13. 生物的な行動に敬意を
「司祭になりたいのでしたら、あまり感心しませんね。」
シェルマの脳に、柔らかな女性の声が響いた。その声が、麗しい鹿の声だと気づくのにそう時間は掛からなかった。
襲ってきた狼は花園の隅で横たわっていた。息は既に絶えてしまっている。後で弔ってやらないと、とシェルマは思った。狼の死体を見ると、腹を突かれた怪我人のことが頭の片隅にちらついた。あの男はやはり身体が鉄でできているのではないだろうか、と漠然とシェルマは考えた。
聖獣エトワは血を振るい、身なりを正すとシェルマの方へ向き直る。シェルマの方は大凡、鹿の正体に見当が付いていた。
「聖獣……。」
目の前の鹿はシェルマの呟きにコクリと頷いた。
神話に登場する光の神、リュミノクの眷属。見た目も描写の通りに、大きな身体が薄っすら光り輝いていて、角に光が集積しているので、本物なのだろうとシェルマは思った。
「助けてもらったことになるのでしょうか。」
「命の話であれば私は助けたことにはならないでしょう。あなたの尊厳であれば、守ったことにはなるかもしれません。聖職者になるなら、後ろ暗い過去は、出来るだけない方が良いですから。」
「私の夢が猟師だったら良しとしましたか?」
「もちろんです。私は何もしませんでしたよ。」
聖獣エトワの言い分にシェルマは納得し、「助けていただきありがとうございます。」と感謝を述べた。
それにしても、何故私の夢を知っているのか、見た目は雄なのに女性の声なのは何か理由でもあるのだろうか、などとシェルマの中には様々な疑問が生じた。しかし、それより気になることがあった。
「右の角はどうかされたのですか?」
聖獣エトワは、豊かな睫毛を持った瞳を細めて無言になった。左の角は仰々しく光を帯びているのだが、右の角は欠けており、黒曜石の断面のようになっていた。聖獣は何かに憤っているが、体裁を保つために黙っている様子だった。
「鹿は角が生え替わりますものね。」
「生え替わると、願っています。」
一息置いての返答だった。聖獣と言えど、悩みは人並みにあるのだとシェルマは思った。
「敬虔な信徒なら貴方に教えを乞うのでしょう。ですが、今は怪我人の治療をしている最中ですので、これにて失礼したいです。」
シェルマはあまり敬虔な信徒ではないのである。聖獣を見て感嘆のため息すらない。目の前の生物に構っている暇があったら怪我人の治療をするのが合理的で正しい判断だと、シェルマは思っていた。
せっかちとも言えるシェルマの行動を制するように聖獣は少女に語りかけた。
「その格好で帰るのは本意ではないでしょう。焦らずともあの男は死にませんよ。異常に丈夫なのが取り柄のようですから。」
何かに怒っていますか?とシェルマが聞くと、怒っていませんよとエトワは返す。異常に丈夫、の発音に含みがあるように感じたシェルマは、聖獣は怒っているのだろうと思い、深入りはしないことにした。
「血は自分でどうにかできますが、服は枝で破いたと誤魔化せばいけるはずです。」
誤魔化せたとしてムタに叱られることは確定だなと思いながら「おそらく。」と付け加える。
「淡々とした声でヤンチャなことを言いますね。トランだとあなたは子どものように振る舞うのでしょうね。」
エトワは目の前の少女の真意を正しく図ることはできないが、今の生活に満足していそうなことを嬉しく感じた。実際に満足しているかどうかは、エトワの物差しで図って良いかは疑問ではあるが。
エトワは居直して、シェルマに告げる。
「ついてきてください。服を直してあげましょう。以前ならこの場でもできましたが、角が折られて、未明から魔力の集積がしづらいのです。誤魔化すにせよ、トランの狩人に見られたら何があったか見透かされますよ。」
シェルマは、確かにギムジンに見られたら説教どころでは済まなさそうだと少し悩んで、わかりましたと聖獣エトワについていくことを決めた。
「エトワ様。」
「エトワで構いませんよ。」
神だの聖職者などというものは上下関係に有無を言わさないお堅い連中だとばかり思っていたので、少しだけ意外に思いながらシェルマは遠慮なしで続けた。
「では、エトワ。あの狼を弔いたいのです。飢えていたとはいえ、私を狙ったのは不幸としか言いようがありません。その不幸に報いてみたいのです。」
「トランの司祭は優秀ですね。ええ、構いませんよ。手慰み程度ですが、丁重に葬りましょう。」
聖獣は、精霊に何かを願って、花園の隅の木に穴を掘らせた。それが勝手に穴が削れていくように見えるから魔法というのが不思議に見えるのである。シェルマは哀れな狼を抱えて、その穴に埋めた。墓標としてまだ柔らかい土の上にレイカソウを添えてやる。
「天の国で幸せになれますように。」
お決まりの文句を言ってもういいとエトワに視線を向けると、エトワは頷いた。
短剣を水で綺麗にしてやってから革鞘に戻し、花籠の中に林檎を入れて、シェルマは聖獣のあとについて行く。光る角を持った鹿に先導されて、森の最深部へと少女は向かった。




