293話 私の役目は今ここに
動けなかった。
私は、必死にディアーナ様にしがみついて震えるしかできなくて。
王様の胸に短剣を刺したジークさんが、オモチャみたいに地面に叩きつけられるのを、見るしかできない。
呻くジークさんも、立ったままの王様も、どっちも酷い怪我。
なのに、近寄ったら巻き込まれて死んじゃうのはよくわかるから、近づけない。
泣く私を、ディアーナ様は、ずっと抱きしめてた。
きつく、私の肩に顔を埋めて、必死に抑え込んでくれていたの。
「ディアーナ様、火が、床が揺れてっ」
「わかってる、わかってるわメリー」
「ジークさんもこのままじゃ死んじゃう」
「ごめん、ごめんなさいメリー」
「た、たすけないと。ディアーナ様何か案は!?」
ディアーナ様のお顔が見たくて、指示が欲しくて、無理やり腕から抜け出した。
考えてらっしゃるはず、ディアーナ様はいつだって前向きだもの。
勝利の女神様みたいな人だもの。
だけど、私はお顔を見て言葉が出なかった。
いつもの不敵な笑顔はどこにもない。
そこにあったのは、歯を食いしばって、唇から血を流して、涙を流すお顔だったから。
「でぃ、あーな、さま。涙が」
「ごめんなさい。違うの、これは、頭を使っている証拠で」
「なかないで、泣かないでくださいディアーナ様」
私の指に、ディアーナ様の涙がこぼれていく。
この方の涙を見るのは、久しぶりだ。
強いから。
いつも、どんな時も何かを押し殺して前に進むお方だから忘れていた。
涙は、誰だって出るものなんだよね。
ディアーナ様の頭を、撫でる。
輝く赤色、光に当たって炎より優しくきらめく赤銅色。
そのとき、細い声が紡がれた。
「わたくしのせいなの。アンナの死が、ここまで影響があると思ってなかったの……!」
ディアーナ様は、ずっと苦しんできた。
この世界が、この方の書いた物語って言うのは、実はよくわかってないけれど。
だけど、もし全部知ってたとしても、ディアーナ様のこれまでの道のりは順調なんかなかった。
それを知ってるのは、私たちだけ。
今ここで、寄り添えるのは私だけ。
そんな場合じゃなくても、手を離すなんて考えられない。
「ディアーナ様、大丈夫です。私たちがついてますよ」
「メリー……でも、この状況は」
「えっと、きっとまだ逃げられます!王様もお怪我してますし、きっとジークさんは勝てる!」
「無理よ。あの左腕を見たでしょう」
「でも、それでもまだあります!諦めないでください」
ディアーナ様の指先は驚くほど冷たくて。
火に囲まれてるのに、ちっとも温度がない。
でも諦めないでって言っても、何もできない。
私は強くないし頭もよくないけど、だけど、できることは、ある。
なんとなく王様のほうを見た。
ちょうど、何かを胸元から出しているところで、王様の視線がそこにだけ向かってる。
目の前でジークさんが叫んでも、何も聞こえてないみたいに。
手のひらのそれを、私は見える位置にいた。
あれは、なんだったっけ。
見覚えがある、ううん、見覚えなんてものじゃない。
あれの意味を、あれがここにあるのはおかしいってことも、わかる。
だって、本来王様は必要ないはずの物なのに。
「ディアーナ様、王様のあれ、見えますか」
「え?どうしたのいきなり」
「何か見てました。一瞬ですけど、たぶんあれは……髪飾りです」
また胸元にしまわれて、見えなくなったけど、その後の動きを見てようやくわかった。
ジークさんは、まだ果敢に挑んでいく。
仕込んでる武器全部使って、切って刺して殴って蹴って。
王様は、全部を余裕でいなしてるってずっと思ってたけど、違う。
胸元を、あの髪飾りをしまった方を、庇って攻撃を受けてる。
「ディアーナ様、私まだ動けます。だからお願いします」
「メリー、あなたらしくもないわ。危ないことは苦手でしょう?」
「私、この戦いはディアーナ様のためにって思ってました。でも、あの、できたらで、いいんです……王様も、助けたいんです」
