妄執の果て
《1》
その夜エリオット・ベリアノ侯爵は機嫌良く王都内にある別邸へ、とある邸宅から帰宅し、侍従に世話をされながら、寝室へと入って行った。
同好の士たちと持ち合っている趣味のサロンを開く為のとある邸宅で、ゴブリン侯爵第2令息だったトリストと二月ぶりに旧交を温め合い、気持ちの良い汗をかけ、緊張をほぐすいい気分転換に成った。
騎士団時代のトリストは、新兵たちを厳しく躾けることに悦びと快感を得ていたが、昨年エリオットと再会した頃には、心境の変化か何処かで調達させた上背のある細身の少女を躾け直す事に生き甲斐を憶えているようだった。
トリストは騎士団を退団した後、王都に入ることを禁じられていた為、昨年エリオットのいるベリアノ侯爵領の領主館へ訪れて以降は、領の衛士として雇いエリオットの護衛として王都入りを果たしていた。 現在はとある邸宅内で生活していた。
金銭的なゆとりのあったエリオットは、苦渋を舐めさせられていた同期のトリストを助けられる自分に、僅かながら優越感を得ていた。
エリオットは侍従に身体を濡れタオルで拭わせ、着心地の良い薄紫の夜着を纏った。 それから寝酒のブランデーを侍従へと頼み、寝室に置かれている柔らかなソファーの背凭れに身体を預けた。
暫くして侍従はこなれた所作でブランデーの入ったデキャンタ―とブランデーグラスを銀色のトレーに乗せ、ワインテーブルに置いた。
エリオットは少し不思議に思った。 既にソファーへと座っているのにワインテーブルまで、侍従はわざわざエリオットを歩かせるのかと。
「ソファーの所で良いだろう。」
エリオットは不満を口にしながらも、無駄なことはしない侍従に従い立ち上がり、ワインテーブルとセットになった赤褐色の椅子へと腰を下ろした。
「エリオット様、来週本当に上申書を上層部会へと提出されるおつもりですか?」
「何を今更なことを。 アンジェリカの出産を手伝った女治療師。そして彼女と居た侍女を探し出せなかったのは、悔しいことだが仕方ない。 しかしお前がいるし、あの御者も居る。 それにアーサーを連れ去ったであろうあの裏稼業の男が、どれ程凶悪なスキルを使うか証人に証言させれば、騎士団を使ってわたしの息子を保護させれるだろ。」
「しかしエリオット様、義父であられる北の公爵閣下が何と仰るか。」
「ハン!あの売女と組んで、北の種馬を送り込んで来る奴のことなど知った事かっ!」
「はあ、仕方ありませんねぇ、エリオット様。」
侍従は、酷くやるせない音色の混じった溜息を吐き出し、トロリとした琥珀色の液体を注いだブランデーグラスを静かにエリオットの前へと、スルリと差し置いた。
エリオットは、グラスの脚を指で持ち芳醇な香りを楽しみながら、トロリとしたブランデーを口に含み愉しんだ。
いつものブランデーよりコクと甘みをエリオットは感じた。
もう直ぐ銀華とわたしの子が手に入る。 上申書とわたしの証言を上層部会が受け入れたなら、きっと王家が隠して居るマナ鑑定スキル使用者を用意して下さるだろう。 そうすれば銀華とわたしの子が、正しき親子だと王会の方々も認めて下さるだろう。 英雄白銀の騎士の血とわたしの血が1つに成り新たに正しい血脈が作られて行く。 偽りの歪みが銀華とわたしの子によって正されて行くのだ。 そして王会の方々に訴えるのだ。 あの売女たちの薄汚い穢れを、、ぉ。 そうしてやっと、、、、、うぅ、、、おっ・ま・えぇ、、、なっ、、、。
エリオットの意識は薄く曖昧になり、鼓動が酷く遅くなっていった。
やがて混濁していくエリオットの目は開かれたまま淡い薄桃色の瞳から光が失われていった。
「私も、こんなことはしたくなかったよ、エリオット。 これでも私は、君の血の繋がった父親だからね。 しかししょうがないよ。 万が一、マナ鑑定スキルを君の娘に使われることになったら、ランドル・ディ・ボレアリス公爵閣下が酷く困ることになるからね。勿論、前公爵閣下も。 あの口の軽い母親をエリオットが顔色1つ変えずに始末した時、私は感心したのだけどね。 やはり公爵閣下から余り近くない血の娘は、品が無くて使えない。 ベリアノ前侯爵の女の趣味が分からず、北の公爵家から縁の在る年頃の娘は、アレしか居なかったのが残念だった。
