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堕胎④


 その日は月の見えない、雲の多い夜だった。


 アンはカサンドラの経過観察と検診のために村長宅へと赴いていた。


 ダルトンの家の中は、ここ数日、昼も夜も変わらないほど暗かった。


 ゆえに、ダルトンは空のやけに明るいことに気が付いた。


 加えて、村が異様な緊張感に包まれていることを察した。


 ダルトンは何かあったのかと気になったが、それでも家の中にいることを選んだ。


 ここ数日はベネデッタがひどく落ち込んでいて、寝室から出てこなかった。


 様子を見にいくと、いつも毛布にくるまって涙を流していた。


 食事も喉を通らず、ひたすら泣いては疲れて眠るを繰り返している。


 これではまるで、自分は子どもができない欠陥品なんだと悩んでいた頃の彼女のようだった。


 それはまた同時に、少しでも目を離せば自殺しかねない危うさを孕んでいた。


 彼女を一人にしてはいけない。何もできなくても、そばにいなければならない。子どもを失って、その上に伴侶まで失えば、ダルトンはきっと正気ではいられないだろうから。


 ドンドンドン!


 玄関のドアを叩く音がした。


 激しく、何度も叩かれて、それだけで火急の用であることは明白であった。


 ダルトンがドアを開けると、立っていたのはシャザールだった。


「どうしたんだいこんな夜に」


「世間話も詳しい説明もあとだ。とにかくこい」


「どこへ」


「アイザックの家だ」


「それはまたなぜ」


「火事だ。消火に人手がいる」


「それは大変だ! 妻を連れてすぐに向かうよ」


「ああ、早くしろ。わしは先に行く」


 そう言うと、シャザールは年齢を感じさせない速さで走り去っていった。


 ダルトンも早く駆け出したかったが、逸る気持ちをぐっと堪えてベネデッタのいる寝室のドアをノックした。


「ベネデッタ、出てきてくれ」


 部屋の中から返事はなかった。


「村長の家で火事があったらしい。俺も消火を手伝いに行こうと思うんだが、君にも手伝ってほしい」


 ダルトンとしても火事の現場に妻と行くのは危険だと考えているが、それ以上に彼女を一人にしてはならないというジレンマを抱えている。それらの思いをひっくるめても、比較にならないほど強い使命感のようなものがダルトンの心にはあった。


「村長の家にはアンがいるんだ。俺たちの家族を、娘を助けないと」


 ベッドのわずかに軋む音が聞こえてきた。


 アイザックのことも、その家族のこともダルトンは心配している。だが、自分たちの新しい家族で、子どもで、娘のようなアンの安否の方がもっとずっと心配だった。


 それにアンのことを話せば、ベネデッタは部屋から出てくるに違いないという打算もダルトンにはあった。


 床を踏む足音がする。数秒すると、ガチャリと寝室のドアが開かれた。


「私も行くわ。あの子に何かあったら、死んでも死にきれない」


 目を赤く腫らしたベネデッタは今にも死にそうな表情をしていた。


 これでアンも失ったとなれば、本当にその場で死んでしまうのではないか。


 ダルトンはごくりと唾を飲んだ。


 妻を連れて行っていいのか。


 そんな葛藤が最後まで袖を引いていたが、今は悩む時間も惜しい。


「よし、行こう」


 ダルトンは妻の手を引いて、村長の家へと向かった。




 夜闇を一層深くするような黒煙がたなびき、天を焦がさんと昇る轟炎は止まることを知らない。


 村には消火設備というものがなく、みなが必死になって水を入れたバケツや桶をもち、なんとか消火を試みた。


 最初の方こそ無我夢中だった村人たちも、もはや無意味を悟ってか、いつしか嵐が過ぎ去るのを待つみたいに、炎をただ呆然と眺めるしかなくなっていた。


 幸いなことに近隣の家々は相当に離れているため、二次被害につながる恐れはない。


 そんな諦めの中で立ち尽くす人々の下へ、ダルトンはやってきた。


「あの、どうなっていますか」


 ダルトンは近くにいた人に尋ねたが、惨状など見れば分かる。


 村人は何も答えず、静かに首を横に振った。


 つまり、誰もあの燃え盛る火の海から脱出した者はいないのだ。


 ベネデッタは膝から崩れ落ちて、ぽかんと口を開け、虚ろな眼差しの中に炎を映す。


 ダルトンは一瞬、水を被って中に入ろうかと思ったが、ベネデッタの姿を見て足が(すく)んでしまった。もはや自身の両手を重ねて握り、目を瞑って祈ることしかできなかった。


