8.動き出す闇
「我々の放ったノーブルウルフが倒されました」
夜の帳が下りた丑三つ時、古びた館の一室で貴族然とした少女と黒いローブを纏った女が声を潜めて会話している。一つしかない窓から差し込む月明かりに照らされた部屋には簡素な木の机と椅子、そして机の上に置かれた蝋燭の火が揺れているだけで他には何も無い。
片膝をつきながら少女にそう報告した女は、胸元から薄く発光する拳大の水晶玉を取り出した。
「こちらを」
そう言って差し出された水晶玉を受け取った少女はそれを覗き込んだ。そしてしばらくすると、眉を潜め「失敗ですわね」と呟きため息を吐く。
「それで、ノーブルウルフを倒しあの娘を守ったこの少年が“あの”ベン・ヒルウェスト様ですの?」
「左様でございます」
「なるほど。噂通り、いやそれ以上ですわね。男性でありながらノーブルウルフを消し飛ばす程の魔力、それに世の金銀財宝が霞む程の美しい容姿を併せ持っているだなんて・・・」
「欲しいですわ」と呟いた少女は、手で弧を描く口元を隠しながら黒いローブを身に纏った女に問い掛ける。
「しかしこの方が悪魔の子、ねぇ」
口元を隠していた手を頬に宛がい、悲しげな目を蝋燭の火に向ける。
「可哀想な方ですわね・・・。本当の悪魔の子はすぐ傍にいるというのに」
そう言うと少女は水晶玉に映るミーシャを抱きしめながら震えているアーニャに目を向ける。
「テレサ様、次はいかが致しましょう。もう一度魔物を放ちますか?」
女の提案に少女は悲し気な表情で首を横に振る。
「いえ、あなたも見たでしょう?やはり魔物の知能が高いと言えども他の罪の無い方々にまで被害が及んでしまいかねませんわ」
「ではどのようにしてあの娘を始末するのですか?」
「そうですねぇ・・・。腕利きの暗殺者を雇うとかヒルウェスト家の使用人を買収して毒殺、などどうですの?」
自信満々といった表情で提案したテレサだったが、今度は黒いローブの女が首を横に振った。
「既に実行済みです。しかし送り込んだ暗殺者は何者かに排除され一人も帰らず、買収した使用人も計画の実行前に姿を消し失敗しております」
「なんですって?そんな話聞いていませんわよ」
「当主様の命で極秘に、とのことでしたので。申し訳ございません」
「お母様の命令で・・・。わかりました。でしたら最終手段ですわ」
「最終手段・・・?」
「ええ。わたくし自らがあの娘、アーニャ・ヒルウェストと接触いたしますわ」
「な!い、いけません!」
今まで毅然とした態度を貫いていた黒いローブの女に初めて動揺の色が表れる。
「何を驚いているのです?なにもわたくしが直接手を下すのではありませんわ。あの娘が自ら死を選ぶのです」
「自ら死を・・・?」
「えぇ。あの娘も話せばわかるはずですわ。自分が生きていることがこの世界にどれ程の厄災をもたらすのかを」
「それは・・・。しかし我々が直接あの娘と接触することは禁じられております!どうかお考え直し下さい」
「お堅い人ですわね。レオーナ?物事は柔軟に考えなければいけませんのよ?」
そう言うとテレサは悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべ椅子から立ち上がり窓際に近づく。
「あの娘に与えられた猶予、16歳になるまでにわたくしはあの娘と会うことになるではありませんか。図らずとも、ね。あなたも忘れたわけではありませんでしょう?モンドールの貴族の子供は14歳から4年間マリアンヌ女王立学園に通わなければならないことを。わたくしが4年生となったときに彼女は新入生。そうなれば顔を合わす機会などいくらでもありますわ」
テレサは窓から吹き込んで来る春先特有の心地よい風に靡く薄いウェーブのかかった金髪を手で抑えて目を細める。
