263話 自分の持てる手を使って、状況を切り抜けろ
スラムから、息を切らせて逃げる。
先頭のアテナは、メリーの手を引いて周囲の音を聞きながら「こっちだ!」とめちゃくちゃに方向を変えるから、自分は歯を食いしばって足にムチ打った。
足は止められない。
止めれば、どうなるのか自分にもわからない。
振り向けば、スラムの住民たちが大挙して自分たちを捕まえようとしているのだから。
「待て~!話せばわかるって!」
「どうして逃げるんだ!君たちの雇い主が女王になるんだぞ~?」
「シー先生が大丈夫っていうんだから、間違いないさ!」
「国を変える名誉なのにどこにいくんだ~?」
「メリーちゃーん!アテナちゃーん!」
「コマチさーん?」
一様に自分たちを宥めようとしているのはわかりますが、それに乗ることはないでしょう。
盲目的に追いかけてくる様子を、正常だと感じられるわけがない。
何より、3人で合流したところを住民に見られた瞬間「逃げて!!」と叫んだメリーの顔色が物語っていました。
「人数増えてねぇか!?どうなってやがる」
「すれ違う住人全員が追いかけてきています。もう200人はいるかと」
「お願い、逃げて、ここにいたら……!!」
「わーってるよ!!クソっ……こっちだ!」
アテナの凄まじい視力と聴覚で安全そうな道を選んではいますが、事態は悪化する一方。
明らかに昼頃から大人たちの様子がおかしい。
口々にシー先生、シー先生。
スラム住民から支持を得ているのは知っていますが、ここまでとは。
(何かがおかしい。まるで、住民がディセルの意見に従う生き物になったような)
走り続けて既に30分は経っただろうか。
自分たち以外の足音が何倍にも大きくなって、人の気配に酔いそうだ。
目が合った住人が皆追いかけてくる。
もう、何者かの顔を見ることも恐ろしい。
何百人?もしくは千人以上?目算で数える事すら諦めた。
「悪ぃ、しくじった。あと3分走った先、大勢待ち構えてやがる」
「スラムの空き家に隠れましょう。しばらく様子を見て」
「ダメ!!おねがい、今すぐスラムから出なきゃなの。じゃないと、じゃないと」
「あー!!メリーの勘だろ!?はいはい走り抜けてやるよ!」
アテナがメリーの腕をひと際強く引き、抱きしめると『上へ』大きく跳躍した。
人一人担いでいるのに、それを感じさせないアテナの足は、危なげなく民家の屋根まで一息でたどり着く。
自分を見下ろすアテナは、全く自分を心配しない顔で「足止め頼む!」と言ってのける。
体力も力も不足するメリーは仕方ないですけど、あまり自分を信じられても困るんですが。
「ちゃんと回収してくださいね、アテナ!」
「言われなくても!」
即座に持っていたボロ布で自分の顔を覆う。
いつでも持っている月光国の薬瓶を、ありったけ封を開けた。
(手持ちは5本。数百人に効かせられるかは厳しいですが……!)
この先、どう逃げるのかまだわからない。
でも、ここで捕まるよりきっとマシでしょう!
「見つけた!コマチちゃんどうして逃げるんだい?」
「メリーちゃんとアテナちゃんは?」
「3人とも協力すれば百人力だ。どこに行ったか教えてくれよ」
不快感を感じる笑顔の住人たちが、路地の前と後ろから迫ってきた。
手に武器こそ持っていないですが、素手でこの人数に勝てるわけもない。
ならば、多少手荒でも仕方ありませんよね。
自分たちは、あなた達のように盲目の民衆にはなれないのだから。
「なぜそこまで自分たちを追うんですか。ハッキリ言って異様ですが」
「シー先生が、あなた達を高く買ってるんだよ」
「そうそうそう。『専属使用人4人が協力したらきっと勝てる』って!」
「だからそれに従うと?……はははは!!!!とんだお笑い草ですね!」
一瞬たじろぐ民衆に、確信した。
どうやら、おかしくなってはいますが思考力はあるようで。
実に気に入りませんが、できるだけ人を自分に注目させるためです。
仕方ありません……ええ本当に。
できるだけ嘲るように、馬鹿にするような気配をにじませて、声を大きくよく通るように。
それが、この場面を抜け出すための小細工。
「まるで……『ディオメシアに縋りつく羽虫』のようでみじめですね。自分たちをここまで欲するなんて」
「……だまれ」
「ふざけるな」
「捕まえろぉぉぉぉ!!!!」
一瞬で激昂した民衆が、自分を捕まえようと接近してきた。
見る見るうちに人で埋まる路地。
焦ることなく、自分の手元にある薬瓶を決められた順序で一つに合わせる。
そしてギリギリまで人間が密集したのを確認。
最大の効果が見込めると感じたその時に、瓶を思い切り地面に叩きつけた。
パリン!
ビンが割れたその時、黒い煙が地を這うように即座に路地を埋め尽くし、さらに路地から溢れたところにいる追手のいる場所にも広がっていく。
「なんだこれ!」
「うえっ!く、くせえ」
「目が!目が痛いよう!」
「どこだ、コマチちゃんは!?」
一瞬のうちに悲鳴が包み込んだ路地。
もちろん中心にいる自分だって無事では済まない。
月光国で多数の実験に参加して、自分でも何度も薬瓶を使って乗り切ってきたとはいえ刺激は刺激。
何度も咳をしていると、次の瞬間体が持ち上げられる感覚。
見慣れた赤銅の髪が、雑に自分の腹部を掴んで屋根の上へ飛び上がっていた。
「コマチちゃん!大丈夫?」
「メリー、自分は問題ありません。それよりアテナを」
自分を抱えてくれたアテナは、自分を屋根に下ろした直後ひどくせき込み始めた。
毒物にはきっと慣れていると思いましたが、月光国の薬瓶は一般的な物とは違いますからね。
「うえっ、ゲホゲホっ!キッツ!!目ぇ痛い!」
「アテナ、感覚鋭いですもんね。屋根に退避してくれて助かりましたよ」
「ごめんねコマチちゃん。危ない目に遭わせちゃって」
「いえ、適正な配置です。メリーでもアテナでも、大人数から逃げる手立てはありませんから」
アテナの背をさすりながら、メリーは綺麗な布で顔を拭いていく。
適切な手当、見事です。
眼下の混乱に乗じ、屋根をうまく伝ってスラム特別保護区から脱出する。
ですが、問題はこれから。
「どうしましょう。ディアーナ様もどこにいるかわからないというのに」
「だよな。ジークの野郎も一人でどっか行っちまったし」
「革命軍も、ディアーナ様の仲間たちもスラムにいたままですし」
自分たち3人で何ができるでしょう。
いや、それよりもどこかに助けを求めなければまた追手が来る。
頼れる先は、ヴァルカンティア?ステラディア?
いいや今の状況で国に助けを求めても、現在のディオメシアの状況では助けてもらえるかどうか。
トモエの領地はどうだろう?
いいや、あからさまに助けを求めればディオメシア側から攻撃されるかもしれない。
「あのね、あの、ちょっと考えがあるんだけど」
いきなり提案をしたメリーの目には確信があった。
きっとうまくいく、そう考えている彼女の明確な意志が、自分とアテナの息を飲ませる。
その提案に、衝撃を受けた。
うまくいくのか?そんなに都合がいいことが起こるのか?
でも、それ以外に頼れるものはない。
「わかりました。では、行きましょう……港へ」
自分達三人は、来る日のために駆け出した。
海へ、自分達のために。
それ以上に、ディアーナ様のために。




