216話 二人きりになった部屋で
ルシアン王はわずかに顔を上げ、彼女を見た。
その顔は、まるで彼女がYESと言わないだろうことを予測していたようだ。
少し寂し気に微笑んだルシアンは、大人しく手を離した。
「少し、再会できて舞い上がってしまっていたようです。どうかこのことは忘れてください」
「忘れないわよ、わたくしをバカな淑女にするつもりかしら」
ルシアンが自分をごまかすように放った「忘れてくれ」を、ライラは即座に却下した。
ライラは王女ではない。
だがそれをルシアンは知らない。
そのせいだろうか。ライラは、王女時代と同じ少々高慢な態度で彼に言い放った。
「時間をいただけないかと言ったのよ。勝手になかったことにしないでちょうだい」
「で、ではいいのですか……?」
「考えてあげる。だから、早くメリーと行きなさい。わたくしは、やるべきことがあるの」
「そうでした時間!ほら行きますよルシアン王!」
ハッとしたメリーは、再度ルシアン王の手を取って引く。
今度のルシアンは、それに逆らうことはなかった。
ニヤケる口元に手をやり、赤い顔をそのままに挨拶もなく部屋から出ていく。
それだけで、ルシアンの七年間の思いは誰の目にも明らかだった。
2人がいなくなった部屋の中、ライラ、アテナ、コマチ、ジークは数秒静寂に包まれている。
だが、それは一瞬のこと。
アテナが扉の方向を見ながら、クッキーをかじる音ですべては元の空気に戻ってしまう。
「おい、クッキーいらないなら食っていいか?」
「アテナ、あなた今の状況を見ていたの?相変わらず図太いわね」
「あ?ディアーナだって冷静じゃねーか。一国の王を跪かせるって相当だぜ?ありゃあ、お前が偽物って言わないほうが幸せだろ……いっそ本物の王女になっちまえば話は楽そうだけどな」
「それは……」
アテナの言葉にライラは言い淀む。
この言葉がどれだけ罪深いか、難しいかをわかる人間しかここにはいない。
もし本当の王女がライラだったなら。
偽物だというのに、彼女の手腕と、義理堅く臆病な性格で国が立て治るのを見ていた。
だからこそ、アテナは口に出してしまった言葉。
「お前がどう思ってるか知らねえけど、あいつはいいやつそうだし……」
「いらない助言は死に値します」
アテナの吐露した言葉にかぶせる声。
その声の主は、ひどい怪我をしているのに片足だけで移動して「ゴチン!!」と音が鳴るほどのゲンコツを彼女の頭にヒットさせた。
アテナはそれを受けて持っていたクッキーを取り落とし、チカチカと軽い脳震盪を起こしているようだ。
「ジーク、あなた容赦ないわね」
「それはどうも偽物様。ですが、当然でしょう?私情だけの発言がもし政治に影響を与えることになれば、俺達は責任なんて取れませんから」
「女性に手を挙げるとは、男の風上にも置けませんね」
「コマチは随分と『お優しい』事で!生憎、俺に取ってアテナは弟子で同僚。女ではないのでね」
「ほら、早く起きてください」と片足片腕しか満足に使えないというのに、アテナの頬をべしべし容赦なくジークは叩く。
アテナは数秒で正常な視点を取り戻したようで、すぐに目を瞬かせて舌打ちをした。
「ほら帰りますよ。さすがに数日ヴァルカンティアを空けるのはまずいですから」
「は?ちゃんと宰相殿には言ったんだろ?ジークお前ここ来る前『許可貰った』って言っただろ」
「あれ嘘です。馬鹿正直に許可なんかとるわけないでしょう」
「帰ろう、すぐ。アニータ様に殺される!」
「俺を置いていかないでくださいよ。はい、おぶってください」
「なんでそんなことしなきゃいけねぇんだよ」
「誰のせいで大怪我したと?早く処置しないと今後に響くんです」
外はとっくに夜。
かなりの時間をステラディアのこの城で過ごしたとあっては、ヴァルカンティアのスパイであるアテナとジークは上司である宰相に何を言われるかわからない、
渋々ジークを背負い、部屋を出ようとするアテナは、一度振り向いた。
視線の先には、コマチがいる。
ライラはここに閉じ込められているからしょうがないが、既に遅い時間なのだ。
コマチが微動だにしないことが、アテナには妙に映った。
「コマチ、お前帰らないのか?」
「はい。自分のことはお気になさらず」
「あなた、月光国はいいの?」
「ディアーナ様、用が済んだらすぐに帰ります」
「用?一体何かしら」
「それは……」
コマチがアテナのほうを向く。
それだけだ。それだけなのだが、アテナには意図がわかってしまった。
コマチの切れ長の目が言いたかったこと。
明確に『席を外してくれ』という意図。
専属使用人の中で最も頭が良く、冷静と言われることもあるコマチ。
だが、最も静かに暴走しがちなのが彼女であるということは、仲間しか知らないこと。
アテナは深く深くため息をついて「あたしは知らねえからな」といって厳重に閉じられた部屋から出ていった。
「ディアーナ様、まだ話していないことがありますね」
二人きりになった部屋の中、開口一番コマチは切りだした。
暗い部屋の中、メリーがずっと前につけていったろうそくの灯りだけが顔を照らす。
この部屋は厳重に閉じられている。
それを、ライラとコマチはわかっていた。
「話していないことなんてないわ。わたくしがこの世界を作ったことも、予測して王女をしていたことも言ったでしょう」
「あなたのお話には、不可解な部分がある。自分は、納得できません」
コマチはライラのすぐそばに寄ると、囁いた。
確信を持った声で。
ライラも分かっていながら、皆がいたときには口にできなかった言葉を。
「未来はこのままだと変わらない可能性がある……そうですよね」




