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明日世界が終わるとしたら


「明日世界が終わるとしたら」


 せめて、死に方は自分で選びたい。


 なんて、くだらないことを考える日が本当にくるって、誰が予想していただろう。


 歩睦(あゆむ)は海岸沿いのバイパスをロードバイクで駆けていた。


 貯金をはたいて買ったその自転車は、高校の通学に使っていたものの、大学生になってからは一度も乗っていなかった。


 途中で休憩を挟みながら、かれこれ三十キロメートルは走っている。


 久しぶりの運動ということもあって、すでに太股はパンパンに張っていた。


 磯の香りがずいぶんと近くに感じた。


 波の音さえ、耳元で聞こえてくるようだった。


 堤防の下。高く盛られた砂の山を呑み込み、海はもうそこまで迫っている。


 その様子を見てようやく、歩睦は地球の終わりを実感していた。




 ある日のことだ。


 SNS上では(まこと)しやかに囁かれていた陰謀論的人類滅亡を国連機関が認めた。


 それは地球の自転が緩やかに減速しているというものだった。


 正確には、赤道付近、二十四時間で一キロメートル毎時。


 このペースが保たれる前提ならば、約四年半で地球の自転は完全に停止する。


 言うに及ばず、世界中は大パニックに陥った。


 何せ、公式に発表された時点で、残りの時間は三年を切っていたのだ。


 デマだフェイクだと言って信じない人。


 暴徒化した人々が好き勝手に振る舞い、悪化する治安。


 集団で神に祈り、魂の救済だとかで自殺を強要するジェノサイド。


 無政府状態になった国も珍しくなく、世界は混迷を極めた。


 災害が多発したことも、世界の終わりの真実性と人々のパニックに拍車をかけた要因なのだろう。


 特にひどかったのは津波による被害と、日照時間の変化である。


 津波の被害は言わずもがな、小さい島は波にさらわれ、高低差の少ない沿岸部は人の住めない土地となった。


 昼夜の時間が伸びたことは、気温の変化、気候変動、人類のみならず生物全体の生活リズムの破壊をもたらした。


 つまるところ、明日の見えない終末世界が日常になってしまったのだ。




 歩睦はバイパスから逸れて、より海へと近付く遊歩道へと入った。


 本来なら海と砂浜を一望しながら散歩ができる遊歩道には誰もいない。


 自転車進入禁止の看板を見つけた歩睦は、自転車から降り、押しながら歩く。


 時折、堤防に砕けた白波の破片が飛んできて歩睦を濡らした。


 カラカラとチェーンの回る音が虚しく響いていた。


「ねえ」


 後ろから声がしたのと「ワン」と犬が吠えたのはほとんど同時だった。


 歩睦は振り返ると、声を掛けたと思しき同い年くらいの女性が立っていた。


 化粧を最低限しかしていない顔はどことなく幼くてしかし、胸を強調するようなぴっちりとしたTシャツに、ホットパンツから伸びた白く細長い足が、そこはかとない色気を醸し出していた。


