13.変わらぬ日常
マリィの訪問から時は進み、ベンは今衛兵を従えながらドイルに連れられて地下牢へと向かっていた。それまでの間にザイードのせいで減らすことのできなかった昼食の量に悪戦苦闘するなどというイベントもあったのだが、なんとか次回から朝昼に出される食事の量を減らすことを確約したとだけ記しておく。
「不満げだな、ベン」
一歩前を歩くドイルからの問い掛けに、渋面のまま黙って付き従っていたベンは内心苦笑いを浮かべながら口を開く。どうやら今回も"ベン"とベンの意志の疎通は難しかったようだ。
「その様なことは・・・」
(そんなことはありませんよ)
言葉を濁した返答に苦笑いを浮かべたドイルは「そうか」と一言呟くとベンへと向けていた顔を正面に戻し、それ以降声を掛けてくることは無かった。ベンはベンで昨夜のドイルの変容に苦手意識を感じていたので、お互い無言という時間に多少居心地の悪さを覚えてはいるが助かるという感情の方が強い。
("ベン"はそんなにアーニャと会うのが嫌なのか。俺としてはアーニャが助かるところを直接目で見た方が安心できるからドイルさんからの誘いは有難かったんだけどな。そういえばこの事はミーシャさんは知ってるのか?)
地下牢への道中、手持無沙汰になってしまったベンはフッとアーニャを助け出すことを誰よりも望んでいたミーシャのことを思い浮かべた。目が覚めて以降一度も顔を合わせていなかったので何処で何をしているかまではわからないが、おそらくアーニャの件で抗議の一つや二つはドイルにしているのではないかと当たりをつけたベンは、前方を歩く背に向かって声を掛ける。
「お父様、ミーシャはこのことを・・・」
(ドイルさん、ミーシャさんはこのことを知っているんですか?)
「既に教えてある。今頃アーニャの牢の前で待っているだろうさ」
途中で途切れた問い掛けの意味を正確に汲み取ったドイルは足を止めて振り返ると、微笑みを浮かべてベンに答えた。そして膝を折りベンと視線を合わせると「お前のおかげだと喜んでいたぞ」と自身と同じ、貴族に多い息子の金の髪を一撫でして再び地下牢へと歩みを進めた。一連のドイルの行動に一瞬呆けていたベンであったが、妙な気恥しさと自身の心の底から溢れてくる喜びの感情に顔を赤くし、俯きながら父に追従する。
(よかったな"ベン")
自身のものではない喜びの感情の意味を理解したベンは親心の様な、友の成功を目の当たりにした時の様な微笑ましい気分になる。そして今一度「おめでとう」と"ベン"に向かって心の中で呟いたベンは顔に集まった熱を発散させるように少しだけ頭を振り、正面を真っ直ぐに見据えなおした。
しばらく道なりに進んだドイルの一行は屋敷の片隅、地下牢への扉に辿り着いた。その扉は重厚な鉄で出来ており、碌な装飾が無いことも相まって冷ややかな威圧感を見たものに与える。"ベン"自身も何度か使用人を地下牢送りにはしてきたが、ここに近寄ることは生まれてこの方無かったので初めて見る光景に生唾を飲み込む。
ドイルに関しては何度もここへ来たことがあるのか、特に感慨もなさそうに衛兵が開けた鉄の扉を潜り抜け、既に地下への階段に足を掛けている。その姿を見たからか、このままここで足を止めている訳にもいかないと気を取り直したベンは、扉に視線を向けないようにしながら薄暗い地下への道へ踏み込んだ。
地下へ続く石の階段は螺旋状になっており、何度かドイルの背を見失うことはあったが、他へ逸れる道も無いことから難なく牢のある空間に辿り着くことができた。そこは入口よりさらに暗く、湿った空気の漂う陰気な様相を醸し出しており、一度足を踏み入れれば二度と来たくはないなと思わせる場所であった。
そんなベンの心情を察してかドイルは手短に衛兵へと声を掛けるとアーニャのいる牢、そしてその前に立っているミーシャの方へと足を進める。
既にドイル一行が来たことを察していたのかミーシャは喜色を全面に出しながらドイルとベンへ深くお辞儀をした後、この空間にそぐわない明るい声で口を開いた。
「当主様、ベン様!お待ちしておりました!アーニャ様はこちらです!」
待ち切れないと言わんばかりのミーシャの声にドイルは「わかっている」と苦笑い交じりに答えると牢の鍵を持った衛兵に指示を出す。その間ベンはジッとアーニャのいる牢を正面から凝視していた。格子状に組まれた鉄棒に遮られた牢の中には簡素な机や椅子といった家具、隅には排泄用の穴が空けられており、その前には気休め程度の木板が目線を遮るためなのか立てられている。
(思ってたよりはマシな設備だな。一応最低限の生活は出来るように整えたのかな?それにアーニャもまだ元気そうで良かった)
設備を一頻り眺めたベンが最後に目を向けたのはミーシャを申し訳なさそうに見つめている小さな娘、アーニャであった。衣服は度々着替えていたのか、はたまた牢から出るために整えたのか綺麗な状態で、薄暗いこの空間ではわかり辛いが血色も良さそうである。そのことに安堵していたベンであったが、自身に向けられている視線に気付いたのかアーニャもベンへと視線を向けた。そうなれば必然的に目が合う訳であり、今までの血色の良さが嘘だったかの様に顔を青褪めさせて僅かに身体が震えている。
