304話 わたくしの手が汚れたとき
わたくしが知らない間に、戦争が始まっていたみたい。
海が真っ赤だったのは、人の血で。
こんなにひどい光景は、わたくしが処刑になったきっかけの戦い以来。
わたくしがいない半年間に、世界は穏やかさを失っていた。
その理由が聞きたくても、生きている人間は周囲に一人もいない。
思い出の海が、こんなにおぞましいものになっているのが耐えられなくて。
わたくしは、自然と口に出していた。
『なに、なんなの……!?ここは嫌、どこか、安全なところに行きたい!』
いつもの移動だった。
瞬き一つで、わたくしの思い通りのディオメシア領地に跳べる能力。
ディオメシアがないはずのこの世界でも、どうしてか可能だったこの力。
目を開けたとき、わたくしは後悔した。
波の音はしない。
ただ、木々に囲まれたどこか。
知らない場所で、しかも大雨が降っていて足場が悪い。
ただただ不快で、どこか雨宿りできる場所がないか走った。
雨音がうるさいくらいに響く中で、とうとう見つけたのは洞窟。
地中に繋がる、岩でできた自然の空間。
もう雨はこりごりで、迷いなくそこに飛び込んだわ。
中は、思ったより広かった。
人が一人通れる道があって、どこかに繋がっている。
どうせ暇つぶしよ。
もしも危険なことがあっても、魔法でも移動でも何とでもなる。
だから、歩き続けた。
『父さん、父さん!!』
『いやだ、死なないで……!』
『隊長!!』
『みんなの盾になるなんて』
岩の中は声が響く。
どこかで人の声が聞こえているのが不気味だったけれど、そのまま歩き続けた。
そして、ついにわたくしはたどり着いた。
そこは、大人が10人も入れるくらいの空間。
横たわる2つの死体を囲んで、4人の大人が涙を流していた。
天井は低くて、暗くて、灯りは松明の2本だけ。
人の顔すら、よく見えない。
わたくしが聞いた声の主たちは、そこにいた。
わたくしが入ったとたんに、剣をこちらに向けて睨みつける。
失礼ね、何もしていないのに。
『誰だ……皆殺しに来たんだろう!?』
『女だぞ、なんでこんなところに』
うるさい無駄口を叩く人たち。
でも、どうでもいいわ。
わたくしは静かに一時間を過ごしたいだけなのに。
気まぐれに、死体に近づいた。
松明でぼんやりしか見えなかったけれど、一人はまだ10にもならない子供。
何かで何度も刺されているのかしら、酷い有様だった。
別に、それで心なんか動かない。
誰が死のうと、わたくしには関係ないから。
でも、もう一つの死体の顔を見たときに息が止まった。
うっすら開いたままの目には、灰色の瞳。
黒い髪、たくましい体には、何本も矢が刺さっている。
十年は会ってなかったけれど、その顔は全く変わっていないもの。
死んでいるの?
わたくしを勝手に突き放して、誰かと生きると言ったのではなかったの?
家族を作るのが夢だったなら、どうしてここで死んでいるの?