「ですのでそれまでわたくしはあの娘に対して何かする気はもうありませんわ」
そう言うとテレサはもう何も言うことはないという態度で扉に向かって歩を進める。しかしそれを「お待ち下さい」と言う声が制止する。
「僭越ながら申し上げますが、テレサ様がその様なお考えをお持ちでもその時まで当主様が悠長に待つ事は恐らく無いかと」
その言葉に扉に掛けていた手を止め鼻を鳴らす。
「でしょうね。しかしそれは致し方無いでしょう。わたくしはそもそもお母様から期待などされていないのですから」
そう言って自嘲したテレサは今度こそ扉を開けて薄暗い部屋から廊下へと出た。そして一つ息を吐き水晶玉にもう一度目を落とす。そこには森の中を必死に走るアーニャの姿があった。
「母親の罪を知らずに、それを一人で抱え込んで死ぬ事になるなんて、憐れな子ね・・・」
テレサの呟きは薄ら寒い、古ぼけた屋敷の闇に飲まれて消えた。
「ベンさ──ごめ──い・・・。ごめんなさい・・・。私が守──たのに。私が・・・」
(声が、聞こえる)
薄弱とした意識の中に聞き覚えのある声が流れ込んでくる。その声は悲しみと自責の念が入り交じったもので、ひどくベンの心を揺さぶるものだった。
(ミーシャさん、か?)
徐々に戻りつつある意識を必死に手繰り寄せ、ベンは体に力を入れようとする。しかし体はピクリとも動かない。
(クソ、体だけ他人のものみたいになって・・・あ、他人のものだったな。と言うか、ミーシャさんの声が聞こえるってことは無事だったのか?幻聴とかじゃないよな?)
そんなことを脳内で考えていたベンだったが、遂にうっすらとだが目が開いた。そこに映ったのは見覚えのある真っ白な天井、そして自身の手を両手で包んでいるミーシャの姿だった。
(無事、だったんだな。良かった)
目の前で大怪我を負ったミーシャが無事だったことに小さく息を吐き胸をなで下ろす。
「ベン、様・・・?ベン様!目が覚めたんですか!?」
その動作に気が付いたのかミーシャは伏せていた顔をはね上げ耳元で叫んだ。そしてベンの手を強く握りしめる。
「っ!大声を、出すな耳障りだ。あと俺の手に触れるな」
(うわ!あの、ちょっと声が大きいです。あと手が痛いんで放してほしいです)
突然のミーシャの大声と、見た目からは想像出来ないほどの握力による手の痛み、そして目を覚ましてから急に話したことによる喉の急激な渇きで微睡んでいた意識が完全に覚醒し、眉間に深い皺が寄る。
「よ、良かったぁ。もう目を覚まさないんじゃないかって不安で、不安で・・・」
そんなベンの抗議も届いていないのかミーシャはただフード越しに泣くだけで一向に手を放そうとしない。むしろ徐々に手の痛みが増していく。
「おい!手を放せと言ってるだろ!」
(痛い痛い痛い!)
ついに我慢の限界を越えたベンは自身の体を包む痛みと倦怠感を無視し、起き上がりながらミーシャの手を振り払う。
「す、すみません!気が付かなくて!気が付かなくて・・・?あ、ベン様、気が付いて本当に、本当に良かったです」
ベンの剣幕に一瞬驚きいつもの調子に戻ったミーシャだったが、自身の言葉によって再び顔を伏せて泣き始める。そんな姿にベンは耳と手の痛みについて思うことはありながらも静かに見つめる。そして喉の渇きを思い出し傍にあった水差しを手に取りそこから直接水を飲み、フッと窓の外を見た。
空はベンが意識を失った日の晴天とは違い暗く重い雲が覆っている。
(それにしても、俺が気を失ってから今日で何日経ったんだ?それにノーブルウルフを倒せたのか、ミーシャはなぜ無事なのか、そしてアーニャは無事なのか・・・)
ベンは未だに泣いているミーシャに申し訳ない気がしながらも声を掛ける。
「おい、俺が意識を失ってからのことを教えろ」
(俺が気を失ってからのこと教えてもらえませんか?)
