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満月の夜に、君をいただく②


 ベーコンの焼ける匂いに目が覚めた。


 ぐーっと腹が鳴った。


 まだ少し寝ぼけていると、足に痛みが走った。


 昨日、銃で撃たれた箇所に包帯が巻かれている。


 俺が寝ている間に、イスカが治療してくれたのだろうか。


 ベッドから出て匂いのする方へ行くと、イスカが食事の準備をしているところだった。


「おはよう。ちょっと待っててね、朝ご飯、もうできるから」


「ああ、おはよう」


 俺は椅子に座ってイスカの後ろ姿をぼんやりと眺めた。


 料理はあまり得意じゃないのかもしれない。エプロンに着させられている印象を受ける。


 まるで結婚したばかりの頃の妻を見ているような気分になった。


 ——懐かしい。


 家族と過ごしていたのはほんの一ヶ月前のことなのに、自然とそんな言葉が出てくるくらいには、日常がひどく遠い過去のように感じる。


「おまたせ」


 イスカはベーコンとスクランブルエッグの乗った皿をテーブルの上に置く。次いで、豆と野菜のスープとパンの入ったバケットを持ってきた。


「さ、食べましょう」


 毒などは入っていないと信じているが、俺は恐る恐る料理を口にした。


 どれも一般的な家庭の朝食である。


 だが、美味い。


 ただ温かいだけで、誰かと一緒に食べるだけで、こんなにも特別な気分になれるのか。


 一心不乱に食べ進め、気付けば平らげていた。


「おかわり、どうする?」


「……もらおう」


 イスカはなぜだか嬉しそうに笑った。


 予め用意していたのか、席を立ったイスカはベーコンとスクランブルエッグ、スープのおかわりをすぐに持ってきた。


 俺はまた、すぐに食べ尽くし、すっかり満腹になった。


「うまかった」


「へへっ、そっか。よかった」


 イスカは食後の熱いコーヒーまで淹れてくれた。さすがに豆を挽いてというわけではなく、インスタントのコーヒーだったが、高級なホテルの朝食に勝るとも劣らない多幸感に包まれた。


 ほっ、と一息吐いて、俺はイスカの目を見た。


「ここって地下室だよな」


「うん」


「火、使って大丈夫なのか」


「少しならね。たくさん使うと煙の量で外にバレるから」


「なるほどな」


 そこで会話が途切れてしまった。


 本当に聞きたいことはそんなことではなかった。


 本当に聞きたいことは。


 例えば、イスカの年齢。


 幼げに見えるが、実年齢では成人しているように感じる。


 普段はどんなことをしているのか。趣味は? 仕事は?


 いやいや、これではナンパか見合いじゃないか。


 例えばそう、この場所についてとか。


 地上の一階にはドアも窓もなく、入り方も特殊である。しかも本命は地下室という二段構え。明らかに後ろ暗い者たちが利用する類の物件としか思えない。


 イスカは犯罪者集団にでも属しているのか。それとも、偶然見つけて勝手に使っているのか。


 思い返してみれば、気配もなく俺の背後を取ったイスカの技能は、犯罪をするのに有用だ。


 ウサギの特性を活かしているのだろうか。


 ああ、そういえば、あの夜に嗅いだ美味そうな匂い。


 あれは人と獣が混じった結果なのかもしれない。俺が覚醒者になってから、他の覚醒者を見たことはないので分からないが、もしそうなら、気を付けないといけない。


 恐らく、満月による暴走と飢餓状態の時、真っ先にイスカを襲いかねないだろうから。


 ……違う。違うんだ。聞きたいことはそんなことではない。


 本当は。


 なぜ、俺を助けて、匿ったのか。


 俺にはそれを聞く責任があるのだ。


 犯罪者なんかを庇えば、当然、イスカも共犯者として処罰の対象になってしまう。俺一人の狂行と罪の責任を何の関係もない人に背負わせるわけにはいかなかった。


 人の善意と親切を利用し踏みにじってしまったら、俺はいよいよ人ではなくなるから。


 本物の獣に成り下がってしまう。


 死ぬならせめて、人でありたい。


 ただ、喉につっかえた言葉は、引っ掛かったままピクリとも動かない。


 怖いのだ。それを知ってしまったら、俺はもう、ここには居られない気がしていた。


 たった数時間なのに、居心地がよすぎて、失うことを躊躇っている。


 あわよくば、このままずっと、なんて期待している自分がいることに、俺は自覚的だった。


 微かに開いた口からは、代わりに溜め息が出た。


 まるで屁みたいだ。いや、食後だからゲップだろうか?


