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第2話 黒い壁

「東の125坑道で崩落だ!」

 冒険者ギルドの扉が勢いよく開いた。

 飛び込んできた鉱夫の知らせに、朝のギルドがざわつく。

「怪我人は?」

「二人いるが、命に別状はない。全員救出できた」

「なら、何をそんなに慌てているんだ?」

「それが……崩れた岩の向こうから、妙なものが出てきたんだ」

 男は息を整え、続けた。

「真っ黒な壁だ。継ぎ目も傷もない。どこまで続いてるのかも分からねえ」

 掲示板を眺めていたラティスは、思わず顔を上げた。

 黒い壁。

 昨日の遺跡にも、似たようなものがあった。

「新たな遺跡か?」

「分からん。とにかく普通じゃない」

「どこの坑道だ?」

 奥から声がした。

 ロイグだった。

「東の125坑道です。新しく掘り進めていた場所で……」

「地図はあるか?」

 鉱夫が差し出した地図を、ロイグは机に広げた。

 ラティスものぞき込む。

 125坑道なら、何度か資材を運んだことがある。

「あの、ロイグさん」

「ん?」

「その道、もう使われていませんよ」

 ラティスは地図の分岐を指さした。

「今はこっちに新しい運搬路ができています。資材置き場を通る道です」

 鉱夫がうなずく。

「そうだ。最近広げたばかりで、地図を直してなかった」

「なるほどな」

 ロイグは少し考えたあと、ラティスを見た。

「今日は仕事が入っているか?」

「いえ、まだです」

「なら、道案内を頼めるか? 荷物も運んでほしい」

「もちろんです!」

 即答した。

 今朝見ていた運搬依頼は、どれも報酬が安かった。何より、また遺跡の調査に関われる。

「ただし、あくまで補助員としてだ。危険な場所には入らせないぞ」

「……分かってます」

 ロイグはうなずいた。

「よし。準備をしてくれ」


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 東の125坑道に着くと、入口には仕事を中断した鉱夫たちが集まっていた。

 普段なら岩を砕く音が絶えない場所だが、今日は妙に静かだった。

「ロイグさん、来てくれて助かった」

 現場の班長が駆け寄ってきた。

「状況は?」

「奥の掘削区画で崩落が起きた。怪我人は運び出したが、まだ中には誰も戻っていない」

「崩落の原因は?」

「分からん。ただ、前から妙な音がしてたらしい」

「音?」

「壁の奥で、何かが岩を叩いてるような音だ。作業を止めても聞こえていたって話でな」

 ロイグの表情が険しくなる。

「分かった。まずは様子を確認しよう」

 今回の調査隊は、ロイグ、カイル、エルナ、ギルドの調査員二人、そしてラティスだった。

「また一緒か」

 荷車を押すラティスに、カイルが声をかけた。

「昨日は崩れかけた支柱、今日は崩れた坑道。お前、実は疫病神なんじゃないか?」

「でもカイルさんがいるなら、何かあっても安心ですよね」

「へえ。言うじゃねえか」

 カイルは鼻で笑った。

「まあ、俺の後ろにいるうちはな」

「じゃあ、もしものときはお願いします」

「……お前、意外と図々しいな」

 ラティスはまた笑って荷車を押した。

 坑道に入り、何度か分岐を曲がる。

 やがて、立ち入り禁止の柵が見えてきた。

「ラティス。荷車はここまでだ」

 ロイグが言った。

「俺たちが奥を確認してくる。お前はここで待っていろ」

「はい」

 ラティスは荷車を止めた。

 また、ここまでか。

 少し残念だったが、昨日のように危険な場所へ入り込むわけにはいかない。

 しばらく待っていると、ロイグが戻ってきた。

「ラティス、測量道具を運んでくれ。作業場の入口まででいい」

「分かりました!」

 ラティスは測量棒と道具箱を抱え、ロイグのあとを追った。

 通路を曲がったところで、思わず立ち止まる。

「……なんだ、これ」

 目の前に、巨大な黒い壁が広がっていた。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 ラティスは荷物を下ろし、腰の魔石灯を取り出した。

