チューの価値
大学から高校まで戻る道すがら、不意にロイルは立ち止まった。
「ルーガは先に帰れ。ルジンカ、お前には話がある」
「・・・ルジンカ誘ったのは僕なんだけど?」
俺に朗読会とはなんたるかを軽い調子で説明していたルーガ。
少々不愉快そうに、ロイルを振り返る。
「ルジンカ。どうする?」
ルーガをシカトし俺に選択を迫る。
「・・・分かりましたわ。ごめんなさいルーガ。続きはまた明日」
ここでロイルを断る理由もない。
なにより、強引なお呼び出しにドキドキし始めている。
おチョロい乙女心にとりあえずは従った。
「まあ、いいけど・・じゃあまたね、ルジンカ。ベアドさんもさようなら」
ルーガはあっさり引いた。
ヒラヒラと手を振り、1人で先を進んで行く。
「こっちだ。もうすぐ校内を追い出される時間だから手短に済ます」
そう言い、横道へ入るロイル。
敷地内には職員がしょっちゅう行き来しており、生徒に帰宅を促している。
背丈ほどの木が両サイドに広がる並木道を進み、しばらく行ったところで足を止めた。
なだらかなカーブを描く一本道で、前後から人が来ればすぐ分かる。
話はここでするらしい。
「単刀直入に言う。園遊会でのパートナーは断れ。ルーガの家にも行く必要はない。あと、猥褻本の貸し借りも禁止だ。奴にはもう関わるな」
予想通りの要求だった。
が、続いてロイルの口から発せられた言葉に耳を疑う。
「無論、タダでとは言わない。代わりに、もう1度だけ口づけを許す」
「・・・・?」
何言ってんだ王子様?
ポカーンとする俺にロイルがたたみかける。
「どうした?キスだ。前もしたろ」
「・・つまり・・チューしてもいいってことですか?」
「そうだ。チューしていい」
真顔でうなずく。
「私が・・・ロイル様に・・?」
「そうだと言っている。お前からなら安全が確認できてるからな」
「あ、安全??」
「なんでもない。とにかく遠慮するな。・・・さあ。どうぞ」
両手を体の後ろで組み、ノーガードを気取るロイル。
どうやら本気らしいが・・マジか??
「どうぞって・・・」
ロイルの形の良い唇を見つめる。
・・これ、おかしいよな?
無限美ちゃん譲りの美少女である俺の唇が、ロイルの唇より価値が低いってことか?
俺なんて、チューの1つでどうとでもなるってことかよ?
尻尾振って追いかけてた頃なら、この条件に飛びついたかもしれない。
俺も無限美ちゃんに同じこと言われたら舞い上がるけどな。
やけに大人しいと思ったら、こんな事考えてたのか・・
なんだよ、『どうぞ』って!
お前は生け贄の村娘か?
曲がりなりにも王子名乗んなら、壁ドンの1つもして来いや!!
徐々に怒りが込み上げて来る。
だが同時に、喜びなのか恥じらいなのか判別できない、ソワソワとした興奮が体を駆け巡った。
キュンキュン疼く胸が、OKでーす!と訴えて来る。
・・・チョロすぎだろ。ルジンカちゃん。
俺、もう付き合いきれねーよ。
「・・・ありがたいお申し出なんですが・・そういう気分じゃないんで・・」
高鳴る胸を押さえ、なんとか拒絶の言葉を口にする。
できるだけ嫌そうに眉をしかめるのが一苦労だった。
「したくないのか・・!?」
ロイルの目がショックを受けたように、カッと見開かれる。
ルジンカなら絶対にこの条件を飲むと思ってたんだろう。
間違ってないが。
「バラ園では失礼しましたけど・・アレはアレ、コレはコレですわ」
「今そういう気分じゃないなら、それでもかまわない。気分になった時につき合おう。それでどうだ?」
ロイルがずいっと1歩近づく。
後退ろうとしたが出来なかった。
動かない足の代わりに、赤らんだ顔を背ける。
「そういう問題じゃないと言うか・・ロイル様とキスなんて・・したくありませんわ」
「そんなはずない。そうだろ?」
目の前まで迫ったロイルの手が俺の肩に触れる。
思わずビクリと顔を上げ、しまったと思う。
俺を見据えるロイルの目にガッチリ捕まる。
ウェイドよりも明るい、青い、青い瞳。
不思議な熱を帯びて、俺だけに注がれていた。
金縛りにあったように動けない。
激しい胸の高鳴りに、コルセットがギチギチ軋む。
ロイルの手に力がこもり、グイっと引き寄せられた。
あの時と逆だ。
バラ園では俺を遠ざけた手なのに。
惚けている間に、腰を屈めたロイルの顔が間近に迫り、
そこで止まる。
・・・・・・・
・・・・・・・・・?
あ、そうか。
チューは俺からか。
変な間ができたせいで、少し我に返れた。
このまましちゃっていいのか?
ルーガとのパートナーも家に行くのもエロ本も断って、もう関わるなだっけ?
キス1回で。
・・・ぼったくりじゃないか?
