閑話 我、火の追憶
王宮は寒い。
王宮は冷たい。
だから、火を入れずにはいられない。
赤々と燃える暖炉に、事実以外を思えることはない。
我にとっては、ただ火が燃料を食っているようにしか見えない。
『ディルクレウス様、火を見るだけで心が温まるんですよ』
15の時、我にそう言った信頼のおける専属使用人のメイドは、瀕死の我を無理に暴いてエラを孕んで逃げた狂女。
『ルク、火はいいぞ。温まるし、人間のいた痕跡がすぐに辿れて攻撃可能だ』
数年後、我にそう言った戦略結婚のアンナは、我に試練でもある正統な娘を残してあっけなく死んだ裏切者。
火を思うと、我と繋がった女を思い出す。
そして、その二人が遺した二人の娘を。
目を閉じていると、扉が開かれた。
ノックもないが、どうでもいい。
もし音もなく寝首をかかれようと、この身が死ぬことはないのだから。
「ディルクレウス王、さっき、ステラディアの鳩が手紙を持ってきた。こっちに協力するとさ、明日にはディオメシア入りするらしい」
「なんのことだ?」
「前言っただろ、ルシアンが協力するって言ってきやがったこと!お前が俺に丸投げした」
「お前が事後報告しただけだ。我を前に随分とふてぶてしい奴め」
「ハッそっちの願いだって叶えるんだよ。これで準備は整った。肉壁は手に入れたし、人間痛めつければディアーナも出てくるさ」
獅子というには執着にまみれて、まるで瞳の奥に底なし沼を買う男。
レオンという奴は、使えるが使いにくい男。
礼儀を知っているのに、我に尽くすことはない男。
この男をディアーナが選んだというのは、間違いなく性能だとわかっている。
面倒なものを王宮に入れてくれた。
だが、構わない。
「……なんだ、貴様また勝手をしたな」
「今更なんだ?そっちが『どうでもいい』っていうから、俺が良いように計らったんだ」
「我は諍いを大きくしろとは言っていない。独りよがりに大事にしおって」
「なら、もっと俺が従順になるように褒美をくれよ。『エラが社交界デビューに時に着た青空のドレス』を」
振り向かなくともわかる。
目を血走らせて、手を伸ばして、傲慢に要求する奴の声。
エラに執着し、自壊し、永遠に影を追い続ける様の醜いことか。
数年宥めすかして、物品を与えていたがそろそろ手詰まりだ。
あのドレスは、渡せない。
「また、だんまりか。おい、どこにあるんだよ」
「貴様に渡せる代物ではない。あれは、我のものだ」
「っ……!ふざけるな!!エラは、エラは俺の!貴様が権力で引き裂きさえしなければ俺は彼女と」
「去れ、耳障りだ」
「何が新王妃だよ!エラを幸せにできるのは俺だったのに!」
火に薪を一本投げ入れる。
火はまた食べていく。
後ろの声を理解するより、よほど面白味があるだろう。
貴様にはわかるまいよ。
誰が自分の娘と結ばれたいと願うものか。
面倒ごとを避けるためでしかない。
もし、貴様が傾倒している女の父親が、罵倒している目の前の男だと知ったなら態度は変わるのか。
「チッ!今に見てろ」
しばらく無言でいれば、勝手にいなくなった。
部屋の中はすぐに無言に支配される。
なんだ、あんな男でも冷たさを紛らわせる役目くらいはあったのか。
火が爆ぜる。
火の粉が巻き上がれば、思い出すのは戦地。
火の粉を浴びて、血が流れて止まらない記憶。
その中で、信頼していたメイドがなぜあんなことをしたのか。
王家の祝福を知らない彼女は、我が蘇って目が覚めた時には消えていた。
それ以来会ったこともなく、いつの間にか死んでエラが現れたのだから想像のしようもない。
王族の血を引く人間の血を残したかったのか。
権力を得られるとでも思ったのか。
思い出したくもない女、エラの母親。
だが、永劫忘れることはないのだろう。
また火が爆ぜる。
今度はひと際大きく、簡単には消えない火の強さ。
弱弱しいようでしたたかな女から、別の女に代わる。
『我は、子供などいらない』
『それでも、私が望んでいる』
『権力か?ディオメシアの存続のためか?どちらも子がいなくとも我が何とでもしよう』
『侮るなよ。私は権力もそちらの王宮もどうでもいい』
『ならなぜだ。この血は呪われているというのに』
アンナと結婚してすぐの会話が思い起こされる。
なぜなのかはわからない。
だが、アンナが出てくる夢は悪くない。
あの時、なんと言われたのだったか。
火が、また爆ぜた。
暦を見る。
そして合点がいった。
「12月、20日か」
寒いはずだ。
もうそんなに時間が経っていたとは。
剣を手に取ると、慣れた重さに心が安らいだ。
何人切り殺し、何本目の剣なのか覚えていようはずもない。
自分の黒曜石をあしらわれた鞘だけが、年季が入っている。
火より、武器の重みのほうが安らぎを得られるに決まっているだろう。
また火に薪を投げ込んだ。
まだ、まだまだ燃えろ。
この暖炉から出て、王宮すら燃やせ。
王宮すら燃やして、この国を燃やせ。
「……暑い」
汗が流れてうっとうしい。
窓の外は、雪が降っていた。