さめざめと泣いていたミーシャは、ベンの質問に一瞬肩を震わせたものの、ポツリポツリと話し始めた。
ミーシャが言うには、どうやらベンが放った二発目のファイアーボールは無事ノーブルウルフを跡形も無く消し去ったものの、その直後膝から崩れ落ちピクリとも動かなくなり、ミーシャも出血がひどく意識を失ってしまう。
そこからはミーシャが目を覚ました後にアーニャから聞いた話らしいが、唯一無事だったアーニャは屋敷に助けを呼びに行き二人共屋敷に運び込まれた。そしてドイルはすぐに自身の領地にあるソフィアという町を任せているロレーヌ・グラスノーム女爵の娘で光の変換素質持ちのルーナを呼び出した。
その日の夜に到着したルーナの治療のおかげでミーシャは無事に一命を取り留め、次の日の朝に目を覚ました。しかしベンは目立った外傷が無かったにも関わらず、いくら治癒の魔法を掛けても目を覚まさなかった。だがそこにザイードが現れ、所魔力欠乏によるものでしばらくすれば目を覚ますと言ったそうだ。そして三日後の今日、ようやく目を覚ましたというわけだ。そして最後にミーシャは自身が女でありながらベンを守れなかったこと、危険に晒してしまったことを謝った。
(そうか、皆無事だったんだな。でも、三日も寝てたのか・・・。通りで体がダルいわけだな)
内心胸をなで下ろしたベンだったが、目の前にいるミーシャの顔色は優れない。そのことに疑問を持ったベンは息を吐き「どうした」と問い掛けた。
「あの・・・。ベン様にこんな事をお願いするのはすじ違いで、烏滸がましいことだと思うのですが・・・。でも私にはもうどうすることも出来なくて・・・」
そう言ってミーシャは佇まいを正しベンに見えるように土下座をした。
「どうか、アーニャ様を助けてあげてください。お願いします」
「なんだと?」
(どう言うこと?)
突然の土下座と無事だったはずのアーニャを助けてほしいというミーシャの頼みにベンは意味がわからず怪訝な顔をする。しかしミーシャは頭を下げたままで理由を語ろうとしない。
「目障りだ。顔を上げろ」
(あの、取り敢えず顔を上げてください)
いつまでもその状態でいられるのはベンとしても心地よいものではない。ミーシャは恐る恐る顔を上げ、口を開く。
「アーニャ様は今、地下牢に入れられているんです・・・。マリィ様の命令で・・・」
「お母様が?」
(マリィさんが?)