せめて、なんでルーガがダメなのかくらい教えてもらわなきゃ割りが合わない。
「どうした?」
動こうとしない俺にロイルが問う。
吐息を感じる距離だ。
つかまれたままの肩がヒリヒリと熱い。
両手をロイルの肩に添える。
ルーガなんて、どうでもいいだろ。
流されて何が悪い。
止める者もいない。
こんなの、抗えるわけない・・・・
・・・てか、ベアドは何やってんだよ?
こういう時にストップかけるのが付き添いなんじゃないのか?
チュー直前の唇を引き戻す。
「ルジンカ?」
ロイルの呼び掛けをシカトし振り返る。
ベアドは少し離れた場所で、葉の上のカタツムリを退屈そうに眺めていた。
お前、仕事しろよ!
何のために付いて来たんだよ!
グイグイ作戦が崩壊の危機なんだぞ!?
「ちょっと!お兄様!?」
思いっきり睨みつけると、ようやくこちらを向いた。
束の間の逡巡の後、俺の横までやって来る。
「セクハラはやめて下さい。ロイル様」
気の抜けた声でとりあえずの制止をする。
そういや、こいつは俺をロイルに嫁がせる気満々だからな。
対ロイルのストッパーとしてはぶっ壊れてる。
「無理強いしたつもりはない」
憮然とした顔で俺から手を離した。
それを未練がましく眺めてしまう。
「こういう事は未来がある方が相手でなければ本人の為になりません。先日も、もっと自分を大切にするようにと、ルジンカに諭して下さったのはロイル様だったかと」
「・・・言ったな。確かに」
「ロイル様との未来にも可能性があるということなら、チューの1つや2つ、何も問題はありません。存分にお楽しみ下さい。ルジンカもオーゴニー公爵との交流を喜んで絶つでしょう」
思わず、ハッとベアドを見る。
“結婚できない”を取り消せってことだよな?
体が興奮で小刻みに震え始める。
両手を握り締め、一言も聞き漏らすまいとロイルの返事を待った。
「・・・ダメだ。ルジンカと結婚はできない・・それは変わらない」
ばつが悪そうに答える。
分かっちゃいたが、ぶん殴られたような衝撃を受けた。
隣に立つベアドの血圧が上がっていく気配を感じる。
でも、ここは自分で言い返したい。
ロイルの前で泣くのが悔しいと感じるのは初めてだ。
「ただのキスなんて、何の役に立つんです・・?」
「・・・・」
「もて余してるなら、オレオンにでもくれてやれよ!」
涙を拭いつつ暴言を吐き、身を翻す。
「待て、ルジンカ!」
慌てた様子のロイルに腕をつかまれる。
それを思い切り振り払った。
「したくないって言ってんだろ!思い上がるなよ!」
「・・・私への当てつけでルーガに接近しているならやめろ。誰のためにもならない。そんなことをするくらいなら・・!」
もう1度腕をつかまれる。
今度は振り払えなかった。
すごい力だ。
「・・痛!・・痛いって!」
「手荒なお振舞いはお止めください」
ベアドが感情を殺した声で割って入る。
力は抜けたが腕はつかまれたままだ。
体を捻り無理やり引き抜く。
反射的に追おうとするロイルをベアドが阻ばんだ。
「ルジンカを解放するんじゃなかった。ずっと私を追わせておくべきだった。今まで通り」
王子様の目がギラついてる。
そんなにルーガはダメなのか?
なんでだ??
ルーガとロイルの共通点は多い。
共に王族で、同い年で同性の従兄弟同士。
幼い頃に片親を亡くしている。
でも、それが何だっていうんだ?
片親で王族で男という点なら、兄のウェイド王子も同じ条件だ。
だが、ウェイドとルジンカの縁談が持ち上がった際、ロイルに目立った動きはなかったらしい。
ウェイドに近づくな等の釘指しなどしなかったそうだ。
もっとも、必要もなかったんだろうが・・
どっちにしても、こっちの好意を利用しようとした態度は許せん。
希望を通したかったら、相応のものを差し出せよ。
俺は姿勢を正し、ロイルに向き直る。
「ルーガとの付き合い方は自分で決めますわ。でも、ロイル様がそこまで必死になられるなら、協力しないとは言いません。私の希望も聞いてくれるなら」
「希望?」
「ロイル様のパートナーにして下さい。私を」
これがフェアな取引だ。
リコピナの顔が脳裏に浮かんで消えていく。
ロイルはどこかホッとしたように息をついた。
「そんなことか。いいだろう。だが、知っての通り、今回の園遊会のパートナーはリコピナに決まっている。次の機会はルジンカと組もう。それでいいか?」
「・・・かまいませんわ。それなら今回は予定通りルーガと行きますので」
ロイルの顔が険しくなる。
「私の話を聞いていたのか?」
「もちろん。ロイル様がパートナーになって下さるなら、私もルーガを断りますわ」
「・・私を脅す気か?」
「元々パートナーはルーガです。ロイル様がイチャモンつけて来るから代替え案を提示したんでしょ。嫌なら断ればいいだけです」
心臓がさっきとは違う意味でバクバクする。
俺のロイルの心証はめちゃめちゃ悪くなるだろう。
素直にチューしとくべきだったか!?