(まぁ今までが今までだし仕方ないよな。何かされると思ってるのかな。ただ俺としても多少は頑張ったんだからもうちょっと緩和してくれても・・・)
自身に向けられる怯えの様な反応に諦観にも似た感情と多少の不満を覚えたベンであったが、アーニャの姿を見たドイルは早くここから出たいのだろうと勘違いしたのか、もたつく衛兵から鍵を引っ手繰ると自身の手で牢の扉を開けた。そして「すまないことをした」と呟きながらアーニャを一度抱きしめると、その小さな手を引いて牢の外へと連れ出した。
その一連の流れを見ていたミーシャは泣いているのか、震える声で「良かったですね」と言いながら口元に手を当てている。アーニャもようやく我に返ったのかミーシャに微笑みながら「ありがとう」と言うと改めてベンへと体ごと向け、誠心誠意頭を下げて感謝の言葉を述べる。
「お、お兄様。こ、この度は私のせいだったにも関わらず、こ、ここから出ることを許して下さりあ、ありがとうございます」
相変わらずの吃音に何とも言い難い感情に襲われるベンであったが、その根底にはしっかり感謝の念があることを察し、口を開けば何を言うかわからないので敢えて何も言わないことで肯定とした。ただ"ベン"はそれが不満だったのか舌打ちを行うという凶行に出たが。
それ以降はミーシャからの感謝の言葉があったり、それに対して悪態をつくベンを微笑ましそうに見つめるドイルにまたしても気恥ずかしさを覚えたりと目まぐるしい時間であったが、いつまでも地下にいたくないというベンからの抗議の声に一行はアーニャを連れて元来た道を戻るのであった。
燦燦と輝いていた太陽が山々の隙間に身を隠そうかという時間、この世界の夕食時である頃、例に漏れずヒルウェスト家も数日ぶりの家族揃っての夕食を摂る為食堂へと集まっていた。目の前に運ばれてくる豪勢な食事の数々とは裏腹に、マリィのアーニャいびりがまた始まるのかと辟易としていたベンであったが、予想に反して夕食の時間は不気味なほど静かで淡々としたものであった。唯一聞こえるのは食器が奏でる陶器らしいカチャカチャという少し耳障りな高音と、思い出したかのように問い掛けられるベンの体調を気遣う様なマリィの声のみである。
アーニャもアーニャでこの空間の違和感に気が付いているのか伺う様な、探る様な視線をマリィへと何度か向けているが、その視線に気付いていないのか、敢えて無視しているのかマリィは無反応を決め込んでいる。
何の心境の変化かはわからないがマリィの気味の悪さにいい加減耐えかねたベンはドイルへと助けを求める目的で視線を向けたが、当の本人は曖昧な笑みを返してくるだけで特に何かを行おうという気概は感じられなかった。寧ろ憑き物が落ちた様な、そんな視線をワイン片手にマリィに送りだす始末である。
(まぁアーニャをいびることが無くなったってことで喜ぶべきなのかな?確かに不気味ではあるけど良い傾向なのは間違いないし)
内心腑に落ちない部分もありながらもなんとか納得することで気を落ち着かせたベンが「明日以降もこの状態だったらマリィさんもアーニャのことを許して多少は認めた、って思っておこう」と楽観的に考え、デザートに食指を伸ばそうとしたした時「そういえば」と言うマリィの、嫌らしさを全開にした声が食堂に響き渡った。
「貴女の母親、あの売春婦も一時期牢に入れられてたわね。何の罪かは忘れてしまったけど王都の牢に入れられるくらいだから碌でもないことをしたのは間違いないでしょうね。全く貴方はどこまであの女と似ているのかしら」
マリィの口から出た事実はどうやらアーニャ自身も知らなかったことらしく、いつもなら噛み付くはずの場面で目を見開いて呆然としている。それを見たマリィは「知らなかったの?」と嫌味ったらしく言うと、食事が終わったのか席を立ちベンとドイルに挨拶をして出口へと歩を進めた。そして食堂から半身を出したとき、思い出したかのように顔だけを未だに呆然としているアーニャに向け吐き捨てるように声を掛けた。
「貴女もあの女の様になりたくなければ一層身の程を弁えて生きることね」
それだけ言うとマリィは今度こそ用は無いのか食堂から出て行き、残されたのは俯くアーニャと悲しそうな顔をしているドイル、そして「明日まで持たなかったな」と遠い目をしながら無心でデザートを口に運ぶベンのみであった。
(嵐の前の静けさってやつだったのかな)
それ以降は気まずい空間だけが続き、アーニャを助け出すことに成功した日の最後とは思えないほど後味の悪いものとなってしまった。
一応わかり辛いかもと思い別視点の閑話を考えているのですがいりますかね?
特に何もなければこのまま話を進めていこうと思っています。




