一緒に生きる
寝室へ入ると、妻はもう眠たそうだった。
クマのぬいぐるみを抱えたまま、夫に手を引かれて寝台の端へ腰を下ろす。
その動きには、以前のような強い緊張がなかった。
疲れはあるのだろう。旧家から戻り、久しぶりに今の屋敷で過ごした一日は、穏やかであっても決して軽いものではなかったはずだ。
夫は寝具を整え、冷えぬようそっと妻を横たえる。
妻は逆らうことも、ためらうこともなく、静かに寝台へ身を預けた。
そして驚くほどすぐに、眠りへ落ちていった。
クマのぬいぐるみを胸元に抱えたまま。
寝息は浅くなく、苦しげでもない。
ただ、安堵しきったように穏やかだった。
夫は寝台の脇に腰を下ろし、その寝顔をじっと見つめる。
よく眠っている。
それだけで胸の奥がほどけるようだった。
少し前まで、妻は夜ごと怯え、ひとりは怖いと掠れた声で夫の服を掴んだ。
目を覚ましても無表情で、呼びかけにさえ反応を返さなかった。
それが今は、自分のそばで、何の言葉も要らぬように、安心して眠っている。
少しずつ、元気になっている。
表情も。
言葉も。
反応も。
まだ完全ではない。
戻ったわけでもない。
それでも、確かに少しずつ、妻はこちらへ戻ってきている。
夫は深く息をついた。
その安堵と同時に、これまでの自分の行いへの後悔が、改めて胸へ押し寄せた。
こんな当たり前のことを、なぜもっと早くできなかったのか。
同じ部屋で眠ること。
安心して手を握ること。
ただそばにいて、恐がらせずに、穏やかに夜を越えること。
それは本来、夫婦としてごく自然なことだったはずだ。
それなのに自分は、支配することばかりを覚え、傍に置くことと寄り添うことの違いさえわからずにいた。
食事もそうだ。
妻はいつも立っていた。
夫に仕え、皿を整え、飲み物を注ぎ、自分は席につかなかった。
それを当然のように受け入れていたのは、自分だった。
一緒に寝ず。
一緒に食事もせず。
それでいて、そばにいることだけを望んでいた。
どれほど身勝手で、どれほど愚かだったのか、今さらになって痛いほどわかる。
夫は寝台の端に座ったまま、眠る妻の頬を見つめる。
やわらかい寝息。
抱きしめるように腕の中にあるクマのぬいぐるみ。
少しだけ穏やかにほどけた表情。
そのすべてを前にして、夫は静かに決意した。
これからは、同じベッドで眠ろう。
妻が望むならではない。
自分がそうしたいのだと、今はもうはっきりわかっていた。
そして、食事も一緒にしよう。
少なくとも、もう妻を立たせたままにはしない。
同じ席に着かせる。
同じものを食べ、同じ時間を過ごす。
夫婦として当たり前のことを、今度こそ当たり前にしたいと思った。
遅すぎるかもしれない。
それでも、今からでも。
夫はそっと身を乗り出した。
眠っている妻を起こさぬよう、髪に触れぬよう、頬へ影を落とさぬよう、慎重に。
そして静かに、その唇へ口づけを落とす。
熱のある奪うような口づけではない。
支配を示すためのものでもない。
ただ、愛していると、今さらながらまっすぐに伝えたいと思って触れた、やわらかい口づけだった。
離れたあとも、妻は目を覚まさない。
安らいだまま、眠り続けている。
夫は少しだけ微笑み、そっとその横へ身を横たえた。
起こさぬよう距離を測りながら、それでも手を伸ばせば触れられる場所に。
寝室は静かだった。
今の屋敷の中で、こんなにも穏やかな夜が訪れるとは、少し前の自分には想像もできなかった。
夫は薄い闇の中で、眠る妻を見つめながら、もう一度だけ胸の中で繰り返した。
これからは、一緒に眠る。
一緒に食事をする。
一緒に生きていく。




