踏み出すもう一歩②
カズトはジャケットに袖を通し、コートを着て大きくあくびをした。
今日は土曜日で、本来なら昼まで寝ているのだが、十時から企業の面接があるので早起きだった。
なんで休日にと文句も言いたくなるが、わざわざ時間を取ってくれた企業側も同じことを思っているだろう。
不安と緊張はもちろん感じている。それ以上に、「なんでこんなことに」という虚しさが気持ちのほとんどを占めていた。
カズトは大学四年生で、この春から社会人一年目として働く予定だった。
真面目で成績も悪くないカズトは、内定も決まっていたし、卒業論文も順調で、あとはもう卒業するだけくらいの感覚で日々を送っていた。
その状況が一変したのは去年の年末のことである。
就職予定だった企業が不祥事により倒産したのだ。
当然、内定なんてものは消し飛んでしまった。
この時期に入社試験をしている会社なんてほとんどない。
それに加えて、他に内定をもらっていた企業には断りの連絡を入れてしまっていた。
そう。所謂、”詰み”であった。
このままでは向こう一年無職であり、バイトで食いつなぐか実家に帰省して寄生するか、はたまた新卒というアドバンテージを捨てて採用試験を受けるかという、なんともままならない状況に陥っていた。
そんなカズトを見兼ねて、所属しているゼミの教授が、個人的な知り合いの企業に色々と掛け合ってくれたらしく、入社試験を受けられるようにしてくれたのだ。
なんでそこまでよくしてくれるのかと尋ねると、
「行いはめぐるものです」
なんでもないこのように教授は言った。
カズトは何度もお礼を言って頭を下げた。
電車を乗り継いで、企業のある最寄りの駅に到着したのは九時半であった。
面接を受ける会社までは駅から徒歩で十分ほどなので、今から行くと少し早く着いてしまう。
どこかで時間を潰そうかと、カズトは辺りを見回して、改札付近で困り顔のおばあちゃんが目に留まった。
「あの、どうかしましたか」
カズトは躊躇いをまったく見せずに駆け寄って声を掛けていた。
困っている人はなるべく助ける。特におじいちゃんやおばあちゃんは積極的に、がカズトのモットーだった。
というのも、共働きの忙しい両親に代わって育ててくれたのが自身の祖父母だったからである。
事情を簡単に聞くと、どうやらお墓参りに行きたいのに道が分からないということだった。
教えてもらった住所を自身のスマホの地図アプリに入力して、場所を確認する。
——この距離なら大丈夫か。
「それなら一緒に行きましょう」
カズトは道案内を買って出た。
お墓の場所と会社の場所は逆方向だったが、走れば間に合うだろうという判断だった。
「そんな付き合わせたら悪いわよ」
おばあちゃんは遠慮していたものの、カズトの押しの強さに折れて、お墓まで一緒に行くことになった。
道中は他愛ない会話で盛り上がり、あっという間に目的地へとたどり着いた。
おばあちゃんのスマホに帰り道を表示させ、お礼を背に受けたカズトは腕時計に目を落とした。
——ギリギリか?
