贈り物さがし
もうすぐ、四年目の結婚記念日だった。
屋敷の中でそれを口にする者はいない。
誕生日も、記念日も、この家ではこれまで特別なものではなかったからだ。
少なくとも、夫にとってはそうだった。
妻の誕生日を知っていても、祝ったことはない。
結婚記念日も同じだ。
日付は覚えている。忘れたことはない。
だが、何かを贈ったことも、言葉をかけたことも、一度もなかった。
それなのに妻は、毎年欠かさなかった。
夫の誕生日には、まだ小さな屋敷でメイドだった頃から、少し手の込んだ料理を出してくれた。
大きな屋敷へ移ってからも、祝いの言葉だけは変わらず口にしていた。
自分は何ひとつ返さなかったくせに。
だから今年は、贈りたいと思った。
書斎でひとり座っていても、そのことばかり考えてしまう。
何を贈ればいいのか。
今の妻が本当に喜ぶものは何か。
以前の自分なら、値の張る装飾品でも命じるように渡して終わりだっただろう。
だが今は、それではだめだとわかっていた。
派手なものはいらない。
妻はもともと、きらびやかな飾りを欲しがる人ではない。
むしろ、日常の中で静かに身につけられるものの方が似合う。
けれど、何がいいのか決めきれない。
そんなある日だった。
夫が書斎で書類を受け取ったとき、夫に仕える若い男性使用人の手元にふと目が留まった。
書類を差し出したその左手、薬指に細い指輪が光っていた。
夫は何の気なしに尋ねる。
「それは何だ」
男性使用人は少し驚いたように手を引きかけ、それからすぐに姿勢を正した。
「こちらでございますか」
「ああ」
「結婚指輪でございます」
夫はその言葉に、わずかに目を細めた。
「結婚指輪」
「はい。妻と揃いのものです。派手なものではありませんが、毎日身につけております」
言いながら、その男はどこか少しだけ照れたように微笑んだ。
その表情が妙に自然で、夫の胸に残った。
揃いのもの。
毎日、身につけるもの。
夫はそこでようやく気づく。
結婚して四年になろうとしているのに、自分たちにはまだそれがない。
妻と自分を、夫婦として静かにつなぐ形が、何ひとつなかった。
あるのは名前だけだ。
地位だけだ。
だが日々の中で互いが確かめられるようなものは、今まで持とうとすらしなかった。
「……そうか」
夫は短く返し、男を下がらせた。
だがそのあともしばらく、視線は自分の左手に落ちていた。
結婚指輪。
派手ではなく、日常にあるもの。
妻にも、自分にも似合うもの。
今の二人にこそ、ふさわしい気がした。
決めた。
今年は、指輪を贈ろう。
妻と自分の、揃いの結婚指輪を。
休みの日、夫はひとりで出かけることにした。
指輪探しは、サプライズにしたかった。
妻に相談すれば、おそらく「私は何でも」と微笑んでしまうだろう。
あるいは遠慮して、自分の望みを口にしないかもしれない。
それなら、今の自分が選びたいと思った。
その朝、支度を整えて玄関へ向かうと、妻が見送りに来ていた。
クマのぬいぐるみは今日は部屋に置いてきたのだろう。
そのかわり、両手を前で静かに重ね、夫を見ている。
以前よりずっとやわらかい顔だった。
夫は外套を整えながら言う。
「昼すぎには戻る」
妻は小さく頷く。
そして、昔と同じ丁寧な響きで言った。
「いってらっしゃいませ」
そのひと言が、夫にはどうしようもなくうれしかった。
ただ見送られるだけで、胸があたたかくなる。
少し前までの自分なら、そんな感覚は知らなかった。
「ああ。行ってくる」
そう返して、夫は屋敷を出た。
店は何軒か回った。
宝飾店に並ぶ指輪は、きらびやかなものも多かった。
宝石の大きなもの。細工の凝ったもの。目を引くもの。
けれど夫の求めるものは、どれも少し違った。
妻に似合うのは、もっと静かなものだ。
日常の中で自然に身につけられて、手元を見たときに、ただそこにあることが心を満たすようなもの。
そして自分もまた、同じものを身につけたいと思えるもの。
ようやく最後に入った店で、それを見つけた。
細身で、派手さはない。
表面の光沢も控えめで、けれど光が当たるとやわらかく指になじむ。
飾り気はほとんどないが、そのぶん、毎日つけても違和感がない。
妻の細い指にも似合うだろうし、自分の手にも不自然ではない。
店員が説明する。
「こちらは装飾を抑えておりますので、日常使いしやすいお品でございます。
ご夫婦で長くお使いになる方が多うございます」
夫は二つの指輪を見比べた。
一つではなく、二つで完成するもの。
並べてこそ意味を持つもの。
まるで今の自分たちのようだと、ふと思った。
「これにする」
そう告げると、店員は丁寧に頷いた。
サイズは、妻のものについて少し悩んだ。
だが過去に装身具を整えさせた際の記録を控えさせていたことを思い出し、それをもとに確かめた。
かつては所有のために把握していたことが、今は贈り物のために役立つのが皮肉だった。
支払いを済ませ、小さな箱を受け取る。
その重みは軽い。
けれど夫の胸の中では、思っていた以上に大きかった。
車に戻ってからも、何度もその箱に目が行く。
開けるわけではない。
それでも、そこに妻との指輪が入っていると思うだけで、心が落ち着かなかった。
早く見せたい。
早く妻の指に通したい。
そして自分も同じものをつけたい。
そんなふうに思う自分に、夫は少しだけ苦く笑う。
ほんの数年前まで、妻に何かを与えることに、こんな期待や喜びはなかった。
物を贈るなら、それは支配の一部でしかなかった。
今は違う。
これを贈るのは、自分たちが夫婦であることを、これから先の日々の中で静かに確かめたいからだ。
同じものを身につけ、食事をし、眠り、歩き、同じ季節を見る。
そんな当たり前のことを、もう失いたくないからだ。
屋敷へ戻る道すがら、夫の胸は妙に落ち着かなかった。
仕事の時のような張りつめた緊張ではない。
もっと明るく、期待に近いものだった。
妻はどんな顔をするだろう。
驚くだろうか。
微笑むだろうか。
それとも、静かに泣くだろうか。
考えるだけで、胸の奥があたたかくなる。
もうすぐ四年目の結婚記念日。
これまで何ひとつ祝わず、返さずにきた自分が、ようやく初めて贈るもの。
それが結婚指輪であることに、夫は深い意味を感じていた。
車窓の外には、冬の終わりの景色が流れていく。
その中で夫は、小さな箱をそっと掌に包みながら、妻とのペアリングを心待ちにしていた。




