四回目の告白を②
アラームが鳴っていた。
ゆっくりと意識が覚醒して、蒼太はスマホを手に取った。
蒼太はいつの間にかベッドに入って眠っていたらしい。
アラームを止めて大きくあくびをし、目を閉じて、再びスマホを見ると遅刻寸前であった。
「やっべ!」
ベッドから飛び起きた蒼太は急いで支度をして家を出た。
学校に間に合うかどうかなど考えている暇もない。
ただただ全力で自転車を漕いで、あとはなんとか間に合うようにと祈るばかりだ。
「セーフ」
駐輪場に到着した時に予鈴が鳴り、本鈴が鳴るより先に教室へとたどり着く。
「ギリギリじゃねーか」
教室のドア近くに席のある一樹が、息を切らして入ってきた蒼太に言った。
「マジで焦った」
蒼太は苦笑いを浮かべて短く応じつつ、時間がないのでそそくさと自分の席へと行く。
「おはよっ」
その途中、席を横切る京華へ声をかけた。これがなければ蒼太の学校生活は始まらない。
だが、返事がまったく返ってこないばかりか、京華は蒼太の方を見向きもしなかった。煩わし気に眉間にしわを寄せるだけで、開いた小説の活字に目を走らせている。
いつもなら「おはよう」と燦燦と輝く夏の太陽のような声が聞けるはずなのに。
蒼太は自分が何か気に障るようなことをしたのかと不安になった。
さらに不思議なことに、京華へ挨拶をしたタイミングで、教室がシンと静まり返っていた。
わけも分からないまま自身の席へと着いた蒼太は、近くにいる友人に話を聞こうとしたが、折よく本鈴が鳴り、先生がやってきてホームルームが始まってしまった。
流れるように開始した一時限目の授業を悶々とした気持ちで蒼太は受けた。
その昼休みのことだった。
結局、今朝の出来事について聞くタイミングを逃していた蒼太はそのことをすっかり忘れ、ついいつものように京華を昼飯に誘った。
「チッ。話しかけんな」
返ってきたのは舌打ちと拒絶であった。
京華は席を立って教室を出て、蒼太は呆然と立ち尽くしていた。
蒼太のライフはゼロだった。告白をしてフラれた時以上の衝撃で心は粉々に砕け散っている。今日中の修復の目途はまるで立たない。
じわりと瞳に涙の滲む蒼太を「ちょっとこい」一樹が背中を押して廊下へと連れ出した。
「お前、何やってんの」
一樹の声は明らかに怒っていた。もしかしたら、借りていたドラクエのセーブデータを上書きをした小学六年生の頃より怒っているかもしれない。
「何って、飯に誘っただけじゃん」
「それがおかしいんだって。あの雅京華だぞ?」
「あのって、どのだよ」
「……朝のことと言い、今日のお前なんか変だぞ」
「俺からしたらお前らの反応の方が変なんだけど」
一樹は顔をしかめながら何かを言いかけてしかし、「この話は帰りにしよう」周囲を窺ってそう告げた。
「とりあえず購買で何か買おうぜ」
「あ、ああ、いいけど」
一樹のもったいぶったような態度に不満気な蒼太だったが、自分の知りようもないことが起こっているのはなんとなく気が付いており、大人しく放課後を待つことにした。
蒼太は先に校内の掃除を終え、駐輪場で一樹が来るのを待っていた。
真っ暗なスマホの画面に映る自分の浮かない顔を見ながら、蒼太は薄々勘付いていることが言語化されていくのを他人事のように感じていた。
白紙ノートの効果は本物だったのではないか。
過去三回の告白が消えたことで、現在に影響が出ているのではないか。
そしてその影響は、限りなく最悪に近いものになったのではないか。
ノートのルールを思い返す。
なかったことにした過去は、基本的に元に戻すことはできない。
つまり、四回目の告白どころではなくなってしまったこの現状は変えられない。
スマホの画面にメッセージが表示されて、蒼太は我に返った。
『ぜんぜん既読つかないけど大丈夫?
