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9.我儘の恐怖

 

 三日間の昏睡から目覚めた日の夜、体調が悪いという理由でいつもより胃に優しい少量の夕食を自室で食べた後ベンは一人である部屋を目指して廊下を歩いていた。その顔はいつにも増して険しくすれ違う使用人たちが不覚にも礼を忘れるほどであった。しかし考え事をしているベンはそのことに気づかず目線を足元に向けていた。


(俺の予想が当たっていて、これからすることが上手くいけばアーニャを地下牢から出してやれるかもしれない。そうすればこの面倒事も無くなるしミーシャさんも喜ぶ。それ以外にも今後俺が"ベン"として生きる上でのメリットは多い。それに純粋にアーニャを助けてあげたいって気持ちがないわけじゃない)


 目的の場所、"ベン"の父ドイルの私室の扉まであと数歩というときはたと足が止まった。それを見ていたドイルの私室を警護していた二人の女の衛兵は頭に疑問符を浮かべながら重厚な兜の隙間からベンを見ている。


(でもこれが失敗すれば・・・。いつまでかはわからないけどアーニャが地下牢暮らしなのは当然として、周りの俺に対しての違和感が致命的なレベルで増してしまう可能性がある。確かに俺の口調は今までとは違って淡白な感じにはなっているし違和感自体は抱いているだろうけど、発言の根本自体は今までと変わっていない、はずだからまだ問題としてはそこまで大きくないはず。だけどこれに関しては根本の問題。失敗すれば本当に俺は"ベン"なのかという疑念を抱かれて、良くてこれからの行動が制限されてしまうし、最悪"ベン"を騙った偽物という判断を下されて殺される・・・かもしれない。もしくは本当の"ベン"の居場所を吐かせるために拷問されるか、アーニャと同じく地下に幽閉されるか、もしくは・・・)


 最悪の結末ばかりが頭の中を巡り、僅かに指先が震える。顔を上げた先に見えるただの扉が恐ろしく思えてきてしまう。


(あの扉の先には破滅が待っていて、扉の両隣にいる衛兵はさながらその扉に誘う悪魔ってところかな。ノーブルウルフに襲われたときは突然の出来事過ぎてそんなに怖くなかったのに、安全地帯から自分で危険に飛び込んでいくことがこんなに怖いなんて思わなかった)


 頭の中で自嘲的な笑みを浮かべたベンだったが、軽く頭を振りここが正念場だと言わんばかりの表情で歩を進め衛兵に声をかける。


「お父様に要がある」

(すみません、ドイルさんに要があるのですが)


 今までベンの行動に疑問符を浮かべていた衛兵は一瞬ハッとした表情を浮かべた後、冷静に私室の扉をノックした。


「何の用だ」


「は!ベン様がいらっしゃっております!」


 室内にいるドイルへのハキハキとした返答が廊下に響き渡る。すると少しの間を置いて「と、通しても良いぞ」との声が掛かった。

 衛兵はその声にまたも威勢の良い声で返事をすると私室の扉を開け、ベンの為に道を空ける。


「失礼しますお父様」

(失礼しますドイルさん)


 ベンが室内に入ると正面の仰々しい机に備え付けられた、これまた仰々しい椅子に座ったドイルがこちらに目を向けた。


「な、何か用か?ベン」


 ドイルはいつもの少し怯えた様な表情で声を掛けたが、ベンはドイルが隠す様に引き出しに仕舞った薄く発光する水晶玉に目を奪われた。


(あの水晶玉は・・・"ベン"の記憶によると映像を記録することができる魔道具だったかな?何を見ていたんだろう)


 目についた魔道具につい思考を巡らせてしまっていたベンは「ベ、ベン?」というドイルの声にハッとなり本題を思い出した。


「失礼しました。お父様に話しておきたい事が」

(す、すみません。ドイルさんに話したい事があるんです)