それにしてもベリアノ侯爵家の者達は、瞳色に拘り過ぎるから、結局次代に繋げる直系がゼロになる。 ボレアリス公爵家のように、色味より必ず直系の血の者で周りを固める方が、血脈が続いて行くだろうに。 結局は、先代のベリアノ侯爵が、最後の直系だったのだな。 さてエリオットの後始末が終わったら、長生きし過ぎている前公爵閣下の元に帰るか。 父上のご尊顔を拝しに。 しかしエリオットはイイ感じに壊れていてボレアリス公爵家としては助かっていたのだが。 公爵家の方々が無茶をする時の良い目くらましだったのだがなあ。」
目を見開いたまま、ワインテーブルに突っ伏したエリオットの瞼を侍従は右手で閉じ、淡い薄桃色の瞳を隠した。
侍従は親指と中指で、スキルで作成したメガネの位置を整えた。 そのメガネの下に、少し青みを刷いたエリオットに似た淡い薄桃色の双眼が光っていた。
ケネス王家の血を引く者は、紫眼が多いとされていた。
《2》
急な発作で倒れたエリオット・ベリアノ侯爵の一報が入り、次週予定されていた上層部会が中止になった。 エリオット本人が部会議ではかられる上申書を届けられないからだ。 守秘義務を前提としている為、基本的に代理人は認められていなかった。
元々、予審で上申書の訴えをエリオットから聞かされていた者の多くは、上層部会を開くことに後ろ向きだった為、安堵の声を漏らしていたメンバーが殆どだった。
殊に今回の訴えで孤児のアーサーを実子と見做した場合、ベリアノ侯爵夫人の実父が剛腕と呼ばれた北の公爵、ランドル・ディ・ボレアリス公爵を敵に回しかねないと、流石の上層部の面子もやや緊張していたのだ。
『エリオット・ベリアノ侯爵が倒れたのは、もしかして──────』
その言葉が上層部たちの脳裏を過ったが、言葉にするモノは誰も居なかった。
その四日後、薬師や治療師たちの懸命な努力も虚しくエリオット・ベリアノ侯爵は永眠した。 享年41歳であった。
葬儀の後、ベリアノ侯爵家の次期後継者は、12歳長女にしたいと悲しみに暮れる28歳の若きベリアノ侯爵夫人・マデリーンは、沈痛な面持ちで語った。
送別会場で葬列者たちを取り仕切っている1人は、茶髪茶目のマデリーンの若き侍従であった。
八月終わりの蒼く高い空には、白い雲がたなびき始めていた。
《3》
晩夏の頃、草木も眠る丑三つ時。
此のところすっかり足が遠のいていたブラウニー医院の裏口から、先触れを出して置いたトニーに扉を開けて貰い、飄々と老人姿のヴィが邸内へと入って行った。
ヴィは別に、異母弟のローランドや不思議スキル少女のジーンを避けていた訳ではない。
単純に多忙だったのだ。
今夜、いやもう朝と呼んでおこう。 ヴィが、ブラウニー医院を訪れたのは、「てめぇ、北の公爵!てめぇが殺ったのだろう。ふざけやがって!」と可愛いローに愚痴りたいからであった。
王城の離宮で嫁や息子にボヤける話題でもないので、深夜に部下(ジョエル宰相)を呼び出し、〔お達者ヴィ爺さん〕に化けさせて貰ったのだ。 ヴィンセント王弟殿下40歳であった。
裏口から勝手知ったる廊下を進み、地下への階段入り口を隠した木製ドアを開き、トントンと階段を下りまたドアを潜れば、眠そうな顔をしたローがゆったりとした豪奢な長椅子でへばっていた。
金髪の頭を乗せたいたクッションからローは僅かに顔を上げた。
「ヴィ、眠い、、、。」
一言掠れた声でローが呟き、またポスンと頭をクッションに沈めた。
「明日には伝わってくると思うが、ベリアノ侯爵が亡くなったぞ、ローよ。」
「、、、はぁっ!!」
「と、云う訳でアーサーの件は心配無用だ。アッチも当然なくなったしな。」
「、、何で死んだのだ?まさかヴィが、面倒に成って侯爵を殺したのか?」