「ねえ」


 シン、と静まり返る部屋に、沈黙を破ったのはイスカだった。


「一つだけ約束してくれない?」


「内容による」


「次に誰かを食べたくなったら、まず私を食べて」


「……理由は?」


「んー、ほら、あれ」


「どれ?」


「私はライカンを助けたでしょ」


「ん、ああ」


「で、ライカンが人を殺して食べるとするじゃない」


「それで?」


「そしたら、私がその人を殺したも同然でしょ」


「まあ、そういう見方もできるな」


「多分、罪悪感で死にたくなる」


「だからまずお前を殺せと?」


「お前じゃないでしょ」


「悪い。ただまあ、善処する」


「いじわる」


 イスカはそう告げて椅子を立ち、食器をさげて鼻歌混じりに洗い物をはじめた。




 隠れ家にやってきてから半月が経った。


 俺は日がな一日ぼーっとしたり眠ったり本を読んだりと、基本的には外に出なかった。


 そのおかげか怪我も完治し、体調も万全になっていた。


 まあ、元より大した怪我でもなかったのだが。


 イスカはといえば、朝と夜の決まった時間に来ていた。


 食料品や日用品を買ってきては、ご飯を作って一緒に食べ、他愛のない会話や外の情報なんかのやりとりをする。


 料理の腕も少しずつ上がっているようで、夕食には凝ったものに挑戦したりもしていた。


 味はまあ、まちまちである。


 日々顔を合わせて、食卓を囲み、団欒(だんらん)の中にあってしかし、埋まらない溝のようなものを感じることがあった。


 意図的に避けられているであろう、そんな感覚。


 それとなく分かっていながら、俺は踏み込むことをしなかった。




 そんなある夜のことだ。


 いつも通り食事と片づけを終えたイスカは、


「ちょっと付いてきて」


 言って地下室を出て行った。


 その背を追って俺も地下室を出た。


 イスカは一階の天井にある折り畳まれた梯子を開放し、そのまま二階へと上がる。


 訳も分からないまま付いて行き、今度は階段を一階、二階、と上っていく。


 おそらく建物の五階、上った先のドアを開ければ、そこは屋上に繋がっていた。


「非常用の出口になってるの」


 イスカはそう語ったが、屋上に出てしまったら逃げ場などない。


 なんてことはなかった。


 周囲を見れば、同じくらいの高さの建物が並んでおり、屋上伝いに逃げることができる設計になっているようだった。


「この屋上からあなたを見つけたの」


 屋上の端から下を覗けば、俺のいた通りへ出る路地が見える。


 イスカは「ここから飛び降りたんだ」と自慢げに言った。


 にわかには信じられないが、それも覚醒者のなせる技というわけだ。


 俺たちは屋上のベンチに腰かけた。


 星の瞬く、新月の夜だった。


「月がなければ怖くないでしょ」


 なるほど、と思うと同時に、「満月でなければ問題ない」と口にするのは野暮だろうと口を閉ざした。


「それで、わざわざ連れてきた理由は?」


「一緒に星を見たいって理由じゃ気に入らない?」


「意外とロマンチストなんだな」


「失礼ね。私だって夢くらい見るわよ」


 風が吹いた。


 眼下に照る街灯をまばらに人が歩いている。


 生活の営みを終えるにはまだ早く、わずかばかりの喧騒が聞こえてくるようだった。


 不意に、劇の幕が上がるかのように音が止み、イスカが静寂を切った。


「あ、流れ星」


 釣られて俺も空を見上げる。


 一筋の線が夜空に引かれ、星が落ちた。


「流れ星に祈ると願いが叶うんだって」


「迷信だろ」


「迷信でもいいじゃない」


「イスカは何を願ったんだ」


「内緒。だって言ったら叶わないんでしょ」


「そうだったか?」


「そんな気がする」


 また沈黙が帳を下ろすかと思えば、点在する星々を真似るように、イスカはぽつぽつと脈絡なく話を始めた。