難しいのは知ってる。
王様が無茶なことをしたから、今戦いが起きちゃってるのも知ってる。
そのせいで、私の家族だって逃げなきゃいけなくなったし、ディアーナ様もみんなも、大変な目に遭ってる。
だけど、髪飾りを見てる時のディルクレウス王の目が……。
「優しいお顔、だったんです。あの、エメラルドの髪飾り見てる時だけ」
「エメラルドの……それってまさか、アンナ王妃から預かった?」
「はい。見間違いじゃないです!式典の時とか、何度もディアーナ様の髪につけたの私ですし!」
「それは疑ってないわよ。でも、まさかそんな、あれがディルクレウスの手元にあってもしょうがないでしょう」
「だから、あの、何か事情があるんじゃないかなって。だって、本当はアンナ王妃のお部屋に、ディルクレウス王がいるはずないって、ディアーナ様そんな顔してたし……」
本当は、使用人の私がこんなこと言うなんて無礼すぎる。
わかっているけれど、王様を殺すしかないっていうのは、最初から嫌だった。
どうにか、みんなが生きて丸く収まらないのかな。
それは、ディアーナ様だって考えてたはず。
だって、もうディアーナ様の目は前を向き始めてる。
考えて、私たちをどう動かすかを想像してる。
「メリー、わたくしね。今、人の心を踏み荒らすようなことを考えているわ。作戦が成功しても、勝負に勝ったとは言えない方法」
「でも、自信があるんですよね?なら、お手伝いします。ちょっと怖いけど」
「本当にいいのかしら?わたくしに情報を与えたことを、後悔するわよ」
「ディアーナ様の悪だくみは、悪だくみじゃないからいいんですよ」
「呆れた。あなたは本当に、お人よしが過ぎるわね」
ディアーナ様の専属使用人ですから。
なんて、言わないけれど。
ディアーナ様は私にいくつか耳打ちをして、立ち上がる。
ある場所に向かって駆け出したディアーナ様を見て、私も指示通りに駆け寄った。
「ジークさん!」
「メリー……じゃま、ですよ」
「あ、えと、こ、こんなに怪我して、痛かったですよね……」
勇気を振り絞って、王様と対峙するジークさんの前に立つ。
そしてそのまま、王様を背にして抱きしめた。
「メリー、なにを」
「しぃー……ディアーナ様からの指示です。ジークさん、――――ってできますか」
王様との距離は何歩もあった。
だけど背中に、ずっと王様の迫力を感じてる。
いつ切られるか怖かった。
だけど、なんでか王様は一歩も動かない。
私は、必死にジークさんを心配するように抱きしめてた。
耳元で、作戦を伝えるまま。
「何のつもりだ。お前も、専属使用人か」
王様の低くて、心臓がギュッとなるような声。
振り向くの、怖い。
だけど、ディアーナ様のほうがもっと怖いはずだから!
震えるのを我慢して、王様に向き直る。
煤まみれで、ちょっと焦げたスカートをつまむ。
そのまま、深く膝と頭を下げてカーテシーをした。
「メリーと申します。陛下に置かれましては、ジークの無作法を許していただきたく」
「な、待ってくださいメリー」
「使用人風情が……許すと思うか?我に傷をつけた男を」
心臓握られるみたいだ。
怖い、逆らったら殺されるってすぐにわかる。
でも、だめ!
度胸だってディアーナ様ならきっというから!
何とか頭を下げたまま、私が待っていると声がした。
「お父様は、本当は心根が優しくて強い。そうお母様がおっしゃったことは、嘘なのかしら」
カツン、カツンとヒールの音をわざと響かせて、中央に近寄ってくる美しい人。
さっきまでの表情が嘘みたいに、自信に満ち溢れたお姿。
火に包まれた謁見の場が、まるでディアーナ様のための舞台みたいだ。
「ここからは、わたくしが相手をするわ」
「我に、勝てると?」
「勝てなくとも、勝てる戦いにするのが務め……お母様は、きっとそうおっしゃるわ」
私は、ジークさんと数歩離れてしゃがんだ。
ここからは、私のできることはない。
賭けだ。
うまくいくかどうか、誰にも分らない戦いが、始まった。




