9. 徘徊少女
教会の保管庫にある、壁に取り付けられた整然と並ぶ薬棚をムタは漁っていた。今朝から自己回復能力を促す強力な薬草を探していたのだが、あまりにも使う機会がないため、運悪く在庫を切らしていた。代替品はないかと、ムタは作業机の脇に固めた本を引っ張り出して頁をめくったが、どれもこれも近辺にあったかと頭を悩ませる。森は迷いやすいため、司祭でも滅多に外れた道へは行かないのである。
「ムタ、こんなところに居たんだ。」
ひょこりと扉の隙間からシェルマが顔を出す。
「良いところに来たね。これ、見覚えあるかい。」
シェルマがムタに近づくと、ムタは見やすいように、本をシェルマの方に寄せた。
本の図表にムタが右手の人差し指を置く。『レイカソウ』という、青白い五枚の花弁を持つ小さな花である。
「散歩しているときに見たよ。これ凄いの?」
「自己回復を促すならかなり上等なものだよ。根を煎じて飲ませれば、あの男の治りもよくなるだろうさ。」
「おぉ。」と瞳を輝かせてシェルマは感嘆の声を漏らす。
「ところであんた。また森の中を徘徊したね。ここいらにこれは生えていないはずだよ。」
シェルマは無言で笑みを浮かべる。シェルマの趣味は森の中の散歩、もとい徘徊である。森は入り組んでいて危険で、外部からやって来た者は森で彷徨うか、気付いたら入り口に戻されているかである。 森の正式名称は『ハハヴの森』であるのだが、俗称として『迷いの森』と揶揄されることがほとんどである。
ムタにじっと見られて観念したのか、シェルマはいつもの反論として申し訳なさそうな顔をしながら「私、今まで帰れなかったことなかったし。」と唇を尖らせて徘徊の白状をする。
ムタは保護者として娘の無鉄砲さには困り果てていたが、今回ばかりはその無鉄砲さに目を瞑ることにした。それはそれとしてため息はついた。おしとやかにとは言わないが、危険なことはしないで欲しいのがムタの本音である。強く言っても聞かないので伝えようがないものである。シェルマが森で迷ったことがないのは事実で、迷子を連れ帰った実績もある。嫌な成功体験を積んだ若者に、止めなさいは効きづらかった。
「しょうがないね。じゃあシェルマ、あんたに一つお使いでも頼もうかね。」
ムタは立ち上がって保管庫の隅にある藁で編まれた籠をシェルマに渡した。
「レイカソウをこの籠いっぱいになるまで摘んでおいで。」
勢い良く「わかった!行ってきます!」と保管庫から飛び出ようとしてシェルマをムタはひっ捕まえる。まだやることが残っていた。
「動物除けの呪いをかけてやらないとね。ツェカル。」
〈ツェカル〉は動物避け、と言いつつ、光の屈折で他者から自分の姿を捉えづらくする魔法である。完全に隠れ潜むことはできないが、それでも道中で野犬に襲われる確率はぐんと減る。ムタはそれをシェルマの額に右手の人さし指を置いて唱えた。
「ありがとう。もう行っていい?」
「いいよ。途中で転ばないよう気をつけるんだよ。」
シェルマは元気よく返事をしたあと、今度こそ保管庫から機嫌良さそうに退出した。ムタは、今の忠告が意味を持つ日が来るよう願った。親の心子知らずである。ただ、シェルマがムタをどう思っているのか、ムタがシェルマをどう思っているのか、互いに伝えたことはなかったので、多少仕方ないところもあった。