 光を向けても、壁の上端は見えない。

 左右も岩盤に埋もれていた。

 昨日訪れた古い保管区画とは、規模がまるで違う。

 カルド周辺では採掘中に古い遺構が見つかることもあるが、こんなものは聞いたことがなかった。

「すごいでしょう?」

 隣に来たエルナが笑った。

「これ、全部ひとつの建物なんですか?」

「かもしれないわね。でも、もっと不思議なのは形よ」

「形?」

「この壁、よく見ると少し曲がっているの」

 エルナは記録帳に線を引いた。

「もしかしたら、巨大な曲面の一部なのかもしれないわ」

「……じゃあ、残りは岩の向こうに?」

「その可能性はあるわね」

 ラティスは改めて壁を見上げた。

 いったい、どれほど大きな建物なのだろう。

 黒い壁には傷ひとつない。周りの岩がこれほど崩れているのに、そこだけは何事もなかったかのようだった。

「エルナさん。この線、昨日の遺物にもありませんでした?」

 壁の表面を指さす。

 細い溝がいくつも走っていた。

「確かに似てるわね」

 エルナは記録帳を開いて確認する。

 ラティスは壁へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。

 足元には、立ち入り禁止を示す縄がある。

 これ以上近づけばロイグに怒られるだろう。

 それでも、目の前にこんなものがあって触らずに帰るというのは、どうにも惜しい。

「……少しくらいなら」

「何か言った?」

「いえ、何でもないです」

 ラティスは慌てて手を引っ込めた。

 そのときだった。

 ごん。

 低い音が響いた。

 ラティスは顔を上げる。

「……今、何か聞こえませんでした?」

「え?」

 ごん。

 今度は、さっきよりも大きい。

 音は、壁の奥にある暗い空洞から聞こえていた。

「ロイグ」

 カイルが剣に手をかけた。

「何かいるぞ」

 ロイグが魔石灯を向ける。

 奥は暗く、何も見えない。

 だが、岩を擦るような音が、ゆっくりと近づいてきていた。

 足元の小石がかすかに震える。

「……まずいな」

 ロイグは振り返った。

「全員、撤退だ。道具は置いていけ!」

 調査員たちが急いで出口へ向かう。

 ラティスも走り出した。

 しかし、背後の音が気になり、つい振り返ってしまう。

「ラティス! 前を向いて進め!」

「はい!」

 その直後だった。

 黒い壁に、淡い光が走った。

 細い溝が一瞬だけ輝き、すぐに消える。

「今のは……!」

 エルナが息をのんだ。

 次の瞬間、奥から激しい音が響いた。

 岩が砕け、地面が揺れる。

「来るぞ!」

 カイルが叫んだ。

 暗闇の中から、巨大な前脚が現れた。

 続いて、黒い外殻に覆われた巨体が姿を見せる。

 四本の太い脚。岩のように硬そうな背中。小さな目を持つ幅広い頭。

 全長は人の八倍近くはありそうだった。

「……嘘だろ」

 ラティスは立ち尽くした。

 見たこともないほど巨大な魔物だった。

 獣は前脚で地面を叩いた。

 ごつん。

 その振動を確かめるように頭を動かす。

 そして、こちらへ向き直った。

「全員、走れ!」

 ロイグの怒号が響いた。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 ラティスは必死に走った。

 前方では調査員たちが逃げている。

 エルナもすぐそばにいた。

 後方にはロイグとカイルが残り、魔物の接近を警戒していた。

「カイル、足止めできるか!」

「やってみる!」

 カイルが剣を構えた。

 魔物が身を沈める。

 次の瞬間、その巨体が恐ろしい速さで飛び出した。

「速っ!」

 カイルは横へ跳び、すれ違いざまに剣を振るった。

 刃が魔物の前脚に当たる。

 しかし、硬い音を立てて弾かれた。

「くそっ、硬い!」

 カイルが飛び退く。

 魔物は勢い余って岩壁にぶつかった。

 坑道全体が揺れる。

「倒そうとするな! 逃げるぞ!」

 ロイグが叫んだ。

「分かってる!」

 二人は魔物を警戒しながら後退した。

 ラティスは歯を食いしばって走った。

 あのカイルの剣ですら、傷ひとつつけられなかった。

 自分なら、逃げることしかできない。

 今は、それすら必死だった。

 出口へ続く通路が見えてきた。

 エルナは先に狭い場所を抜けている。

 ラティスも続こうとした。

 そのとき、背後で再び轟音が響いた。

 魔物が突進し、岩壁に激突したのだ。

 天井から石が降り、地面が大きく揺れた。

「うわっ!」

 ラティスはよろめいた。

 何とか体勢を立て直す。

 だが、足元から嫌な音がした。

 ぱきり。

 床に亀裂が走っていた。

「……まずい!」

 右側の岩が沈み始める。

 ラティスは慌てて前へ跳んだ。

 指先が岩壁の出っ張りにかかる。

 しかし、それも崩れた。

「ラティス!」

 エルナの叫び声が聞こえた。

 ラティスは必死に手を伸ばす。

 届かない。

「ロイグさん!」

 次の瞬間、足場が完全に崩れた。

 身体が宙に投げ出される。

 頭上の光が、みるみる遠ざかっていった。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 背中に衝撃が走る。

「ぐっ……!」

 ラティスは岩の斜面を転がり落ちていた。

 肩を打ち、左脚に激痛が走る。

 腰に提げていた魔石灯も、落下の衝撃で壊れていた。

 ラティスは頭上を見上げた。

 遠くに、小さな光が見える。

「……誰...か……」

 かすれた声で呼んだ。

 返事はない。

 そのとき、頭上で岩が崩れる音がした。

 光が遮られる。

 しばらくして音が止むと、完全な静寂が訪れた。

 ラティスは震える手を床についた。

 冷たい。

 指先に触れたのは、滑らかで硬い、黒い床だった。

 ――ここにも、古代の施設が...。

 ラティスの意識は、そこで途切れた。

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