「はい・・・。アーニャ様だけ無事だったから、マリィ様はアーニャ様が一人で逃げたと思われて・・・っ!たった、一人でっ!だから!」
涙声で懇願するミーシャから顔を逸らし、ベンは天を仰ぎ内心で頭を抱えた。
(確かにアーニャの境遇は同情するし理不尽だと思うけどな・・・。どうしろって言うんだよ。確かに俺が許してあげてって一言頼めばどうにかなるかもしれないけど、今までアーニャに対して辛辣だった俺が突然そんなこと言えば不可解さしか残らないだろ。それにあの魔物に狙われていたのは多分アーニャだ。だから酷いとは思うけどアーニャが原因だとも言えるんだよな・・・。ただミーシャさんにこんなに頼まれて断るのも・・・)
どうしたものかと考え込んでいたその時、ベンの自室の扉が開き、ベンと似た容姿をした二人の男女が現れた。
「お父様、お母様」
(ドイルさんにマリィさん・・・)
「まぁベン!ようやく目を覚ましたのね!」
未だに意識を失っていると思っていたベンが声を掛けてきたことに驚いたマリィだったが、直ぐにベッドに駆け寄りミーシャを押し退けてベンを抱きしめた。
「はい、先ほど」
(えーっと、はい、さっき)
「良かったわ!本当に心配したのよ?もう大丈夫なの?体は痛くない?」
マリィはそう言うと心配そうにベンの顔を覗き込む。ドイルは抱きしめたりはしなかったものの、心配はしていたのかホッと息を吐いている。
(三日も意識を失ってたら流石に怖がってはいても心配してくれるのか・・・。よかったな“ベン”)
妙な感慨に耽ったベンだったが、マリィの次の言葉にまた頭を悩ませられることになる。
「で?なぜ使用人の分際であるあなたがここにいるのかしら?」
「っ!そ、それは・・・」
いつの間にかベッドから離れた場所に立って居心地が悪そうにしていたミーシャはマリィに見つめられ上擦った声を出す。そんな姿を見たマリィは目を細めミーシャを冷たい目で見る。
「まさか、あの小娘をベンに助けてもらおう、なんて考えでいるのではないわよね?」
その言葉に視線を数度彷徨わせたミーシャだったが、意を決したのかマリィを見据えて本日二度目の土下座を敢行した。
「マリィ様!どうか、どうかアーニャ様を許して頂けないでしょうかっ!」
決死の覚悟で挑んだ頼みも「無理ね」という淡白な返答に断ち切られる。
「マリィ様っ!どうしてですか!昨日説明させていただいた通りアーニャ様は意識を失っておられただけで一人で逃げたりなどしておられません!責任は私に!」
なおも縋り付くミーシャにマリィは一つ息を吐き、哀れなものを見るかのような目で見る。
「そんなことわかっていますわ」
マリィのその言葉に希望を見出したミーシャは顔を上げ「ではっ!」ともう一度アーニャの許しを求めようとしたが「でも」と言う言葉がそれを遮る。
「あなたは確かに言ったわよね?「魔物はアーニャ様を狙っていた」と。それにあの場所にあなた達がいた理由もね。さて、ベンがこうなった原因は誰にあるのでしょうね?」
「そ、それは・・・私です!私がアーニャ様に連れて行って欲しいと頼まなければっ!」
「いいえ、あの小娘の口から確かに聞きましたわ。「私がミーシャを誘った」と」
「う、嘘です!」
咄嗟にアーニャが嘘をついている、と言ってしまったミーシャの言葉にマリィは口角を釣り上げ嗤う。
「あら?ではあの小娘はわたくしに嘘を言ったと?それならもっと罰を与えなくてはなりませんわね」
「なっ!そん、な・・・」
八方塞がりとなったミーシャは悲愴感を纏いながら口を閉ざしてしまう。
「もう言うことは無いわね。それならこの部屋から出て行きなさい。あと、温情で役に立たなかったあなたを許してやったことを忘れない事ね」
マリィはそう言うと手で払う仕草をして退室を促す。ミーシャは一瞬ベンを見て何かを言おうと口を開いたが、結局何も言わず部屋から出て行った。
(ミーシャさん、ごめんなさい)
必死に頼んでくれたのに何も出来なかった不甲斐なさにベンは俯き手を握りしめる。そんなベンの様子に気付いたマリィは「まだ調子が悪いの?」と心配して問いかけてくるが「大丈夫です」と言うことしか出来ない。
しばらくベンに心配して声を掛けていたマリィだったが淡白な返事しか返ってこないことに諦めたのか「ゆっくり休むのよ」と言ってドイルと共に部屋から退室しようとした。その時、ベンの目に今まで一言も発していないドイルの顔が映る。その顔は何も出来ない無力感や不甲斐なさを押し殺した、今のベンのような表情をしていた。
(これは・・・)
曇天の隙間からうっすらとだが陽の光が射し始めた。
遅くなり大変申し訳ないです。
まあ待ってくれている方がいるとは思いませんが・・・。




