紐がどうなっていようが、頭からすっぽりとかぶってしまえば着替えることができるだろう。

 問題は、俺のスラックスだ。

 筒状になっているズボンは、左足と右足が紐でガッチリ繋がっている以上、どう足掻いても穿くことができない。


「どうすんだこれ……。ハサミで切り裂くわけにもいかねえし」


 俺がスラックスを手に途方に暮れていると、少し開いていた襖の隙間から、志乃さんがひょっこりと顔を出した。


「駿くん。着替えの前でよかったわ」

「志乃さん。あの、俺のズボンなんですが……」


 俺が言いかけると、志乃さんはニコニコと微笑みながら、手に持っていた見慣れないスラックスを差し出してきた。

「はい、これ。駿くんの制服のスペアだって、お父様が持ってきてくれたやつよ」


 受け取ったスラックスを見て、俺は目を丸くした。

 左足の側面の縫い目が、腰から裾まで一直線に綺麗にほどかれていた。そして、その開いた部分には、等間隔で黒いスナップボタンと目立たないマジックテープが縫い付けられていたのだ。

 つまり、昨夜のリハビリズボンと全く同じように、横から足を包み込んでボタンで留められる仕様に改造されていた。


「こ、これ……」

「昨日の夜、少しだけお裁縫させてもらったの。これなら、足が繋がっていても穿けるでしょう?」


 志乃さんの目の下には、薄っすらとクマができていた。おそらく、俺たちが寝静まった後、夜なべして手作業で縫い付けてくれたに違いない。

 親父の会社が倒産して以来、生活に追われるばかりで、他人の「無償の愛情」なんてものに触れる機会はすっかり失われていた。ましてや、血の繋がらない居候の俺のために、ここまでしてくれる大人がいるなんて。


「……志乃さん」


 胸の奥に、じんわりと温かいものが込み上げてくる。俺はスラックスを両手でしっかりと握りしめ、深く頭を下げた。

「ありがとうございます。ここまでよくしていただいて……本当に、助かりました。大切に着ます」


 普段の斜に構えた態度はどこへやら、自分でも驚くほど素直な言葉が口を突いて出た。照れくささで、耳の裏が熱くなるのがわかる。


「ふふっ、お安い御用よ。駿くんはお行儀がいいから、お世話のしがいがあるわ」

 志乃さんが俺の頭をポンポンと軽く撫でた、その時だった。


「……お母さん、あまり彼を甘やかさないでよ。調子に乗るから」


 隣で制服のブラウスを抱えていた神楽が、ふいっと顔を背けて口を尖らせた。その声には、明らかに不満げな響きが混じっている。


「あらあら、舞衣ったらヤキモチ? 駿くんが素直で可愛いからって、嫉妬しちゃダメよ」

「ヤ、ヤキモチなんかじゃないわよ! ただ、この無気力男がこれ以上怠惰になったら困るって言ってるの!」


 顔を真っ赤にして反論する神楽を置いて、志乃さんは「はいはい」と楽しそうに笑いながら客間を出て行った。


 +++


「それじゃ、さっさと着替えるぞ」


 俺は照れ隠しのように言い放ち、部屋の隅にあった室内用の物干しスタンドを二人の間に引き寄せた。そこに大きなバスタオルを何枚も掛けて、簡易的な仕切り壁を作る。


「いいか、絶対にこっちを見るなよ。一ミリでも覗いたら、マジで許さねえからな」

「あなたこそ! もし少しでもこっちを見たら、弓の弦で首を絞め上げるから!」


 互いに背中を向け合い、バスタオルの仕切り越しに着替えがスタートした。

 静かな客間に、衣類が擦れる音だけが響く。

 俺は慎重にスラックスを左足に当てがい、志乃さんが縫い付けてくれたスナップボタンを、下から一つずつパチッ、パチッと留めていった。

 しかし、足首が繋がっているため、どうしても互いの動きがダイレクトに干渉し合う。


「おい、急に動くなよ! ボタンが掛け違えそうになるだろ!」

「あなたが勝手に引っ張るからでしょ! こっちだってスカートのホックが……きゃっ!」


 突然、足首の赤い紐が強く引かれた。神楽がスカートを穿こうとして、片足立ちになりバランスを崩したのだ。


「うおっ!?」


 紐に引っ張られ、俺も片足の踏ん張りがきかなくなる。

 そのまま、俺たちは物干しスタンドにぶつかり、仕切りのバスタオルごと畳の上へと倒れ込んだ。


 ドサッ!


 バスタオルの波に埋もれるようにして転がった俺。

 そして、気がつけば俺の胸の上に、半分着替えかけの神楽が折り重なるように倒れていた。


 顔と顔の距離が、わずか数センチ。


 まだリボンの結ばれていない開いたブラウスの胸元から、彼女の透き通るような白い肌が覗いている。

 風呂上がりの時とは違う、朝の冷たい空気の中で、彼女からほのかに香る甘いシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐった。


「…………ッ!」

「…………ッ!」


 互いの吐息がかかるほどの至近距離で、神楽の黒翡翠のような瞳が、驚きに見開かれたまま俺を捉えていた。

 時が止まったような数秒間。

 ドクン、ドクンと、自分の心臓の音なのか、それとも胸に押し付けられた彼女の心臓の音なのか分からないほど、激しい鼓動が重なり合って響く。


 みるみるうちに、神楽の顔が紅鮭のように真っ赤に染まっていった。


「ば、バカァァァッ!! どきなさいよ!!」

「お前が乗っかってんだろ!! 重てぇよ!!」


 神楽が慌てて俺の胸をバンッと押し返し、俺たちはお互いに転がるようにして体を離した。


「誰が重いよ! 乙女に向かって失礼なこと言わないで!」

「ふ、不可抗力だろ! お前がバランス崩すからだ!」


 真っ赤な顔をして互いに背を向けながら、残りの着替えを荒々しく済ませる。

 数分後、なんとか水鏡高校の制服姿になった俺たちだったが、部屋の中にはドギマギとした気まずい空気が充満していた。

 まだ登校もしていないのに、精神的な疲労はすでにピークに達している。この先、学校でどうやって周囲の目をごまかすのか。絶望的な一日が、幕を開けたところだった。

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