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250話 情けない私の、逃走を聞いてください

先王の葬儀が終わってからすぐのこと。


ごくごく普通の一日でした。

まだソルディア・ステラディアとの戦争は続いていましたが、数週間の停戦交渉を受け入れたディルクレウスが作った、かりそめの平和な時期。


王宮には、私の兄たちがいました。

姉たちも以前はいたのですが、先王の譲位前に政略結婚で他国に嫁いでしまっていたので不在。

対照的に私たち男兄弟には心を安らかにできるような相手……例えば妻などという存在は、兄たちにも、無論私にもいませんでした。

皆真面目だったので、遊びで情を交わすような相手もいません。


王族としては致命的でしょうが、度重なる戦、己のことで精いっぱいなのに、女性との関りを持てる心もありません。

それに、先王も男兄弟は皆王宮に縛り付けるように縁談を潰し続けていましたから。

自分の子供は、蘇生可能な手駒は、好きなように飼い殺しにしたかったんでしょう。


それが、ディルクレウスにとっては好機だった。


ある日、ディルクレウスが直接話に来ました。

男兄弟、全員が一堂に会した席で。

昔は、幼いディルクレウスを中心にきょうだい皆で団らんした、一部屋で。


『兄上様方、ここのところ忙しかったでしょう。遠乗りへ出かけませんか?兄弟水入らずで、水が美しく流れる渓谷などへ』

『でも、お前はもう王だ。そんなに軽々しく行動していいわけがない』

『問題ありません。どうか、弟の頼みを聞き入れていただけませんか?簡単な食事も用意しますから』


その口ぶりが、王になってから使っている威圧的なものではなかったから、油断しました。

いえ、まだ私たちにも甘えがあったんでしょう。


末の弟は、自分たちの背丈を越えても、自分たちより屈強になろうと、我が子を苦しめた先王を暗殺しようと、可愛いものでしたから。


そうして私たち4人の兄と、ディルクレウスの5人兄弟は森を抜けた先にある渓谷へ馬を走らせたんです。

お忍びで、わざわざ平民の服装に身を包み、身分を隠して。

ディルクレウスの馬に括りつけられた、編み籠の中の昼食を楽しみにして。


途中までは、本当に楽しかった。

心身ともに疲弊して、いつもベッドの上で幻肢痛や幻覚に苦しめられていた一番上の兄も。

もう蘇ることは叶わないというのに、戦場へ突っ込んでいって片腕をなくしてきた二番目の兄も。

私と一番年近く、戦場が怖いと怯える私と共にいてくれた三番目の兄も。

そして私も、ディルクレウスも。


それが変わったのは、森の中へ入ってからでした。


木々が緑に生い茂り、馬一頭進ませるのがやっとの道。

順番に私が先頭、三番目の兄、二番目の兄、一番上の兄、ディルクレウスが一番後ろの一列で進んでいました。


馬の足音が大きく聞こえていた私は、後ろをついてくる三番目の兄の悲鳴でようやく事態に気が付いたんです。


『兄上!!兄上ぇ!!ディセル止まれ!!兄上様が!』


悲痛な叫びでした。

兄上様に何かあったのか?まさか落馬でもしたのか?

のんきに振り返った私が見たのは、目を疑いたくなる光景でした。


道に、赤いものが落ちている。

木の葉の訳がない、何度も戦場で見た赤。

地面に落とした赤い果実のように、命が流れている。


人間だ。

一番上の兄服を着た人間が、馬から落ちていた。


そしてたった今、うめき声をあげて馬上で剣に貫かれているのは、二番目の兄。


馬だけが、おびえたように立ち尽くしているのが恐ろしくて。

でもそれ以上に恐ろしかったのは、無感動に剣を握るディルクレウス。


兄に致命傷になるだろう攻撃をしておいて、顔には何の表情も浮かんでいやしない。

その瞳は、次の獲物に目を向けていました。


私と、三番目の兄に。


二番目の兄が馬から落ちた瞬間、私は全力で馬に鞭を打っていました。


『兄上逃げますよ!!』

『ディセル!!くそっ』


私たちは無我夢中で森を抜け、渓谷に入りました。

開けた場所に行けば、勝機はあると思ったんです。

でも、違いますね。私たちは誘い込まれていた。


森を抜けるその間、ずっとディルクレウスの馬の蹄の音が重く追いかけているのがよくわかって、振り向けなかった。

そして、渓谷が見えた瞬間、悟りました。


目の前に広がるのは、岩々が並び水の荒れ狂う河。

ディルクレウスは、その時期の渓谷が荒れていることを知っていたんでしょう。


馬上でどうするべきか考えていた私の隣。

三番目の兄が「ぐわっ」と声をあげて馬から落ちたのが聞こえたその時には、すでに詰んでいました。


兄の肩には短剣が突き刺さっていて、それを助けようと馬から降りた私に突きつけられたのは鋭い切っ先。

王族専用の文様が彫られた、いつも肌身離さずディルクレウスが身に着けている長い剣。


それを持つ人物が誰であるか、考えるまでもなかった。

私に剣を向け、自分が投擲しただろう短剣が突き刺さっている兄を見つめて弟はこう言ったんです。


『苦しまないように首を狙ったんだが、変に動かれると狙いがぶれる』

『ディルクレウス、どうしたんだ。なぜこんなことを!』

『戦いに出るたび、言っていただろう?兄上たちは死にたい、生きたくないと。感謝してほしいくらいだ、苦しませずに背後から命を刈り取るのは難しいのだから』


口ぶりからすぐにわかりましたよ。

ディルクレウスは、初めから男兄弟の私たちを抹殺する気だったんだと。

確かに、一番上と二番目の兄たちは常々「死にたい」と言っていました。

それでも、ディルクレウスが即位するのなら力になりたいと。

弟が心配だと、そんな心優しい人間だったのに。


それを、あっけなく殺したのだ。この末の弟は。

もうディルクレウス以外の兄弟に王家の祝福はないのに。


『もう……もう兄上たちは蘇らないんだぞ』

『知っている。何のためにあの愚鈍な父から王位を簒奪したと?』

『私も、兄上も殺すのか。今、ここで』

『そのつもりだ、王族はもはや我だけでいい。姉上たちはすでに王位継承権を剝奪している。残りはお前たちだけだ』


何もわかりませんでした。

今になってもわかりません。


ディルクレウスがどうして身内を殺したか、どうして自分以外の王位継承者を殺してしまったのか。


わからず、私は三番目の兄を庇うように震えるしかできませんでした。


その時です。

ディルクレウスが、おもむろに馬に括りつけていた編み籠を私に投げました。


ただその動きを見るしかなかった私は驚きましたよ。

目を疑うものが、詰まっていたんですから。

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