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堕胎③


 ダルトンがアンを拾ってから、早くも半年が経とうとしていた。


 この頃になると、耕した畑に植えた足の早い野菜たちが少量ながら収穫の時期を迎えており、ダルトンたちの努力が実り始めていた。


 ダルトンは収穫した野菜を持って近隣の家々を回っていった。無事に作物を収穫できるようになったことの報告と、実際に収穫した物の品評をしてもらうためである。


 尋ねた家の誰もが、ダルトンを快く迎え入れ、「よくやった」と労い、「不味い」と酷評した。


 そうしてまた、やれ土の具合がよくないだの、水をやりすぎだの、害虫や害鳥対策をしろだのと、自身の蓄えてきた知識を惜しげもなく自慢気に披露して、次に期待を示してくれた。


 例えあまり意味のない自慢話や文句であっても、それらの態度が、対応が、ダルトンはたまらなく嬉しかった。これまではどこかよそ者、外から来たお客様みたいな雰囲気だったのが、村の一員として認められたように感じたからだった。


 村人たちも作物を育てることの大変さ知っているばかりか、ずぶの素人が一から畑を耕して作物を収穫するに至るまでの苦労は想像に難くなかった。加えて、農耕機械もないのに泣き言も言わず努力するダルトンの姿は村の誰もが知るところだったのだ。


