295話 鎮火の水
黒煙の中から現れたのは、やはりアテナだった。
黒いヴァルカンティア製機動服を纏い、手にはナイフが握られている。
煙を切り裂くように飛び出した彼女にしかし、ディセルは動揺を見せなかった。
予想通りと、懐にしまったものはそのままに起爆の点火装置を握る。
ディセル手製の起爆装置は、とても優秀な代物。
彼が強く握りしめれば内部で熱が起こり、それによって発火して爆弾に火が付く。
余裕の表情を浮かべた彼は、そのまま自爆をしようと力を入れたのだが……
それは、途中で不可能になった。
「っぐあぁぁ!」
「チッ、外したか」
ゴツッと音がして、アテナの刃はディセルの起爆装置が握られた左手に当たる。
骨まで刃が到達しているだろう。
だが、ディセルは手を何がなんでも離さなかった。
そしてついに、起爆装置が作動する。
小さな火花が散って、上半身全体を覆う爆弾に繋がる導火線に火が付く。
だが、それすら見越してアテナは導火線をも断ち切る。
導火線を守っていたディセルの左腕は、血を噴出しながらダランと力なく落ちた。
わずか数秒の間の出来事で、ディセルは大怪我。
アテナの速さは、すべてを解決したように見える。
だが、両者ともに油断は存在しなかった。
「これで自爆はできねぇだろ」
「甘いぞ小娘」
怨嗟の目に染まっているディセルは、アテナの言葉に間髪入れず返した。
まるで、これを見越していたように。
そして、彼は爆弾に包まれて素肌も見えない中から、何かを取り出した。
懐にずっとあったのだろうそれは、スラムの人間が手に入れるには難しいはずの代物。
ディセルは素早く標準を定め、アテナに向かって放った。
ダアン!!
と大きな音が耳をつんざく。
その音と同時に、アテナの二の腕から血が噴き出していた。
「銃、だと!?」
「入手できないとでも?我らの執念を舐めるな」
ディセルの手に握られていたのは、黒光りするリボルバー銃。
銃弾をその身に受けたアテナは、痛みをこらえるように一瞬うずくまった。
だが、ディセルはこれだけでは終わらない。
彼はもう一度銃を構える。
その狙いは、煙幕の中。
煙幕は薄くなってきていて、薄ぼんやりと、中の様子が見えている。
何をしているのかはわからない。
しかし、間違いなく自らのゆく手を阻むものだとディセルは確信していた。
だが、それは煙幕の中からのコマチの声に妨害される。
「銃を撃たせないでください!火花で着火します!」
「それ早く言えや!!」
「あと何発か撃つはずなので全部防いでください!」
「バカ言うなし!!」
アテナとコマチのやり取りに、ディセルは歯噛みする。
彼の狙いは銃での殺害ではない。
火花を起こして爆弾に着火させること。
そしてそれが銃弾一発の音だけで、コマチにバレていたこと。
それが、癇に障ったのだろう。
自らも怪我をしているために、銃を撃つたびに反動で体が軋む。
それでも彼は、煙幕の中へ向かって発砲した。
ダァン!!ダァン!!
殺意を込めた銃弾が2発。
そして、火花はついに爆弾の数個に着火した。
導火線が目にも止まらない速さで燃え消える。
勝利を確信したディセルの口元が弧を描いた。
彼にとっては、今ここで5人を殺せなかろうがどうでもいい。
自爆が成功すれば、この祭壇や蘇生途中のガーネティアもろとも瓦礫に埋まって息絶えるのだから。
だが、ここに誤算があった。
それは誰一人、この事態を納めることを諦めていなかったこと。
「アテナ!!」
煙幕が晴れる。
4人の姿が、とてもよく見えた。
倒れていた状態から、膝立ちになるルシアン。
エラに覆いかぶさるレオン。
そして立ち上がったコマチが、両手に抱えた何かの塊をアテナに向かって投げた。
それは、暗い地下では何なのか判別できない。
だが、それなりの重量をもっていることは、コマチの投げ方から見て明らかだ。
そして、アテナがそれを受け取る。
と同時に、それを広げた。
アテナが何をしたのか、ディセルは理解ができなかった。
理解する必要もないと、油断していた。
だから、爆弾が爆ぜる数秒前に、自分に襲い来た何かをただ受け止めることしかできない。
「ぅおりゃー!!」
アテナの足音が、軽快に鳴る。
そして、彼女が受け取ったそれが、ディセルの体を覆いつくした。
初めに感じたのは、温度。
生ぬるい、布のような何かに包まれると、冬の寒さが和らぐ。
だが、感触を確認した瞬間にすべてを理解した。
べしょっと、肌に触れて音を立てる。
アテナによって自分に巻かれているものは、ただの布ではない。
薄ぼんやりとした空間の中、判別できなかったのはその色にあった。
赤く、赤く、すべてが赤に染まった、成人男性を優に包めるほどの布。
それが、かなりの水分を持ってディセルに襲い掛かってくる。
「や、やめろ!!貴様ぁ!!」
「火薬なら濡らせば使えねぇなぁ!!?」
「う、撃つぞ貴様!!」
「やれや!!次は腕ごと捻りちぎる!!」
アテナの人間離れした回復力と身体能力を前にして、ディセルは逃げ切れるはずもない。
銃も取り上げられ、真っ赤な布に簀巻きにされたディセルはひたすらに暴れていた。
「なぜだ、水などこの近くに在るはずが」
「あるだろ。あたしにもお前にも流れてるモンがよ」
「まさか、この赤、この鉄の匂い」
「血だよ。あたしがお前引き付けてる間に、あの4人がわざわざ自分傷つけて作った血のマント。どうだ、見下してたあたしらに負ける気分は?」
アテナが勝ち誇ったようにディセルを見下ろしたとき、祭壇から小さな声がした。
まるで朝目覚めるように、ガーネティアはぼんやりとした顔で周囲を見渡す。
それを、アテナだけがわずかに微笑んで見ていた。
「ん……あれ、アテナ、さん……」
「起きたかよ、ガーネティア」
「わたくし、撃たれたんじゃ」
「そうだよ。自分が蘇るからって、今度は庇って死ぬなよ」
ディセルは捕縛して無力化成功。
ガーネティアは無事蘇生完了。
爆発の計画は遂行不可能。
これで、突如発生したバッドエンドへのシナリオは幕を閉じた……かのように見えた。
ルシアンの、焦ったような声を聞くまでは。
「レオン、レオン!!返事をしてくれ!」
全員の視線が集まる。
そこには、レオンを揺さぶるルシアンの姿があった。
エラに覆いかぶさっているレオン。
体躯の大きなレオンにのしかかられ、エラの姿はわずかに腕が見えるのみ。
一瞬、また変な気を起こしたのかとアテナは考えた。
だが、コマチが手早く彼を転がして仰向けにしたことで事態を悟る。
それは、救命のための行動だった。
アテナも、そしてガーネティアも走り出す。
想定外は、降りかかっていた。




