12. 狼との戯れ
青々とした緑が日に照らされて森の中は白昼夢の光景だった。全体の輪郭がぼんやりとして、幻想的な空間に吸い込まれていく。
蝶に導かれるまま進んだ先には、薄っすらとした青白い光を纏った白い花畑が視界いっぱいに広がっていた。レイカソウの花畑である。
この間見た光景のこれだった、とだけシェルマは思って、花畑の中央へ向かう。少女は綺麗なものとか美しいものとかに興味はないらしい。
シェルマは根から掘れと言われたのを思い出して短剣を腰に取り付けた皮鞘から取り出した。花の根元を優しく指の間で挟み、様子を見ながら掘り進める。必要なら水を召喚して地面を濡らしながら、籠いっぱいに花を入れていく。
「ん?」
蝶が必死に羽をはためかせるのが視界に入った。どうしたのかと、蝶に声を掛けようとしたとき、横から何かがシェルマに飛び掛った。
何かの慣性で、そのまま少女は身体を地面に押し付けられた。急な衝撃で掴んでいた短剣は手から離れ、遠くの地面に落ちた。何かと少女の目が合う。物陰から現れたのは、黒と白が混じった灰色の毛並みの、シェルマと同じくらいの大きさの狼であった。獣はシェルマの腹の上に堂々と爪を立てていた。少女の服の下から血液が滲み出す。
狼は少女が抵抗しようか考えている間に、爪で少女の腹の服を切り裂いた。腹が減っているようで、瞳が血走り、息遣いも荒かった。
狼は鋭利な牙を剥き出しにすると、少女の腹のところに顔を埋めて歯を突き立てた。肉が抉れて、赤い血潮がどくどくと花畑に溢れていく。少女は、痛みによって顔を歪ませるとか、よくあるそういった変化は一切なく、表情は村から出たときの、男を発見したときの無機質なものと同じままだった。
「困りました。服が破れたまま帰ったら何を言われるか。」
シェルマの困り事はそれだけだった。あの優しい養母と村人たちを真に心配させるわけにはいかないのである。
シェルマは狼の左足を右手で掴む。狼は獲物が唸りもせず事切れもしていないことへの違和感に漸く気付いて、血走った目から理性の光が宿り始めた。甘い苹果の香りが花畑に充満する。
「人の味を覚えた動物は倒していいとギムジンさんが言っていました。ほかの方が襲われたらそれは私にとっての不利益です。」
なので、と付け加えて、シェルマは遠くに放られた短剣を風に乗せて宙に浮かせた後、狙いを定めて空中からグサリと狼の腹に刃を刺した。狼が痛みで唸ると、短剣をまた抜いてもう一度、もう一度、何度も短剣で狼の皮膚を切り裂いていく。
「眠らないこともそういえばありましたね。悪いことをしました。」
狼はシェルマの手を振り払って、咄嗟に腹から退いて後退した。
少女は起き上がって、全身傷だらけの生き物を見つめた。少女の身体は既に傷が塞がっており、破れた服の隙間からは傷跡すら残っていないことが確認できた。
少女は狼の身体を風で掬い上げる。こうなればひと思いに、大きな風で対象を切り裂こうとしたときだった。
麗しい嘶きの後、狼の腹が輝かしい角によって貫かれた。
聖獣エトワ。右の角が折られてしまった、光の神の眷属である。




