10. 林檎と短剣
ハハヴの森の中にひっそりと村が一つだけ存在する。村の名は『トラン村』。村と外部との繋がりは、城から派遣されて村に駐在する司祭のムタと、たまに来る行商人程度で、ほとんどのことは村のなかで完結している。
村は、元締めである村長夫婦、畑作農家二軒、養鶏農家一軒、鍛冶屋一軒、釣り師兼狩人一人程度の手狭で少数の人員で出来上がった場所だった。平均年齢も五十で、鍛冶屋の息子が一人城下町で商人を初めてしまったので若者はシェルマ一人だけである。
「シェルマ、例の色男は目が覚めたのかい?」
昼間の挨拶をして、畑作農家の恰幅のいい御婦人、トトが話しかけてきた。シェルマがムタに頼まれて午前中に謎の男について言いふらしたので、村の全員が男の話で持ちきりなのである。色男という言葉については、若い男だからとふざけて村の女性陣が呼んでいるだけである。男の姿はシェルマとムタ以外、まだ誰も見ていなかった。
「目は覚めたんだけど、身体が痛くてお話出来なさそうなんです。お見舞いは今度の方がいいと思います。」
「そんなに状態が悪いのかい。なら、怪我人に良さそうなものをまた色々見繕わないとね。あんた、お使いがあるみたいだし、あとで村の皆に伝えとくよ。」
ちなみに村全員が男の話でもちきりなのは、久々に知らない人間が現れたのもあって盛大におもてなしをしてあげようと張り切っているからである。祭り事や楽しいことが好きなのはトラン村の村民の特徴である。
「それにしても、若い上に回復も早いとは。まさか本当に色男が来たのかい?」
「トトおばさんの色男の基準って、畑仕事を余裕でこなせる人のことでしょう。」
トトがその問いに豪快に笑った。トトとしてはそれが半分、美丈夫の意が半分ある。
「シェルマにはそういう話はまだまだ早いみたいだね。うちには若い男もいないし。」
恋愛話には無縁の少女に対して、トトは人生の年長者としていつかは楽しい恋の話をしたいと思っていた。そうした一人の為のささやかな祭り事が起こるのは、シェルマが村の外に出ないと難しそうである。かと言って、シェルマは村を出る気はなさそうだし、とトトは頭を悩ませる。
「何、色男と会えるようになったら色々教えてあげるよ。」
年齢が離れすぎてなければ何か面白いこともあるかもしれない。そんな小さな期待がトトの胸中に在った。このご婦人のお節介な心根を、子どものシェルマはまったくわからず、何か教えてくれるらしい、くらいのトーンで有難く受け取った。まだまだ人間初心者らしい、子どもなのである。
トトは「仕事の邪魔をして悪かったね。」と先ほど取ったらしい林檎を一つシェルマに渡した。道中おやつにして食べなさい、とのことである。
「食べたら感想聞かせてね。」
「はーい!」と元気よく返事をして、二人は別れた。林檎を籠に入れて、シェルマはてくてく歩きだす。折角なら、ムタか、男が食べられるようになったら一緒に食べたいななどと考えながら。
*
シェルマが村から出て森に入ろうとすると、木の上から名前を呼ばれた。シェルマが声のする方を向くと、粗雑に髪を切った狩人兼漁師のギムジンが、太い枝で器用に横になっている姿が目に入った。彼の日課は、昼寝か狩猟の道具を作ることである。ギムジンは慣れた動きで木の上からシェルマの隣へ降り立つ。
「一人で出かけるなんて珍しいな。森に入るのか?」
まだ嗄れる前の若々しい調子のいい声でギムジンは尋ねた。
「そうなんです。非常に重大な任務をムタからもらったんです。」
シェルマは得意気に、男が起きたこと、治療のために『レイカソウ』を取りに行くことを教えた。
「薬草取りならオレも手伝うし、場所を知りたいっちゃあ知りたいが。」
ギムジンは付いていこうかと考えたが、目の前の少女が自分の仕事に息巻いているのを感じたので、今回はその意思を尊重することにした。魔法も掛かっているようだから、という理由込みでの選択である。
「またシェルマに教えてもらうとしよう。栽培出来れば上々だしな。では、任務に行くお嬢さんに一つこれを渡しましょう。」
どちらかと言えば義賊の身なりのギムジンだが、背を丁寧に曲げて 紳士のようにシェルマにあるものを差し出した。
「短剣?」
手渡されたのは動物の皮鞘に納められた短剣である。子どもでも使いやすい、軽く小さなサイズであった。
「お前素手で行こうとしていただろう。薬草は根っこまで掘らなきゃ意味がない。これを使って土を掘るなりするんだぞ。まぁ何かあれば使う護身用の意味もあるが、出来そうなら何か捕まえて持ってきてもいい。あと一匹くらい兎でも捕ろうか悩んでたところだからよ。」
「殺生なんてお願いしたらムタさんにどやされるか。」と言ってギムジンは笑った。
「ギムジンさん、私が司祭になりたいの知ってるでしょう。必要なら手伝いますけど、聖職者の狩りは厳禁なんですよ。」
「見習いにすらなってないんだから今のうちは何したっていいだろう。司祭なんて堅苦しい仕事なんてしてみろ、ムタさんみたいにしわくちゃになるのも時間の問題だぜ。」
シェルマは大人たちのこういう話が不思議だった。見習いにすらなってないんだから、そう言って大人たちは何でもシェルマにやらせたがる。シェルマはそれにどうしてだろうと思いながらも応える。聖職者になりたいってみんなが知っているはずなのに、応援はしてくれるものの真剣に掛け合ってくれない感じが、シェルマを戸惑わせていた。
「うーん。そう言うなら狩りは考えておきますね。ギムジンさんありがとう。」
シェルマは答えに迷ったときは取り敢えず「はい」と言うことにしていた。人間は自分の提案を受け入れてもらうと喜ぶ生き物だと思っているからである。あと、村人たちは良い人だと確信しているので、彼らの言葉や行動は自分のためになるとシェルマは信じていた。
「お土産の兎は適度に楽しみにしていてください。」
「適度に楽しみにしとくよ。」
こうしてシェルマはムタから貰った籠、トトの林檎、ギムジンの短剣を持って村から出発した。




