表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/30

舞台から降りて


 槍が投げられた。芝生に刺さって、判定は白。距離は五十五メートルだった。


 選手は一瞬、悔しそうな表情を作ったが、その感情をギュッと固めて蓄え、次の投擲(とうてき)のエネルギーへと変換するように平静さを取り戻す。


 五十五メートルという距離はすごいが、それを悔しがれる選手はもっとすごいし、それを糧にすぐさま次を見据えられるのはもっともっとすごい。俺は二つ目を得ることがどうしたってできなかった人間であり、次はもうない。


 反対側のフィールドでは女子の走高跳が行われていた。まだ予選なので見所なんてどこにもない。軽々と決勝に残る選手は、たった一回か二回、他の選手には跳べない高さを跳んで抜けてしまうのだ。


 ホームストレート側のトラックから、ハードルが片付けられていった。


 次はいよいよ、男子百メートルの決勝だった。


 本当なら俺も今頃は、招集場所から移動して、トラックの外の待機場所でスパイクを履き、最後の調整をしていたはずなのに、こうして観客席から見ていることしかできない。


 俺は準決勝で敗れてしまった。組み合わせの妙があったので、他の組で出場していたなら、タイム的には決勝に出れていたが、上位争いに参加できるほどの実力は持ち合わせていない。つまり、運に恵まれていたとしても、結果は準決勝敗退とあまり変わらなかったと思う。


 高校の三年間、いや中学の三年間と小学校高学年の二年間も合わせれば、合計で八年間を陸上競技に捧げてきた結果がこれだ。


 きっかけは小学生の頃の徒競走だった。いつも最後の組で、六年間一位を独占した。俺には短距離走の才能があるんだと思っていた。


 中学生になって、当然のように陸上部へと入部した。初めての出場した大会で自分より速い選手がいることを知り、そして負けた。でも、練習をしたら秋の大会では余裕で勝てた。やはり自分には突出した才能があるんだと思い込みは強くなった。


 高校生になると県大会にすら出場できなくなっていた。練習していれば速くなるということもなく、成長はまるで感じられない。周りはどんどん速くなって、その背が遠のいていく。立ち止まっているどころか、後退している気分にさえなった。


 そうして悟ったのだ。俺は他より体の成長が早かっただけなのだと。急激に背が伸び、比例するように筋力がついて、体格がよくなっていっただけだった。それを才能や努力と勘違いしていたわけだ。


 実際は、才能も努力も、まして情熱や熱量も何もかもが足りていなかった。


 その証拠に思い出されるのは、中学の頃に選ばれた県の指定強化選手で、合宿に参加した時のことである。


 いつもと違う環境、選手、コーチ、そして経験したことのない練習量に、俺はただただついていくだけで精一杯だった。


 ようやく練習が終わってストレッチをしているところに、同じ短距離の選手が言った。


「もう一セットいくけど、誰かやる?」


 いくわけないだろ。馬鹿なのか。吐きそうなくらいしんどいのに。頭の中ではそう考えながら、「俺もいかなきゃ」と心が分離していた。結局、俺は動けなかったし、追加でもう一セットやったのは十数人いる中で三人だけだった。


 あそこで妥協した自分の弱さが、今でも胸に残っている。


 その時、その瞬間から、俺は彼らに負けていたのだ。


 しかもその三人は、この決勝の舞台で、今まさに優勝争いを繰り広げている。


 たった十数秒の攻防が幕を閉じた。


 走り終えた選手たちはトラックから出て一礼し、腰ゼッケンを外してスタッフに渡している。


 スパイクを脱いで、選手同士、健闘を讃え合っている様子が見えた。


 なんで俺はそこにいないのだろう。


 四×百メートルリレーもマイルリレーも予選落ちしているので、本当の本当に、俺の部活動はここで終了である。


「終わりかぁ」


 言葉にしてみると、案外なんでもないようでいて、胸にはぽっかり穴が空いている。


「ミーティングするから戻ってこいってさ。って、なんで泣いてんだよ」


「泣いてねーよ」


 目元を拭って鼻をすする。席を立つと、椅子が勝手に折り畳まれて、俺の席はもうどこにもないと言われたみたいだった。


「で、なんで泣いてたん?」


「泣いてねーって」


「いやいや無理あるでしょ」


「……まあ、もうちょっと頑張ればよかったなって」


「あれ以上って、多分死ぬんじゃね?」


「いや、なんかこう、色々と工夫できたと思う」


「ストイックすぎ」


「ま、もう終わったことだけどな」


 そう。もう終わったことだ。


 これからは選手ではない。まして、観客席にすら戻れない。


 舞台から一足先に降りてしまったのだから、後悔も置いていってしまおう。


 ——あ、そうか。悔しいのか。


 俺はようやく大事なものに気付けた気がした。


 もっと早くに気付けていれば、何かが変わっていたかもしれない。


 立ち止まっていた足が、一歩、前に進んだ感覚があった。


 今からでも追いつけるだろうか。追い越せるだろうか。


 そんな思いも、舞台の上に置いたまま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