「は、話したい事?わ、わかった。お前たちはしばらく他所の警備に巡ってこい」


 ドイルはベンのいつもの我儘が来るのではと生唾を飲み込みながらも、扉付近で待機していた衛兵に声を掛けて人払いをおこない続きを促す。

 一方ベンは内心一世一代の告白をするかの様な心持でありながらもそれをおくびにも出さず冷めた表情で口を開いた。


「あの庶子の女に関して」

(ア、アーニャのことに関してなんですが)


「しょ、庶子の女・・・?あぁ、アーニャのことか」


 庶子の女と言われて最初は理解が及ばなかったドイルであったが、ベンのいつもの言動からすぐにアーニャのことだと思い至り合点がいったという顔で頷いたが、態々自分の私室まで来てアーニャの話題を出したことに、ベンがさらなる罰をアーニャに望んでいるのではと推測しドイルは再度生唾を飲み込んだ。

 しかしドイルはベンの次の発言に今までの懸念が吹き飛ぶほどの衝撃を受けることになる。


「はい。簡潔に言うと、奴を地下牢から出して欲しいのです」

(は、はい。簡単に言うと、アーニャを地下牢から出してあげて欲しいんです)


「な、なん、だと!?」


 あまりの衝撃に思わず椅子から立ち上がってしまったドイルは動揺しながらも、その理由が気になったのか冷静さをなんとか取り戻し椅子に座りなおし、前傾姿勢になった。

 なおベンはそんな姿を見ても眉一つ動かさずじっとドイルを見つめていたが、内心は心臓が飛び出るほど緊張している。


「い、いや、しかし何故アーニャを地下から出して欲しいと?お前はあの子のせいであの様な目に遭ったというのに」


 ドイルの言葉に視線を床に落したベンは、僅かに握りしめた手に力を入れた。


(ドイルさんが言うことは尤もだ。ただここまでは想定内!理由もなくアーニャを地下牢から出してくれるとは思ってなかったし、はいわかりましたと出されても困る。よし、ここからが本番だ。少しの齟齬も許されないから口調も"ベン"が言いそうなものに合わせて変に言葉が変換されないようにしなきゃな・・・)


 ベンは視線を上げまたドイルの目をしっかり見据え、苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。


「お父様、私は許せないのです」

(お父様、私は許せないのです)


 ドイルは「許せない?」と少し怪訝な表情を浮かべる。


「はい。あの様な庶子の・・・醜く才も無い女がお父様の気を煩わすことが気に食わないのです」

(はい。あの様な、あー・・・庶子の女がお父様の気を煩わすことが気に食わないのです)


 意図しない暴言が上乗せされたことに多少の不安を覚えたベンであったが、概ね意味の合った言葉が己の口から出たことで良しとする。


「わ、私の気を煩わすことが・・・?」


 ベンの口から自らを案じる様な発言が出たことにドイルは目を丸くして背もたれにもたれかかった。

 ベンはそんなドイルの姿を意に介さず、さらに踏み込む。


「お父様、先程私の部屋で会った時物憂げな表情をされていましたね。あれは奴のことを考えていたからではないですか?」

(お父様、先程私の部屋で会った時物憂げな表情をしていましたよね。あれは奴のことを考えていたからじゃないですか?)


「そ、それは・・・。い、いやそれはお前が危険に晒されてしまったことに関してだな」


「嘘ですね。お父様はお母様があいつを地下牢から出す気はないと明言してから顔色が変わりました。お父様、本当はあいつを地下牢から出したいのではないですか」

(嘘ですね。お父様はお母様があいつを地下牢から出す気はないと明言してから顔色が変わりました。お父様、本当はあいつを地下牢から出したいのではないんですか)


「・・・そうだ。私はあいつを、アーニャを出してやりたいと思っている」


 ベンの言葉に知られたくなかったことを知られてしまったかのような、バツの悪そうな表情を浮かべていたドイルであったが、一瞬目を伏せた後滅多に見ない真面目な表情であっさりと認めた。

 そのことにベンはようやくスタート地点に立ったことを確信し、内心安堵の息を吐く。






 数時間前、ドイルとマリィがベンの部屋を退出した後、ベンはベッドに仰向けで寝ころびながら難しい顔で考え事をしていた。


(ドイルさんのあの表情。あれの意味は一体・・・)