高校で陸上部に所属していた時以来の全力疾走で駅へと向かう。
ただ、その足取りは妙に軽やかだった。
この土日で、教授に紹介してもらった三社の面接を終えたカズトは、カフェのカウンター席でぼんやりと外を眺めていた。
面接の手ごたえはあった。これまで何十社と面接を受けてきた実績は伊達ではない。間接的にだが、教授の紹介という関係性が合否に下駄を履かせてくれる可能性もある。どれか一つくらいは受かっているはずだ。
しかしどれだけ思い込んでみても、実際に合否の通達を受けるまでは安心できなかった。
「ダメだったら無職か」
溜め息を吐いたカズトは、自分だけが停滞した時間の中に置いていかれる感覚を味わっていた。
道路側に面したその席からは、帰宅するであろう車が絶えず走っているのが見える。
窓に人影が映って、カズトの隣に制服を着た女子高生くらいの女の子が座った。
時刻は午後七時過ぎ、しかも日曜日だ。休日のこの時間帯に制服姿で女の子がうろついているのも珍しいなと思ったカズトは、「そういえば」と共通テストのことを思い出した。
企業の面接を終えて合否を待つ自分。
重要な試験を終えて結果を待つ女子高生。
なんだか同じ境遇と言えなくもなくて親近感が湧いてくる。
外を眺めるガラス越しに、カズトはその女の子と目が合った気がして、思わず目を逸らした。
——よくよく考えると、コーヒー一杯で長居をしすぎたな。
変に気恥ずかしくなったカズトは立ち上がり、プラスチックのタンブラーを店内のゴミ箱に放り投げ、そそくさと店を出た。
「あの」
カズトは自分が呼ばれた気がして、思わす振り返ると、先ほどの女の子が立っていた。
「えっと、これ」
その女の子はスマホを差し出した。
カズトには見覚えのあるスマホだった。
自身のポケットをまさぐったカズトは、それが自分のスマホであることに気が付いた。
「ありがとうございます」
「あ、いえ」
スマホを受け取ると、女の子はさっさと店の中へと戻っていった。
——行いはめぐる。
教授の言葉を反芻したカズトは、昨日のおばあちゃんのことを思い出していた。
こんな休日も悪くないな。
カズトはスマホをポケットに入れて帰路へと着いた。
/
ユイは行きつけのカフェで抹茶フラペチーノを購入した。
生きた心地のしない二日間の共通テストを乗り越えた自分のご褒美に、禁止していた大好物を解禁したのだ。
本当はすぐにでも家に帰って、両親に報告する方がいいのだろうとは思っていた。しかし、欲には勝てなかったし、なにより頑張った自分を一番に労うことが最優先だった。
プラスチック製のタンブラーを受け取り、周囲を窺った。ユイはテイクアウトなんて不粋な真似はしない。
抹茶フラペチーノのポテンシャルを最大限発揮できるのは、きちんと店内で飲んでこそである。
だが、日曜日ということもあってか、ほとんどの席が埋まっていた。
二人席や四人席を一人で使っている人もいるが、相席する勇気はユイにはない。
仕方がないか、と道路側に面したガラス張りのカウンター席に座ることにした。
両隣には人がいて、間隔が空いているとはいえ窮屈な思いだったが、知らない人と対面するよりはマシである。
足元に鞄を置いて、席に着いたユイは抹茶フラペチーノを一口飲んで喉を鳴らした。
——うっま!
重っ苦しい甘さが口いっぱいに広がったかと思えば、後から来る仄かな苦みが鼻を抜け、次の一口を誘わせる。
ユイはなるほどこれか、と確信した。
父が仕事から帰ってきて缶ビールを飲み、「かっーうまい!」と染み入る声を挙げる気分が理解できたのだ。
思わず鼻歌でも歌いたくなるほど上機嫌な中、隣のスーツ姿の男性が席を立った。
カウンターの上にはその男性の物と思しきスマホが置かれていた。
後ろを振り返ってみると、男性は気付かないまま店を出ようとしている。
——どうしよ、追いかけるべき?
ユイは知らない人に声をかけるのが得意ではないし、なるべくなら人と関わりたくないと考える生き物だった。
そこでふと、昨日のおばあちゃんにタクシーを譲ってもらったことが頭を過ぎった。
思考する間もなく、ユイはスマホを持って男性を追いかけ店を出ていた。
「あの」
と声をかけてようやく、ユイは我に返った。
——どうしよう。なん、えっ、と。
「えっと、これ」
心の声がそのまま言葉になったかのように、ユイは言ってスマホを差し出した。
男性は怪訝な、そして驚いた表情から一転、それが自分のだと気が付くと、差し出されたスマホを素直に受け取ってくれた。
「ありがとうございます」
「あ、いえ」
スマホを受け取った男性は、安堵の表情を浮かべてお礼を言った。
たったそれだけのことが、共通テストを頑張ったことよりもすごいことを為した気分にさせた。
胸の真ん中あたりが、じんわると熱を帯びるのだ。
ユイは、なるほどこういう感じか、と得心していた。
なぜあんなにも親切にしてくれたのか分からなかったが、昨日のおばあちゃんもきっと、こんな気持ちになれることを知っていたからに違いない。
帰ったらお母さんたちに「いつもありがとう」と言おう。
ユイはそう心に決めて、飲みかけの抹茶フラペチーノを取りに店の中へと戻っていった。