 それらを分かっていて、誰がよそ者などと冷たく接するだろうか。


 初めて作物を収穫できたと報告に来る誠実な男を、どうして無碍(むげ)にできようか。


 村人たちはとっくにもう、ダルトンとその妻を村の一員として認めていたのだ。


 ダルトンのひたむきさと頑張りは、ここでも実を結んだのである。




 留守のところもあったが、一通りの報告を終えたダルトンは、不出来な成りの中でも一等マシなものを持って、村長の家へと向かった。


 本当は最初に出向くべきなのだが、生憎と不在だったために、訪問が最後になってしまっていたわけだ。


 玄関のドアをノックすると、少ししてアイザックが顔を出した。


「やあ村長。少しいいかい」


「なんだダルトンか。……手短にしろ」


 そう言いつつ、アイザックは玄関のドアを閉めて外へと出てきた。


「なんだか浮かない顔だな」


「当たり前だろ。髭面のおっさんの顔を見て喜ぶわけがない」


「ははっ、同感だ。そうだ見てくれ、ようやく収穫できた野菜を持ってきたんだ」


「ブサイクな見た目だな。……味も、犬の餌にもなりゃしない」


 野菜を手に持って眺めるばかりか、躊躇いもなく食べるアイザックにダルトンは驚きを隠せなかった。最悪、地面に投げて踏み潰し、罵倒してくる可能性も考えていた。


「なんだその顔は」


「いや、まさか食べてくれるとは思っていなくてね」


「バカが。食わずに何が分かる。村のジジババ共も同じことをしただろ」


「それもそうなんだけど。君はもっとこう、軽薄な人間だと思ってた」


「信賞必罰、労をねぎらい働きには報いるのが長の務めだ。舐めるな農奴風情が」


 悪態をつき舌打ちをするアイザックの評価をダルトンは改めた。


 この男はたしかに横柄で他人を(あざけ)(さげす)むことも多々あるけれど、それらは年若くして村の長という立場をあてがわれてしまった自己評価の裏返しでもあったのだ。


 村長という肩書に見合うだけの実績もなければ威厳もない自分を、少しでもそれに相応しくなれるように、自己を大きく見せているに過ぎなかった。


 かつて、同僚として働いていた後輩が、若くしてプロジェクトリーダーを任された時の姿と重なって見えたダルトンは、何か、胸の(つか)えが取れたような心地がした。


「村長は困っていることとかないのかい」


「……ない」


「今の間でないってことはないだろ」


「お前に話すことはないって意味だ」


「らしくないな。あれかい、奥さんといつまでも熱い夜を過ごす方法で悩んでいるとか」


「バカにするなよ。もうすぐ子どもが産まれるんだからそんな余裕なんてない」


「もう産まれるのか!」


「ああ、ついさっき病院から帰ってな。安定期に入ったそうだ」


「そりゃすごい。いよいよ父親になるってわけだ。なるほどな、思い悩むわけだ」


「子なしのお前に言われるのは(しゃく)だが、まあそういうわけだ」


「俺に手伝えることがあるなら言ってくれ」


「お前と比べれば、お前のとこのアンドロイドの方がよほど使えるだろ」


「違いない。必要だったらアンをそちらに寄越そうか」


「……まあ、経過観察くらいなら使ってやってもいいぞ」


「オーケー分かった。アンにも言っておくよ」


「それと、裏の納屋にある小型の農耕機械なら好きに使え」


「いいのかい?」


「これで貸し借りはなしだ」


「ありがとう、アイザック」


「村長と呼べ」


 二人は握手をしたのち、アイザックは家の中へ、ダルトンも自分の家へと戻って行った。




 それからまた数週間後のことであった。


 ベネデッタとアンはいつものように朝食を準備していた。


 すると突然、アンがベネデッタの前で膝をついて、彼女の腹に手を当てた。


「ベネデッタ」


「なにかしら」


 困惑と少しばかりの恐怖を覚えたベネデッタに、アンは告げた。


「お腹の中に赤ちゃんがいます」


「えっ、え?」


「落ち着いて。見たところまだ数週間といった具合なので、これからどうなるかは分かりません」


「ほ、本当に?」


「はい」


 アンの平淡な声に、ベネデッタはぽろぽろと涙を流してへたり込んだ。


 たまたまやってきたダルトンは慌てた様子で「な、何があったんだ」と戸惑った。


「あなた、ねえ、聞いて」


「ああ、大丈夫。俺はここにいる。聞いてるよ」


「アンが、私のお腹の中に赤ちゃんがいるって」


「ほ、本当かい」


「事実です」


「そりゃすごい。ああ、本当に、ほんとうに」


 なぜだかダルトンも涙があふれてきて、二人はしばらくの間抱き合っていた。


 その様子をただ静かに、アンは見守っていた。




 それからまたしばらくすると、いよいよカサンドラの出産が間近となって、村全体がそわそわと落ち着かない様子になっていた。


 ババア共は「ドンと構えてな」とアイザックの背を叩き、ジジイ共は「これからが大変だぞ」と肩に手を置いて激励する様子が村のあちこちで見られた。


 ダルトンたちもその空気に当てられてか、自分事のように落ち着かない日々を過ごしていた。


 ベネデッタのお腹の中にも新たな命が宿ってはいたが、こちらはまだ流産の可能性があるとして、夫婦とアンの間で話を留めている。


 子どもの名前は何にすべきか。


 男の子だったら、女の子だったら。


 衣服はどれくらい準備しておこう。


 村長たちの子どもと仲良くできるだろうか。


 今まで以上に仕事を頑張らないといけない。


 育児もそれと同等かそれ以上に頑張らないといけない。


 ああ、いつか自分たちも村の皆に報告をして祝ってもらおう。


 次々と押し寄せてくる不安が、未来への期待の大きさを表していた。


 そんな明るい妄想を膨らませていた矢先のことであった。


「アン、最近何かあったのかい」


 表情や声色に変化のないアンは、基本的に何を考えているのか、またどんな気持ちになっているのかを傍から読み取ることはほとんどできない。


 それでも長らく一緒に暮らしてきたダルトンは、そのごくわずかな感情の機微を察知して、夕食の終わったティータイムにそれとなく話を切り出した。


「何か、とは?」


「いや、そのほら、悩みとかさ」


「ありません」


(よど)みのない素敵な答えだね」


「あらなに、アンがどうかしたの?」


「俺の勘違いならいいんだけどね。ここ最近、ちょっと元気がないように見えて」


「んー、言われてみればたしかに?」


「だから尋ねてみたんだ」


「ふーん、それで答えは?」


「ありませんだって」


「アン、本当に?」


「はい」


「ダルトンは大雑把だけど誠実で、細かいことに気を配れる男よ」


「大雑把なのに気配り上手ってどうなの?」


「私は今アンと話しているの。それでね、そのダルトンが何かあるかもって言うなら、多分、本当に何かある気がするのよ」


「そうなんですか?」


「多分ね」


「……あなたたちはなぜ、そこまで気にかけてくれるのでしょう」


「そう? 普通じゃないかしら」


「私は生命体ではありません。替えの効くアンドロイドです。無茶な使い方をされる想定はありますが、大事にされる(いわ)れはないと思います」


「あなた本気で言ってる?」


 ベネデッタの声が一段と低くなって、彼女はアンの前に立ち、そして優しく抱きしめた。


「あなたはね、もう私たちの家族よ。私とダルトンの子どもなの。そしてお腹の中にいる赤ちゃんのお姉ちゃんなの。これ以上に大事にする理由があるかしら」


「家族……、私が?」


「もちろん。そうよねダルトン」


「当たり前だ。俺もアンのことは娘だと思っているよ」


 そう言ってダルトンはベネデッタとアンを抱きしめた。


 アンのガラスの瞳が潤んだ気がした。


 アンのスピーカーから出る声が微かに震えた気がした。


 雨の日に段ボールの中から拾われた捨て犬が、初めて愛を受け入れたとでもいうような表情をした気がした。


 全てダルトンたちの気のせいかもしれない。だが、アンになんらかの変化が、それも好意的な変化があることはたしかなことのように思えた。


 ひとしきり抱きしめあったあと、何かに気が付いた様子のアンは、ベネデッタのお腹に両手を重ねた。


「アン?」


「……ベネデッタ」


「どうしたの」


「最近、腹痛や出血はありましたか」


「急な質問ね。たしか、二、三日前に重い生理くらいの症状はあったわよ」


「落ち着いて聞いてください」


「怖いわ」


「大丈夫。俺もいるさ」


「ベネデッタ、ダルトン。大変言いにくいことですが。


 ……流産です。お腹の中の赤ちゃんはなくなっています」


 途端に、夜の静寂と冷たさが舞い込んできた。


 誰も、何も、言葉にできない苦痛を味わい、無言の悲鳴を上げている。


「う、うそよ」


 擦れた声でベネデッタ。


「なんとか、ならないのか」


 今なら大型の熊でも殺しそうな顔をしたダルトン。


「すみません」


 表情を変えずに事実を述べるアン。


 祝福ムードの光に包まれている村にあって唯一、ダルトン一家だけが、深まる影の中にいた。


 村の家の一つに火の手が上がったのは、それから数日後のことだった。

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