「あのな、ロー。わたしだって一応王会の一員で摂政を姉上から賜って居るのだぞ?面倒な位でいちいち人を殺すか。誰かを救うのに邪魔だからって敵を殺すどっかの不思議スキル使う少女と一緒にするな。」
「別にジーンは邪魔だから罰した訳じゃない。許せなかっただけだよ。奴隷商や関わっている連中が。」
「はぁローよ。わたしが悪かった。ジーンの話を出すとローは面倒な奴だったのだな。今更だが。」
「ぐぅ。それより死因は?」
「心臓発作で倒れて4日後に亡くなり、昨日の午後に葬儀だった。惜しい人とは思わないが、冥福は祈ろう。 慌しく簡素なものだったそうだ。 遺児になる令嬢たちが落ち着いてから、日を改めて送別会を催すそうだ。 はぁ、北の公爵様は、ムカつく位手際が良い。」
「えっ!?殺ったのって北の公爵?まさか孫娘可愛さに?」
「あの男にそんな情緒はあるとは思えないが。 まあベリアノ侯爵家は押えて置く価値があったのだろうな。ほんと嫌な一族だ。 先月チャッカリ傲慢な隠居じじいからヤリ手の息子に変えやがっているし。」
「でもベリアノ侯爵は、読めなかったのかな? 余り良い噂は聴こえて来ないけど、ベリアノ侯爵は貴族として生きて来たのだろ? アーサーを実子として後継にしようとしているなんてバレたら、制裁を受けるとか分かりそうなモノだろ?」
「まあ、わたしが聞いていた噂と違い、本当はベリアノ侯爵と北の公爵との関係は悪かったのかもな。北公爵の後押しで、ベリアノ侯爵は順風満帆と社交界で言われて居たからな。」
(エリオットは気付いたのかもな。自分の娘は公爵家の縁者が父であると。ああ、守秘義務がかかっている状態なら、父親から申し出でを受け、娘にマナ鑑定スキルを使えたのに。 しかし上申書のことは、いつバレたのか? 上層部の皆は外部に漏らすようなことはない。 ベリアノ侯爵もそれは理解しているだろうから、アーサーを実子で嫡子にすると言う離れ業を上層部会に、はかろうとしたのだろうしな。 やはりベリアノ侯爵側の内部にいるのか。上申書の守秘義務違反は重罪だぞ?)
エレノーラの何気ない問いで、北の公爵が珍しく開けていた穴を突けるチャンスだと考えて居たヴィは、あっけなく塞がったことに気を落とす暇もなく、次の手を考え始めるのだ。
現在、マナ鑑定スキルの使用は過去の反省を顧みて、本人の希望、16歳未満は後見人の希望無くしては使用を禁じられている。また使用時は同席する者たちは守秘義務契約を結ぶことに成って居る。そしてマナ鑑定スキルを使用する事の正当性を訴える上申書を上層部会に申しこまねければならない。
しかしその敷居はべらぼうに高く、上層部会が上申書の正当性を認めることは殆どない。と言われている。
マナ情報は、個人が唯一全ての情報を有する権利を持つ。
と言う認識が強く共有されている為である。
特に権力者側は、強要してはならないと言うのが、血族重視の純血主義末期時代からの反省である。
「そういえば、まさかとは思うがベリアノ侯爵の上申書のことをローは誰かに漏らしては居ないな?まあジーンは他で話さないだろうし彼女自身が話せない事柄だから大丈夫だろうが。」
「あっ!」
ローは気まずそうにヴィーから視線を外し、トニーが入れてくれていたグラスに入ったブランデーのソーダ割りをゴクゴクと喉を鳴らして飲み出した。
「えーと。アーサーの本命の父親ニコラス・キャメロン副団長に。 何で上層部の上申書の事を知っているんだと注意されたけど。 まあ、つい。」
「はぁ。ローは今までこんなポカはなかった、、とは言えないが、わたしが情報源であることを忘れるなよ。 知らない人間と話す時は、先ずトニーに相談しなさい。 いいかい?ロー。」
「悪かったよ、ヴィ。 でもヴィのその言い方は勘弁してくれ。 俺はもう31歳なの! 未成年の子供じゃないからな!」
「わたしからすれば、ローはずっと変わらないがな。」
「いいよ、もう。」
拗ねてそっぽを向きグラスを煽るローの姿は、ヴィからすれば少年めいて微笑ましく見えた。




