11.老人襲来
翌朝、窓から差し込む日差しの眩しさに目を覚ましたベンは軽く伸びをすると、廊下で待機しているメイドに起きたことを知らせた。そしてベンが寝間着から着替えたと同時に使用人が朝食の準備を始めた。
次々と運び込まれてくる胸焼けのしそうな豪華な朝食に冷めた目を向けるベンだったが、頭の中に浮かんでいるのは目の前の朝食のことではなく昨夜のこと、そしてアーニャのことであった。
(冷静に考えれば昨日のドイルさんとの話し合いは失敗、だよな。あの時は可能性はある!なんて思ってたけど難しいってことは暗にあまり期待するなって言ってるんだよな・・・。新しい案、考えないといけないよな)
昨日意識が戻ったばかりの状態で頭を使ったベンは、自身に纏わりつく気怠い感覚に辟易とする。その弊害か「いっそあの時考えてたアーニャを地下牢から脱出させる案を煮詰めてみようかな」と割と真面目に考え始めたベンだったが、頭を使うなら取り敢えず朝食を食べてから、と目の前の朝食にようやく意識を向けた。
多少無理をしつつも粗方食べ終えたベンは「今度からは量を減らしてもらおう」と心に決めつつ、手を付けられなかった分の朝食を下げてもらう為に使用人に声を掛けようとしたその時、ベンの私室の扉がノックされた。
内心こんな朝早くに誰だ?と思いつつも、もしかしたら昨日の件でドイルさんが訪ねてきたのかもしれないと思い至り「どうぞ」と声を掛けようとした所
「失礼しますぞ。おや、朝食中でしたかな?」
返答も聞かずに灰色のローブを身に着け、古めかしい木製の長杖を突いた年老いた男が我が物顔で室内に入ってきた。その様な暴挙に周りの使用人たちは慌てだしたが、そんなものはお構いなしだと言わんばかりの態度で薄ら笑いを浮かべた男はベンに軽く頭を下げた。当のベンはと言うと表面上は苦々しい表情で睨みつけながらも内心では「なんでこの人がここに!?」と驚きを隠せないでいる。
「何の用だザイード」
(何の用ですかザイードさん)
不躾な声でローブの男、ザイードに無意識に腕を組んだベンは警戒心を隠しもせず問いかけた。
「その前に人払いをお願いしてもよいですかな?」
「・・・わかった」
(わかりました。他の人は出て行ってもらえますか?)
訝しげにザイードの顔を見つめたベンであったが、忌々しそうに舌打ちをすると室内の使用人たちへと目線で退室を促す。当の使用人たちは目の前の一連の流れに肝を冷やしながらも、この空間から離れられるならと一目散に退室していった。
「さて、昨日お目覚めになったとお聞きしましたが、体調の方はどうですかな?」
室内に残ったのがベンとザイードの二人のみとなった時、ザイードが胡散臭い微笑で気遣う様な発言をした。その言葉に内心「微塵も心配してないだろ」と思いながらベンは懐疑的な表情を向ける。
("ベン"はこの人のことが苦手だったみたいだけど、俺も実際会ってみた感じ少し苦手だな。何考えてるのかよくわからないし)
「たわ言を抜かすな。それで、俺は何の用だと言ったはずだが?」
(大丈夫です。それで、何か用ですか?)
この二人きりの空間から一刻も早く脱したかったベンは話を急かしたが、ザイードは顎に蓄えた髭を一撫でしつつベンを見つめながら「ふむ」と何かを考える素振りを見せただけであった。その姿にベンの眉間の皴が徐々に深くなっていく。
「では端的に申しましょうぞ。何故あの娘、アーニャ氏への減罰をドイル氏へ嘆願なされたのですかな?」
しばらく思案していたザイードが満を持して発した言葉に驚愕、とまではいかないものの、驚きの表情を僅かに見せたベンは言葉を発することが出来なかった。
その表情の変化に目敏く気付いたザイードは「やはり本当でありましたな」と一言呟き、胡散臭い笑みを深めた。
「何故そのことを知っているのか疑問のようですな。しかしそれは今は詮無き事ではないですかな?」
(全然詮無き事じゃないんですけど!?何でこの人が知ってるんだ!?昨日は人払いもしてたしこのことを知ってるのは俺とドイルさんだけのはず。ただこの人なら何を知っててもおかしくないっていう謎の信頼の様なものが・・・)
「お前には関係の無いことだ」
(貴方には関係の無いことです)
心の中で渦巻く困惑を表に出すことなく冷たく吐き捨てたベンだったが、その返答が予想通りであったのかザイードは意味深な表情で手に持つ杖を撫でながら唐突に背後の扉に視線を向けた。対するベンはザイードのどこか探る様な視線が自分から外れたことにホッとしつつも、その動きの意図が読めず「扉の外に誰かいるのか?」と内心首をかしげる。
しばらく扉を見つめていたザイードだったが、む?と呟くと「あぁ、失礼しましたな」と言いながら再びベンに視線を戻した。
「貴殿も既に察しているでしょうが、今のままではアーニャ氏が地下牢から出される可能性はおそらく零に等しいでしょうな」
ザイードはそう言うとベンの反応を窺っていたが、特に反応が無いことから異論はないのであろうと当たりをつける。そしてベン自身「今のままでは」という一文に何か意図的なものを感じたものの、その言葉に特に異論は無く、黙ることでザイードに続きを促す。
「そうなれば貴殿の意に反してしまうのではないですかな?ですからどうにかしたいのでは、と僭越ながら愚考した次第ですぞ」
「お前ならどうにか出来ると?」
(貴方ならアーニャを助け出せるということですか?)
「うむ、その通りですぞ」
ベンは表には出さないものの、ザイードの言葉にアーニャ救出の可能性を見出し内心喜色満面であったが、相手が相手なので純粋に信じることが出来ない、という思いも同時に抱えていた。
(絶対に純粋な善意じゃないよな。悪意があって、ていうのは考え辛いけど・・・何か裏がある?いや、というよりも何が目的で俺に話を持ってきたんだ?そもそも何でこのことを知ってる・・・いや、これは今考えても仕方ない、か)
ベンの考えていることを知ってか知らずか、極めて打算的な表情を浮かべたザイードが口を開く。
「ただし相応の対価を頂きたいのですぞ」
「対価だと?金か?」
(対価ですか?お金ですか?)
対価という言葉に眉を顰めたものの、謎であったザイードの目的の一端、対価を欲しているということがわかり内心ホッと息を吐く。ここで対価も求めず純粋な善意だと宣おうものならば話しを聞くだけ聞いて断る心算だったからだ。そして一番現実的な対価であろう候補を挙げたものの、ザイードは苦笑いしつつ首を横に振った。
「そんなものには興味はありませんな」
「では何を「我は貴殿の感情の機微、その要因となったものを知りたいのですぞ」」
「なに?」
(え?)
ザイードが述べた対価が予想の斜め上、埒外のものであったことで一瞬思考停止してしまいそうになったベンは僅かに目を見開く。そしてそれを見たザイードは口元を三日月の様に歪めながら嗤った。
「端的に申しますとな、貴殿は本当にベン・ヒルウェストなのですかな?」
ベンの思考は本格的に止まった。