頭に浮かんだのは、お母様のお顔。
わたくしの7歳の誕生日に、いきなり死んでしまった大好きな人。
その顔と一緒、もう生きていないってわかる。
『女、その人から離れろ』
『親子共々、ここに埋葬するんだ』
『道を閉じれば、ここなら誰も見つけられない』
無駄口たちは、わたくしを追い出したいみたい。
でも、言うことなんて聞かないわ。
自由に生きるって決めたもの。
たとえ、半年に一度の1時間でも。
彼の手と、子供の手を握った。
冷たい、死人の手。
だけど、わたくしには関係ない。
だって、魔法があるもの。
『死なないで、みんなあなたを待っているわ』
奇跡が、起きる。
わたくしの、半年に一度のお願いは聞き入れられた。
2人の体がわずかに光る。
みるみるうちに傷が塞がっていく。
わたくしの見守る前で、先に彼のほうが目を開けた。
はっきり見えていないんでしょうね。
それでも、わたくしとちゃんと目が合った。
『あな、たは』
『……約束を破ったから、お詫びよ』
『おねえ、さ……』
そこまでだった。
わたくしの体が、透け始める。
もう一時間が経ったみたい。
何が起こっているのかわからなかったけれど、今回はいい魔法の使い方ができたわね。
2人から手を離して、何人かが見守る前でわたくしはまた消えた。
次は半年後。
今度は、もう助けてあげないんだから。
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・
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わたくしはいつも通りに、また出現した。
行く当てもないのだから、適当に行ったことのない場所を指定して。
今度は誰かと話がしたいわね……じゃあ、スラムにでも行こうかしら。
あの後、戦争が終わっていたらいいのに。
もうむごたらしい光景は、見たくないもの。
そうして降り立ったその場所では、思ったよりも人間が集まっていた。
みんな粗末だけれど防具を纏って、武器を携えて、殺気立って。
『うわっ、なんだ?』
『いきなり現れたぞ』
『あの、女性にはここは危ないですから』
『お~い、もうすぐ開戦だぞ~』
わたくしはまた、面倒なときに来てしまったみたい。
親切な兵士が、わたくしを後方に誘導してくれるから気まぐれで従う。
人が好さそうだったから、彼から情報がもらえるかもしれないわね。
『ねぇ、これは何の戦いなの?』
『ええっ、知らないのかい?あの不死身王を?』
『不死身王?聞いたことがないわ』
『僕らの祖国を武力で侵略して、属国にして……最近成立した国の王様だよ』
『それが、不死身なの?』
『ああ。何度致命傷を追わせても、次の日には前線にいる……このままでは、皆が身を寄せ合うこの場所も奪われてしまう』
なんだか憎らし気に語る青年に、わたくしは興味が出てしまったの。
そんな王様、面白いじゃない。
まるで、皆に嫌われていたお父様みたい。
だから、戦いの始まった前線に引き返した。
わたくしを止めようと走ってきた青年を振り払って、まだ誰も死傷者のいない前線へ。
そこでわたくしは見たの、聞いたの。
戦う彼らの言葉を。
『みんなー!!ディオメシアが来るぞ!!』
『先頭にディオメシウスがいる!!今日こそ殺せー!!』
『我らの団結を、抵抗を刻みつけろ!!』
ディオメシア。
わたくしの祖国で、わたくしの国の名前。
それに、ディオメシウス?
わたくしたちの祖先で、ディオメシアを建国した男。
鳥肌が立った。
雄叫びが向かってくる。
見たくない、けれど振り向かずにはいられなかった。
そこには、元気な彼がいた。
先頭を馬に乗って駆けていく、命知らずの突進をする彼が。
ようやく、ようやく気が付いたわ。
わたくしが、なぜこんな出現を続けているのか。
好機は何度もあったのに、知らなかったせいで何度も逃し続けていた。
出会ったあの日から今まで、お互い早く名乗っていればよかったのに。
『ディオメシウス……わたくしが、潰すべきディオメシアの……』
その時、彼と目が合った。
もう、半年でわたくしの知る彼ではなくなってしまったことだけが、わかった。
迷いは、ない。
わたくしは、落ちていた剣を拾い上げる。
そのまま、すれ違いざまに彼の首を斬る。
『ディオメシウスを殺す』
その願いを、奇跡を、叶えてもらいながら。
これで終わる。
わたくしが願った、すべて潰すという願いは叶った。
王族は生まれない、ディオメシアはこれでおしまい。
もうたくさんの属国を抱える大国ディオメシアは存在しないわ。
全部生まれる前に消してやった、ざまあみろ。
そう、思ったのに。
『うっ!!ぐ、あああぁぁぁ!?』
直後にひどい頭痛が、わたくしに襲い掛かってきた。
目の前が赤く染まる。
いつかみたいに、わたくしの血が流れていく。
目から赤い涙が垂れていく。
たまらずに、目を閉じた。
音が、すべて消えて静かになる。
ここではないどこかに、移動する。
目を開けたとき、そこはわたくしの知らない場所だった。