 女性はしゃがんで、いきなり吠えてきた犬に「ダメでしょ」と注意した。


 飼い犬だろうか。躾は大事だが、首の辺りをわしゃわしゃと撫でる様子は遊んでいるようにしか見えない。


 首元がわずかに緩んで、露になった谷間に歩睦の視線が吸い込まれる。


「ごめんね」


 女性は犬から歩睦に視線を移し、歩睦は所在なさげに目を逸らす。


 代わりに謝罪を口にした女性の意図を考えた。


 何に対してだろう。


 いきなり声をかけてきたことか。


 それとも犬の(しつけ)がなっていないことか。


 ただいずれにせよ、あまり関わるべきではないと思った歩睦は「いえ」とだけ言って前を向いた。


「あ、ちょっと待って」


「はい?」


 呼び止められると思っていなかった歩睦は、怪訝(けげん)な表情をして振り返った。


 呼び止めた女性は、言葉にするべきかと逡巡したように数秒の沈黙を作り、


「あたなも死にに来た人?」


 神妙な面持ちで尋ねた。


 ——バレてる。ってか、そりゃそうか。


 地元民なら知らないはずもないのだろう。


 歩睦は納得して、さてどう返事をしようかと考えた。


 素直に「はいそうです」と答えてもいいが、そんな義理はない。


 まあ、嘘をついて否定する道理もないわけだが。


 と、そこで女性の発言の違和感に気が付いた歩睦は、


「あなたも?」


 疑問をそのまま口にしていた。


「あ、私は違うよ。この辺に住んでてさ、散歩コースだし、最近はそういう人がたくさん来るから」


 まるで宿題を家に忘れてきたと言い訳する小学生のように捲し立てた。


 リードを持つ手にキュッと力が入り、飼い主の異変を察した犬は女性を守るように一歩前に出る。


「もしそうなら、この先にあるから。身投げする場所」


「はあ、ありがとうございます」


 歩睦はこれ以上会話をするのが面倒になって、お礼を言うなり自転車に乗ってペダルを踏んだ。


 背中に刺さる視線に気づかないフリをしながら、遊歩道を駆けた。




 一キロメートル弱行った先、歩睦は真新しい看板を見つけて止まった。


『階段の上 身投げ場所』


 真っ白な背景に赤字で書かれたシンプルな看板だった。


 平時なら、こんな看板は人権擁護団体が黙っていないのだろう。


 行政だってこれを黙認するわけがないし、周辺地域に住む人々からもクレームが殺到するはずだ。


 しかし、社会がこれを『仕方がない』と容認していた。


 というのも、自殺をする人間が多すぎたのだ。


 複数人で一斉に駅のホームから飛び降りたり、


 入居者の全員が首を吊って異臭を放つアパートが続出し、


 ビルの上から雨のように人が降ってきては通行人を巻き添えにして、


 道路に寝そべり轢かれるのを待つ人さえ表れる始末。


 ひっそりと、誰にも迷惑がかからないように死ぬなら問題はない。


 だが、どうせ死ぬなら他人の迷惑など知ったことかと、過激な行動に出る狂人が増加した。


 その狂った人々が集団になり、それはもはやテロになりつつあった。


 ゆえに行政は『死ぬならここで死ね』と自殺スポットを提示したのだ。


 さすがは真面目な日本人ということだろうか。


 ここなら死んでもいいとお墨付きを頂いた場所で自殺をする人が増え、結果として迷惑行為をする人は減っていった。


 自殺スポット近辺の住人からしたらたまったものではないけれど、自身が人殺しになるよりはマシということで、渋々納得していた。


 歩睦が訪れたこの海もまた、自殺スポットの一つであった。




 歩睦は階段を上って海を臨んだ。


 遠く、水平線から反射する太陽が、一枚の布がはためくように煌めいている。


 打ち寄せる波は、もうすぐ足元まで迫っている。


 波間の海の底をよくよく見て見れば、屍の先人たちが水面に手を伸ばしている錯覚さえ受けた。


 そのまま足首に組み付かれて、引きずり込まれるような恐怖心がざわざわと這い出してくる。


 浅い呼吸を繰り返して、


 ——おれ、死ぬの?


 歩睦は一歩、退いてしまった。


「なんだ死なねぇのか」


 酒焼けをしたガラガラ声を聞いて、歩睦ははっとする。


 声のした方を見ると、ワンカップの焼酎を持った赤ら顔のおじさんが立っていた。


 おじさんはつまらなさそうに唾を吐き、煽った酒で喉を鳴らした。


「あ? 何見てんだよ」


「いや、すんません」


 その剣幕に圧されて顔を背けた歩睦に、おじさんは溜め息を吐いて口を開いた。


「死ぬなら早く死ね。死なねぇなら次のやつに譲って帰れ」


「えっと、じゃあ、どうぞ」


 この人も身投げしに来た人なのか、と歩睦は階段を下りて道を開けた。


 それを見たおじさんは「バカヤロウ」と言って歩睦の頭を叩いた。


 友達と殴り合いどころか喧嘩もしたことがないし、先生や親に殴られたこともない歩睦は、目を白黒させた。


 いい音は鳴ったが、それほど痛くはない。歩睦は叩かれた頭をさすりながら、暴力だ、ハラスメントだ、なんて思ったが、これから死のうっていうのに今さらかと、取り合うことを止めた。


「俺は死なねぇよ」


「……それなら、何してんすか」


「見りゃ分かんだろ酒飲んでんだ」


 話を聞くに、どうやらそのおじさんは、日がな一日、自殺する人を肴に酒を飲んでいるらしい。


「悪趣味っすね」


「自殺するやつに比べりゃ可愛いもんだ」


 それもそうかと思うのと同時に、歩睦はとうとう機会を逸したと胸を撫でおろし、おじさんの隣に立って空を眺めた。


 まだまだ天頂にある太陽は、ゆっっっくりと空を泳いでいる。


 人の気も知らないで気持ちよさそうだった。


 歩睦は時折かかる波しぶきに顔をしかめながら、ぼーっとしていた。


「死ぬのって、怖いっすね」


「ああ」


「明日、死ぬかもしんないっすよね」


「そんなこともあるかもな」


「おじさんは怖くないんすか」


「別によ、明日がどうのってのは、こうなる前から分からねぇだろ。今さらだ」


「……っすね。すんません変なこと訊いて。俺、帰ります」


 歩睦は言うなり自転車にまたがった。


 ペダルを踏み出そうとして、目の前に人影がいることを認識して足を離した。


 顔を上げると、目の前にいたのは先ほど出会った女性だった。


「なんだ姉ちゃん、今日もいい脚してんな」


「ふふっ、でしょ。でもそれセクハラですよ」


「あの、」


「生きてたんだね」


「すっー、一応」


「よかった」


「もう少し、生きてみようかなって」


「そうだね。それがいいよ」


「あー、世界が終わらなかったら、また」


 ——会いに来ます。


 なんて言う勇気は歩睦にはなかった。


 それこそ、あの堤防から一歩踏み出すよりもずっと、覚悟が必要だったのだ。


「それじゃ」


 歩睦は返事を聞きたくなくて、全速力でペダルを漕ぎ出した。


「明日世界が終わるとしたら」


 生き残ってしまうかもしれない明日のために、今日を生きよう。


 歩睦はなぜだか、そんな風に思えた。

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