「私ね、もうすぐ死んじゃうの。


 あ、でも誰かに殺されるとかじゃないから安心して。


 ただの寿命だから。


 まだ若いだろって? まあそれはそう。


 年齢は、多分、二十六とか七くらいじゃないかな。


 誕生日も分からないから、詳しくは分からないんだけどね。


 私さ、五歳か六歳くらいの時に覚醒者になったの。


 朝起きたら突然ウサギの耳が生えててね。


 鏡を見て、夢かなって思ったけど、でも、可愛いって思った。


 それでお父さんとお母さんに自慢しに行ったの。


 そしたらなんか怖い顔になってさ。


 今でもたまに夢に見るよ。


 私は殴られて、気を失って、気付いたら売り飛ばされてた。


 まあ、売られたって知ったのはだいぶ後なんだけど。


 あの頃はまださ、覚醒者って言葉もなくて、


 私みたいな人たちはただの異形の化け物だった。


 そういう化け物って、見世物とか研究対象としては優秀みたいでさ、


 私の売られたところも研究所の一つだったんだ。


 それからはね、実験の日々。


 何ができて何ができないのか。


 どこが人でどこが獣で、血とか内臓とか生殖器とかはどうかとか。


 特に、私みたいな子どもの覚醒者って珍しいみたいで、


 成長過程を観察するのにもってこいって感じだったみたい。


 でね、いろんな実験の結果、体がボロボロになっちゃった。


 寿命がね、もうないの。


 よくて数カ月生きられるかどうか。


 これ以上の実験もできないから、


 あとは死ぬまでの経過観察なんだって。


 朝に健康診断みたいなのをして、


 夜は研究所に帰って眠る。


 それ以外は好きに、自由にしていいって外に出してもらったの。


 この隠れ家も提供されたうちの一つだよ。


 戸籍なんてもうないし、仕事もできないから、家なんて借りれないしね。


 法律? ああ、同じ人間とするってやつね。


 関係ないよ。


 あんなの外面を良く見せるパフォーマンスだもん。


 いつだって臭い物には蓋をするものでしょ。


 法律が出来ても、研究所には新しい人がたくさん連れて来られてたし。


 んーと、それで、なんだっけ。


 あ、そうそう。あなたを助けた理由を話そうって思ってたんだ。


 ライカン、ずっと知りたがってたでしょ。


 言わなくても分かるよ。顔に出てる。


 まあ、別に大した理由なんてないんだ。


 気まぐれ、って言っちゃえばそれまで。


 嘘? 私も顔に出てるって?


 ふーん。……はあ。


 あのね、これは噂なんだけど。


 あなたってば、いろんな組織から狙われてるみたい。


 研究所の人がこそこそ話してるの聞こえちゃったの。


 私ってほら、耳がいいから。


 覚醒者の中でも完全変態する人って珍しいんだって。


 研究できる個体はどこも欲しいみたい。


 それにあなたって犯罪者だから。


 都合がいいのね。


 それでね、もし会えたら助けようって思ってたんだ。


 そうすれば、ちょっとは仕返しになると思って。


 殺されるかもってことも、考えなかったわけじゃないよ。


 それはそれで仕方がないって受け入れてただけで。


 だって、こんなクソみたいな人生で、


 ただの実験動物として終わるくらいなら、


 最後に一泡吹かせてやりたいって思ったんだもん。


 どうせ死ぬなら、人として死にたいって思っちゃダメかしら。


 それで人助けもできたら、思い残すこともないしね。


 少しは、生きててよかったって思えるかもしれないじゃない。


 だからね、あなたを助けたのはただの気まぐれで、


 私の自己満足。


 ……どう? 納得した?


 それとも、幻滅でもした?


 なにそれ。やっぱり意地悪ね。


 あ、流れ星」

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