23. 冬の鍛冶屋、美しい細工
神々の内、最後の一柱が地上を去り、神の国へ戻ってから、七六八年の時が過ぎていた。
ガーディットが息を吐くと白い煙が昇っていく。彼がトランに来てから、季節は夏から冬へ移り変わっていた。
ガーディットはジルハの工房で掃除手伝いをしている最中だ。炉に溜まった煤や灰を払ったり、床や壁磨きをしたりして、既に身体は黒く汚れている。ジルハはその作業を横目に、資材置き場の整理整頓や愛用の道具を磨いて時間を過ごしていた。
これは、男がトランに滞在してから数度目の光景であり、互いの勝手も分かってきたため、無闇に語らずとも呼吸が合った仕事を両者はしていた。
陽の光が景色を鮮やかに照らし出す時間になる。仕事は半分終わっていた。そこで雑談ついでに、ジルハはガーディットに話しかけた。
「そういやガーディット。お前さん、金はいくら貯まったんだ。」
「三六ゴールドは貯まった。居候のおかげで全額貯金が叶ってる。」
ガーディットがトランで働き始めてから三か月が経過していた。掃除、農業、牧畜、狩猟、村の警備、経理の手伝い等、完全に村の何でも屋の地位を獲得した男の月給は月一二ゴールドに固まりつつあり、田舎で暮らすなら十分な金額をもらうようになっていた。
「実家暮らしの間違いじゃないか? シェルマと並んでみろ。端から見たら兄妹にしか見えないぞ。」
「あんな喧しい妹はこっちから願い下げだ。」
ガーディットはそう言って、工房からジルハの室内に繋がる扉の方を見る。ガーディットが掃除手伝いをしている間、シェルマは中でジルハの妻と一緒になって裁縫の手伝いをしていた。自分と一緒にいるときは騒がしいのに、村人といるときは存外静かにしているため、何が違うんだと彼は内心ため息をついていた。
ジルハはガーディットの様子を見るなり、にかっと笑う。
「仲が良さそうで何よりだ。それにしても、月に換算して一二ゴールドか。手伝いの収入としては上々だが、このまま行くと……永住する気になったりは。」
「しない。」
鎧の修繕費用は二○○○ゴールド。単純計算で年一四四ゴールド溜まったとして約一四年の歳月を必要とする貯金速度である。
「そうか。楽しそうだけどな、お前さん。」
「好きに受け取ってくれ。俺は煙突を覗いてくる。」
ガーディットは誤魔化すように外に置かれた梯子を持って屋根を上った。ジルハの問いを否定する気にはなれなかったが、答えると何かが崩れてしまいそうで答えられなかったのだ。自分は傭兵で、組織の私兵で、任務を遂行中の身である。水に合わない場所と自覚しながら、そこに居座る覚悟は当の昔に固めていた、今更それを辞めたくなって、本当に辞めて脱走兵になったとしてどうする。男は幸福な自分の姿を思い描こうとすると思考を停止して息が詰まりそうになった。幸福は彼にとって、受け取り難いものだった。
*
「ジルハさん、ガーディットさん、お疲れ様です!」
掃除を終えて、身体の汚れを落としてからジルハの家に入ると、シェルマの元気のいい出迎えが男二人を歓迎した。少女の後ろには、妙齢で品の良い、線の細い女性が椅子に座って「お疲れ様。」と入口に向かって柔らかい笑顔を向ける。
「クレイ、そっちは順調そうだな。」
ジルハは家に上がると、妻の作業机に置かれた品々を見た。
美しい細工が施された装飾具、それら数十種類が、ずらりと机上に並べられていた。銀細工や色硝子が組み合わされた髪飾り、細かに成形された金を繋ぎ合わせてできた指輪、染めた布で作られた花をあしらった耳飾り等、一つとして同じものはそこの存在しなかった。
「私の製図通りに物を作れる腕利き職人がいますからね。」
可愛い女の子もお手伝いさんで来ましたし、と付け加えてクレイはシェルマの頭を撫でた。満更そうでもない様子でシェルマは大人しくクレイの手を受け入れる。ガーディットは、その光景が母親に甘える子どものそれに見えた。ただ、同時に違和感も覚えたので、どうしてかと思考を紐解いていくと、この少女が物理的に甘やかされている光景を始めてみたことに気が付いた。ムタは保護者ではあるが、母親役をやるつもりはないらしい。確かに、二人が愛のある家族らしく抱きしめ合っている状景は考え難かった。
「それを城下で売るって話だったよな。」
ガーディットは、これは城下の女性は勿論、一部の貴族でも欲しがりそうな代物だと目を見張った。
その様子を見て、クレイは口元に手を当てて小さく笑った。
「他にも刺繍のある手袋とか売るのよ。ムタさんが城下へ行くついでに、いつも息子のところへ卸してもらうの。」
「あいつに便宜を図ってもらうみたいで俺は癪なんだが。」
ジルハは髭を触りながら眉を顰める。温厚な鍛冶職人が珍しく苛立っているので、ガーディットは親子喧嘩の気配を察した。
「この人、まだ拗ねてるのよ。息子が鍛冶屋を継がず、商人になると言って村から飛び出したのが本当に気に入らないみたいなの。」
「だってよぉ。ちびの頃は鍛冶職人になるとか言ってたのによぉ。こんなになるまで修行してたのによぉ。」
ジルハはしょぼしょぼとつぶらな瞳に口惜しさと若干の憤りを滲ませながら、自分と同じ背丈くらいに右手を挙げて振った。要は成人してから独り立ちしたことを、ジルハは訴えたいらしかった。
「でもね、あの子のおかげで収入自体は増えたのよ。」
「それも気に食わねえ。実際、手に入る鉱物の質も上がって、大助かりなのが気に食わねえ。」
「おまけに嫁さんまでいつの間にか出来てるしよ。」などととやかく言いつつも、行っている取引自体は互いに生計を支え合っている仲睦まじい親子のそれにしか見えない。ガーディットはそう思ったが、傷心中の職人かたぎに下手なことを言うものでもないと思い、黙ることにした。
「ガーディットさん、もしかしたら息子に会うかもしれませんね。今度、ムタさんたちと一緒に城下に行くのでしょう?」
「そうなんですか?」
「そうなんですか!」
ガーディットが疑問を呈し、シェルマは嬉々として驚きの声を上げた。
「あら、てっきりそうなるものかと思って。だっていつも一緒にいるし、お手伝いもしてるんでしょう。」
「どうなんでしょう。でも馬車の護衛さん雇うの、そこそこ高く付くみたいですし。」
発言を終えてからシェルマはきらきらとした瞳でガーディットを見上げた。ガーディットはこの少女との間にある奇妙な縁、命を救われ、秘密を共有された経験はあれど、仲が深まった実感は一向になかった。あるとしたらそれは実に表面的なもので、会話は弾むし、遊びに付き合わされることもあるのだが、共に城下町に出かけることを積極的に望まれるのは二人の関係性としてはズレている気がした。
「妙な期待をするんじゃない。雇い主が依頼すれば引き受けるが、そうでなければ留守番だ。」
冬になったため獣は滅多に出なくはなったが、見張り番の仕事もないわけではない。そこそこ村人たちとの信頼関係を築いてきたガーディットではあるが、一応部外者であることに変わりはない。実績のない人間に護衛という重役を任せることなどあるのだろうか。そのような思考がガーディットの中で繰り広げられていた。