「リコピナを断れということか・・」
「そうです。リコピナさんを断って・・。私はルーガを断ります」
ロイルの表情がシラケていく。
「ルジンカはリコピナと友人になったのではなかったのか?」
「・・・」
苦いものが胸に広がった。
リコピナの気持ちは知っている。
ロイルが好きだとは言わなかったが、恋心に近い感情を持っているのは明らかだ。
今回の園遊会参加に合わせ、クルクミー侯爵は来月、リコピナのお披露目パーティーを大々的に行うことを発表している。
きっと家にも招待状が来るだろう。
元々、親戚等への小規模なお披露目は済んでいたらしいが、大規模なものはリコピナの令嬢としての仕上がり具合に合わせ、タイミングを見計らっているところだったらしい。
ビレンチス公爵の園遊会には、俺同様に顔を出す程度の予定だったとか。
しかし、宿敵フラボワーノの愛娘ルジンカがロイルと揉めて自滅した。
この機を逃すまいと、ロイルにリコピナのパートナーを依頼して箔をつけさせ、皆の印象に残っているうちに盛大にお披露目をぶち上げることにしたようだ。
リコピナには父や兄達、親戚達の期待がかかっている。
それに、純粋にロイルとのデビューを楽しみにもしているはずだ。
「リコピナさんとロイル様がご一緒するのは、本来そんなにいい事じゃないでしょう?」
ロイルの質問には答えず、言い訳を口にする。
園遊会はリコピナの社交界デビューの場として用意されたものではない。
本来、主役として脚光を浴びるべきは、8月に嫁ぐ公爵令嬢ネレッサだ。
お披露目前のリコピナが、第2王子ロイルのパートナーとして堂々と参加すれば、お株を奪ってしまうだろう。
俺でも話題を拐うことは同じかもしれないが、リコピナほどの目新しさもない分、いくらかマシだ。
ロイルは腰に手を当て、大仰に首を振ってため息をついた。
「分かった・・・。その辺は私も気になっていたことでもある。園遊会のパートナーはルジンカだ。リコピナやクルクミー侯爵には断りを入れておく。その代わり、もうルーガには近づくな。この場で約束するんだ」
鋭い視線が俺を射抜く。
だが、了承するわけにはいかない。
「ルーガを断るのは今回だけですわ」
「何?」
「たかが1回のパートナーに、今後をお約束できる程の価値はありません。ご自分を高く見積りすぎじゃありません?」
思いっきり冷たく言ってやる。
ルジンカ・フラボワーノはお前が思ってる程お安くねーぞ。
俺を見据えるロイルの瞳が、再び激しく燃えていく。
怒っているのか、失望しているのか。
その目から、強い執着を感じた。
胸の鼓動が激しくなる。
こんな眼差しを向けてほしいと、ずっと思っていたのではなかったか?
足を踏み出したロイルの腕が俺に伸びる。
が、すぐにベアドが割って入った。
「ロイル様」
咎めるような声かけに、ロイルの目から熱が抜けて行く。
「・・・分かった・・ルジンカが正しい」
ボソリとそれだけ言うと、背を向けてさっさっと帰ってしまった。
本格的に嫌われただろうか・・・?
今すぐ追いかけて、今言ったことを全部取り消したい衝動にかられた。
でも、これで俺がロイルのパートナーだ。
1度手に入れた以上、リコピナには返せない。
絶対に。
道の向こうへ消えていくロイルをただ見送った。
「すまない。余計な事を言ったな」
ベアドの詫びる声で我に返る。
「結婚できない」の取消しの件だろう。
「いや、逆に良かったよ。はっきり聞けて。自分で聞いてたらダメージ半端なかったと思うし・・でも、チューはもっと早く止めろよな」
「あの申し出をルジンカが断るとは思わなかった。それに、ロイル様だって何の下心も無かったはずはない。あれはあれでしても良かったと思う」
「グイグイ作戦や園遊会のパートナーよりも?」
「よりもだ」
力強くうなずくベアド。
「でも、チューならすでにしてるが?」
「だから、もう1回したかったのかもな」
そうか?
「なら、普通にチューしようって言ってくればいいだろ。俺が断るなんて思ってもみなかったって顔してたじゃん」
「結婚できないと伝えた相手に言えるわけないだろ」
こいつの恋愛観も謎だからな。
全然参考にできない。
単に俺が飛びつくネタを用意したに過ぎないと思うがね。
「まあ、パートナーも全然悪くはない。ルジンカにとっても記憶喪失後の初の大舞台だ。このタイミングで、すでに決まっていたリコピナに取って代わりロイル様と参加することは大きな意味がある」
よくやったなと俺を労うベアド。
リコピナに取って代わる、というフレーズは胸に刺さった。
自分で要求したことだけどな。
リコピナとは学校で毎日顔を合わせる。
めっちゃ気まずいだろ。
「話は変わるが、デカパイアの新品も届けさせる。オーゴニー公爵のは読むな」
「あー、はいはい」
もう読んでるけどな。
適当に相槌を打ち、ロイルの消えた道を辿って帰路についた。