なにかあった???』
それは華蓮ちゃんからのメッセージだった。
そういえば何件か溜まっていたなと思い出してアプリを開いたのと、一樹が駐輪場へやってきたのはほとんど同時だった。
「おまたせー」
「おう。帰ろうぜ」
蒼太はスマホをポケットに入れて、いつも通り自転車を押しながら帰路へと着いた。
学校から少し離れて、周囲に知り合いがいないことを確認した一樹は、「昼休みのことだけど」と話を切り出した。
「その前に確認なんだけど。蒼太は雅京華のことどう思ってる?」
「どうって、好きだけど」
「それは人として、それとも恋愛的な意味で?」
「どっちもだけど、一応、恋愛的な意味で」
「なるほどな」
「一人で納得すんなよ」
「んーまず、俺は雅京華が嫌いだ。
あの鼻につく態度と俺たちを見下してんのを隠そうともしない感じが、めちゃくちゃむかつく。
親が大物政治家だからって小中と好き勝手やって、そのくせなんで公立校に通ってんだよって話。
お嬢様なら大人しく私立に行っとけよ。
というか俺だけじゃなくて、クラスの全員が嫌いか関わりたくないって思っていると思う」
「はあ?」
「そんで、昨日まではお前もその一人だった」
「そんなわけ」
「そう、ここがおかしい。それともう一つ」
「なんだよ」
「お前、華蓮ちゃんのことどう思ってる?」
「どうって、別に何も」
「やっぱりな」
「だから一人で納得すんなって」
「華蓮ちゃんとお前は今付き合ってんだよ」
「はあ? いや、告白はされたけど、返事は保留にしてたはず」
「お前の中ではそうなってんのな。でもやりとり見てみろよ」
蒼太は言われて華蓮ちゃんとのメッセージの履歴を遡って見てみた。すると、一ヶ月ほど前に告白をされて、自分がそれを了承していた。もちろん、蒼太にはそんなメッセージを送った記憶は微塵もなかった。
「どう、なって……、まさかこれも?」
「どうだったって聞くまでもなさそうだな」
「おかしい、けど、いやマジでなんだこれ」
蒼太は自身の知っている歴史が大きく歪みねじ曲がっていることをようやく自覚した。
そうしてまた、これまでの自分の記憶の方こそが間違いだったのではないかと疑う気持ちさえ芽生えていた。
「で、お前、何やったんだ?」
一樹に問われ、正直に話すべきかと逡巡した蒼太はしかし、この孤独を一人で抱え込むことはできないと判断して、全てを打ち明けることにした。
自分の知っている雅京華という人物について。
自分が園児の頃から雅京華に恋していたこと。
三回告白をして、三回ともフラれていること。
四回目の告白を検討して一樹に相談したこと。
昨日見つけた白紙ノートとその効果について。
四回目の告白に重みと新鮮さを求めて、過去三回の告白をなかったことにしたこと。
その結果、変わってしまった現在について。
「バカだな」
蒼太の一言一句を黙って聞いていた一樹は、聞き終えるなりそう言い放った。
「その話が本当なら、もう取り返しつかねーじゃん。普通ならもっと影響が小さそうなことで真偽を確かめて、実験を重ねてくもんだろ」
「まったくおっしゃる通りで」
「それに、雅京華の性格が全然違うのも、逆説的にお前の告白の影響ってことだろ。めちゃくちゃ脈ありじゃねーか」
「じゃあなんで俺はフラれたんだよ。つーか、こんな話よく信じるな」
「まあ、蒼太に他人が理解できる物語の創作は無理だからな」
「いやいやいや、俺だって頑張ればそれくらい」
「無理すんなよ。夏休みの絵日記を精神病患者の頭の中とか、美術の自画像を未来に評価されるかもしれない現代アートとか言われたりしたのまで忘れたとは言わせないからな」
「そこまで言われてねーよ。個性的だねって先生の顔を引きつらせただけだ」
「でもよかったな」
「なにが」
「これが物語なら、抜け道がある」
「現実だが?」
「いいから聞けって。その白紙ノートのルールを思い返してみろよ」
「えーっと、ノートに書いた本人の過去にあった出来事をなかったことにするのと、ノートでなかったことにした過去は元に戻せない、だったはず」
「違う。基本的には元に戻せない、だろ」
「一緒じゃね?」
「ぜんぜん違うね。これはノートを作った何者かが仕込んだバックドアだ」
「ばっくどあ?」
「そう。不測の事態が起きた時、リセットできるように設計段階で抜け道を作っておくもんなんだよ」
「ほーん、で、どうすりゃいいんだ」
「だから、ノートを使ったっていう出来事をノートに書けば、元に戻るかもって話」
「……たしかに。いや、でも、それでもっとヤバいことになる可能性もあるんじゃね」
蒼太の反論に一樹は黙った。黙ったのちに一言「それはそう」と小さな声で肯定した。
「でも、今のままなら確実に告白なんて失敗するだろ」
「そうなんだよなぁ」
「それともこのまま華蓮ちゃんと付き合うか?」
一瞬、それもありかと蒼太は思った。
顔は可愛く、性格もよく、話していて楽しく、おっぱいが大きい。加えて、すでに付き合っているという事実が袖を引く。
それでも、京華のことを忘れられるかと問われれば、答えは否だった。
このまま何もせず、京華との関係がなかったことになるくらいなら、告白をしてフラれた方がマシだ。
もう一歩踏み込むなら、元に戻ることに賭けてノートを使った事実をなかったことにし、四回目の告白をする方が後悔はないのだと思う。
京華とのこれまでの思い出もなかったことになった現実なんて、生きている意味も価値も蒼太は感じられなかった。
「一樹、俺、ノートに書くわ」
「どんな結果になっても、俺は変わらないからな」
「うるせっ」
それぞれの帰路に着いて一樹と別れた蒼太は、自宅へと帰って、自分の机の上に置きっぱなしになっていたノートを開いた。
ペンを手に、深呼吸をして、蒼太はノートに書き込んでいく。
書き終えて再び、蒼太の視界はぐらりと揺れた。
酸欠で内臓がひっくり返るような感覚に襲われながら、
——いざ、四回目の告白を。
決意を新たに刻んだ蒼太は意識を手放した。