「おお!」


 先頭にいた村人からどよめきが起こり、ハッとしたダルトンとベネデッタが視線を移した。


 それは玄関から堂々とやってきた。


 灼熱と化した炎のドアを蹴破り、両腕に毛布でくるんだ何かを抱えている。


「「アン!」」


 ダルトンとベネデッタの声が重なった。


 アンも二人に気付いた様子で、澱みない足取りで近づいてくる。


 村人たちはアンを通そうと道を開けた。


「抱きつかないでください」


 二人の前へとやってきたアンは、第一声でそう告げる。感動のあまり抱き着こうとした二人は面食らい、ピタリと動きを止めた。


「すみません。体に熱がこもっているので火傷するという意味です」


 アンも言い方が悪かったとして、補足を加えた。その淡々としたいつもの様子のアンを見て、ダルトンたちはほっと胸を撫でおろした。


「いや、君が無事ならそれでいいんだ。それで、アン、腕に抱えているのはいったい?」


 ダルトンが応じて、今この場の誰もが気になっているだろうことを質問した。


「どうぞ」


 アンは説明するよりも先に、腕のモノをベネデッタへと渡した。


 訝しみながら受け取ったベネデッタは、恐る恐る毛布の端をめくって、息を呑んだ。


 それは血まみれの赤ん坊だった。目を閉じ、しわくちゃな顔で、ピクリとも動かない。


「な……、なにがあったんだ」


「まず、事実として、アイザック一家は亡くなりました」


 またどよめきが起こった。しかし、誰もアンのことを責めようとはしなかった。それは単純に、アイザックたちが助かる可能性がほとんどないことを覚悟していたからだった。


「ベネデッタ。あなたは流産をしてからずっと元気がありませんでした」


「そ、そうね」


「私はそれが辛かった。苦しかった。


 悲しいという感情が、こんなにも身を割かれる痛みなのかと驚愕しました。


 あなたに子ができたことを言うべきではなかった。


 あなたに辛い思いをさせたのは私の責任だ。


 ずっと、そればかりが心残りだったんです」


「ありがとう。優しい娘をもてて、その気持ちだけで私は幸せよ」


 アンは小さく首を振った。目を伏せるその表情は、まるで人間そのもののようだった。


「あなたは今にも死んでしまいそうだった。


 私はあなたを失いたくなかった。


 あなたを失えば、ダルトンも消えてしまうかもしれない。


 そうしたら、私は一人だ。


 何かを失った孤独の痛みはきっと、想像を絶するのでしょう。


 だから考えたのです。


 家族で、これまでと変わらず幸せに生きていける方法を」


 アンはゆっくりと腕を持ち上げ、ベネデッタに抱えられている赤ちゃんを指差した。


「その答えがそれです」


 全員の視線がその赤ちゃんへと注がれた。


「どういう、意味だ?」


 尋ねたダルトンは例えようのない胸騒ぎを覚えていた。


 目の前で一向に衰えることのない炎が上がっているにも関わらず、氷の中に閉じ込められてしまったみたいに空気が冷たい。


 どこにも光はなく、ひたすらに闇ばかりが広がっている。


 仮に天国があるのなら、地獄とはこういう世界のことを言うんじゃないかとさえ思えた。


「それはアイザックとカサンドラの子でした。


 私がカサンドラの腹の中から取り上げたんです。


 これを私たちの子にしましょう。


 性別は女の子なので、次女ということになりますね。


 これで私もお姉ちゃんです。


 ……なぜそのように浮かない顔をしているのですか?


 あなた方は言いました。私のことを家族であると。


 生命体ではない機械の私を娘だと言ってくれたのです。


 であるならば、他人の赤子など気にならないでしょう?


 血のつながりなど重要ではないでしょう。


 大丈夫、子育ての不安はあるでしょうが、家族みんなで支え合いましょう。


 ああ、それと、前の家族は軋轢(あつれき)になると思って殺しておきました。


 ついでに家も焼いたので、後ろめたいことなど何もありません。


 これまで以上に、幸せな未来を共に、築いていきましょう」


 パン! と乾いた銃声が響き渡った。


 みなが音の出所へと目を向けると、硝煙を吐くライフルを構えたシャザールが立っていた。


「ほれ見ろ。やはりそいつは化け物だ。人間じゃなかったんだ。しの言った通りだった。厄災を引き起こしやがった!」


 息を切らして、唾を飛ばしながら、激昂(げきこう)した表情で、怒声をあげるシャザールのこめかみに、赤い光が走った。


 瞬間、シャザールが一、二メートルほど吹き飛んで地面に倒れ、血溜まりを作った。


 誰も、誰一人として状況についていけないまま、村人たちの頭へ、次々と赤い光が走る。


 理解し、悲鳴があがるより先の刹那の間に、村人たちがシャザール同様死んでいく。


 鉄錆の臭い漂う生温かい血の池の中に、ダルトンたちだけが取り残されていた。


 どこからともなく夜闇を切り裂く足音が聞こえてくる。


 それはアンのそれと似ていて、規則正しく、まったく統一された足音であった。


「気にしないでください、彼らは援軍です。


 これから私たちは彼らの占領した都市に行き、家族みんなで暮らすのです」


 シャザールに撃たれたはずのアンは、何事もなかったかのように起きてそう告げた。


「さあ、いきましょう」


 アンが手を差し伸べて、ダルトンとベネデッタの腕を掴んだ。


 ベネデッタの腕に抱えられた赤子は、アンドロイドのように冷たかった。

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