 思い浮かべるのは先程のドイルの不甲斐なさを噛み殺したかのような苦々しい表情。その表情の意味を考える。


(あの時はアーニャを助けることができない不甲斐なさを感じているんじゃないかと思っていたけど・・・。俺が魔物に襲われて倒れてしまったことへの罪悪感だった可能性もある。というよりむしろそっちの方が可能性としてはあり得そうな気がするな)


 一縷の望みが物の数分で、確信もなく潰えてしまったかのような感覚になってしまったベンは天井を意味もなく睨みつける。

 しかしそれと同時にあのミーシャの姿が頭から離れてくれない。


(どうにかしてあげたいよな・・・。それにアーニャが地下牢に閉じ込められているっていうのは余りに寝覚めが悪すぎる。よし!もう少し、もう少し考えてみよう)


 気を取り直したベンは再び思考の海に潜る。


(取れる主な選択肢は今のところ三つだけ。

 1、このまま見捨てる

 2、形振り構わずアーニャを許してくれと頼む

 3、一縷の望みにかけてドイルさんと交渉する

 一つ目に関しては極力取りたくない。二つ目に関しては・・・ミーシャさんたちには悪いけど正直一つ目より取りたくない選択肢なんだよな。となると三つ目、になるんだよな。ただ三つ目に関しては前提条件から破綻している可能性がある。いや、前提条件に関しては今考えても答えが出るわけがないからそうである、と仮定するしかない。となると問題は交渉、どうやって違和感なくドイルさんを納得させてアーニャを救い出すかだよな)


 しかし事の難しさについ甘い楽な道を模索してしまうのは人間の性なのか、ベンも例に漏れず思考がそちらへ傾いていく。


(そもそもこの三つ以外にも何か選択肢は本当にないのか?もっとリスクがない、円満な解決策があるんじゃないのか?)


 だが浮かんでくるのは秘密裏にアーニャを地下牢から出してやる、共にヒルウェスト家から逃げる等という荒唐無稽なものばかり。


(たったの10歳か9歳そこらの子供が家を出てどうなる。まともに生きていける訳がない。確実に捜索隊が結成される。アーニャ一人であろうと俺と一緒だろうと。そうなると見つかるのは時間の問題だろうな。どこかに身を隠すにしてもそんな伝手もなければ協力者もいないし。今から作ろうにも二つ目の選択肢と同じく違和感を拭うことが難しい。・・・ん、ミーシャさんに頼めばいいのか?ミーシャさんならある程度の違和感があったとしてもアーニャを救い出せるんだ。下手に追及されることもないだろう。それにミーシャさんがいるならある程度生活もしていけるだろうし。手間は掛かるけど案外いい策なの、か?いやいや、冷静になれ。手間とメリットがリスクと割に合っていない。それに不確定要素が山積みだし、三つ目の案より細い綱渡りをすることになるし。そもそもどうやってバレずに地下牢から連れ出せばいいんだ・・・)


 ベンは軽く頭を振ると「やはり三つ目がリスクはあれども手間等を考えれば上等」と考え直す。そして改めて三つ目の案について思索する。


(まずはどういう理由でアーニャを地下牢から出すかだな。地下牢から出すことでより大きな罰を与えるためとか?いや、それじゃあ本末転倒だろう。逆に地下牢にいることが罰にならないと主張するか?それでもまた別の罰が与えられるだけ・・・。なら罰を与えることが自分の為、そしてドイルさんの為にならないという理由で・・・。そうか!ドイルさんがアーニャのせいで気を煩わせていることが気に入らないという理由でどうだ?"ベン"はドイルさんとマリィさんの気を引く為、喜んでもらうためという理由で我儘を言ったり行動していた。それに記憶の中ではドイルさんがアーニャに構うことで機嫌が悪く事があったよな。そのせいでドイルさんは必要以上にアーニャと関わらなくなったし。つまりこれを上手く利用すれば・・・!)


 目覚めてからずっと暗雲の立ち込めていたベンの心に初めて光明が差し込んだような気がした。そしてベンはそれに縋るかのように一心に考えを続けた。

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