11. 兎
村から離れて歩くこと五分。緑の木々の合間を呑気に気の赴くままにシェルマは歩いていた。シェルマは実のところレイカソウの場所は一切覚えていない。前歩いたときは一時間くらいかかったなくらいのことを思っているだけで、道とか全く覚えていない。そしてそれの心配はしない。徘徊の達人シェルマ曰く、誰かが道案内をしてくれるのでそんな心配は無用とのことだった。
「今日は分かりやすいのですね。」
揺蕩うほんのりと光を帯びた青い蝶が一頭、シェルマの方へふわりと飛来した。止まり木の代わりにとシェルマは左手の人差し指を差し出すと蝶は指に止まって羽を休める。いつもは小さな気泡程度の光が自分を案内してくれるのだが、珍しいこともあるのだなとシェルマは思った。
蝶は再び舞い上がりシェルマの周りを何回か回ってから、前方に躍り出た。こちらにおいで、というように蝶はひらひらと光の鱗粉を撒く。
シェルマは蝶の案内に従って進んだ。入り組んだ森の構造に恐怖を感じることなく、奥へ奥へと向かって行く。
*
一五分ほど経った頃、森の道端に獣の姿が見え始めた。鹿、狐、栗鼠、鳥、よくいる面子である。彼らがシェルマに気づく様子はない。ムタがかけてくれた〈ツェカル〉のおかげだろう。光の錯覚が、シェルマの姿を透明にする。
兎はいないかな、と辺りをちらちらと辺りを見回しながらシェルマは歩く。野兎自体は珍しくないので、たまにひょこひょこ跳んでいる姿を見かける。
シェルマが耳を澄ましながら、森の息遣いを感じていると、離れたところから低く唸るような短い鳴き声が聞こえた。シェルマは、あぁ、あんなところにと、浮遊する蝶を一旦無視して鳴き声のする方へ向かった。
昼間の熱も、森の中だと涼しいものとして浄化されていく。
少女は軽やかな足取りで、ただ足音が鳴らないよう、少しだけ足を地面から浮かせて標的のいる方に向かう。
標的は、草花を咥えて、地面の上で横になっていた。野兎は、茶色の毛並みを帯びており、身体が丸々としていた。
シェルマは野兎に近づいて様子を観察した。息を止めて、生物としての気配を隠す。数十秒兎をじっと見る。しばらくしてシェルマは、これは無理だと、狩りを諦めることにした。兎は、母親になっているらしかった。そのため、少女は、腹に赤子を抱えている母親の生命を奪うのはよろしくないと考えたのだ。ギムジンも言っていた。自然が循環するために、命を減らさないように、必要な分だけ獲るのが、森に住むものの決まりであると。等と、他人から得た立派な建前で理由を並べてはみたが、シェルマにとって一番の理由は別である。
食べても仕方ないから。
人としてどうなのだろう。シェルマは、自分に利益があるなら兎を狩っても良いと思っていた。だが、兎を目の前にして、やはり利益がなかったので命を奪う機会を手放すことにした。村人が喜ぶことはシェルマにとっては利益なのだが、小さい兎一羽程度では、喜びの対価と兎の命は天秤にかけられないと思った。
肉が好きなら狩っていたかもしれないが、シェルマは肉が好きとか嫌いとか答えられない性質の生き物だったので、もしもの話である。少女にとって、糧になりもしないものに執着するのは結構難しいことだった。
蝶が気は済んだのかと尋ねるように、シェルマの頭上からひらひらと鱗粉を撒いた。シェルマは踵を返して、足を地面に付けて再び歩き始める。野兎は巣作りのために、腰を上げて草花を咥えたまま巣穴に戻っていく。シェルマは兎の営みに対して、生きているのだなと、端的な感想を抱いた。




