第15話 アツく、騒がしい街 3
二人が街へと繰り出し、少し経った頃、工房内に漂っていた重い雰囲気に中てられて顔に影を差していたエレナの表情は、周囲の活気と店頭に並べられた品々のおかげか、すっかり明るくなっていた。
「うわー! 見てくださいアンナさん! これ可愛いですね!」
露店に掛けられた衣服を見て駆け寄ったエレナは、年相応の少女そのものであり、それを見ていたアンナも柔らかく微笑んでいた。それに気づいたのかエレナは恥ずかし気に顔を赤くする。
「す、すみません、一人だけはしゃいじゃって……」
「いえ、この街をそんなに楽しんでいただけているのなら嬉しいわ」
戻ってきたエレナに「待ってて」と言うと、アンナは露店へと走っていく。しばらくして戻ってきたその手には袋が握られており、それをエレナに差し出してくる。
「これ……」
「良かったら着てみて」
そう言われてエレナが袋から取り出したのは、先ほど自分自身が目を輝かせて見つめていた衣服であった。明るい色と装飾が施され、程々の露出がある。今現在エレナの着ている暗く、肌をなるべく見せないようにされた服とは正反対に位置するものだった。
「そんな! 困ります!」
困った表情をしたエレナが袋を返そうとすると、アンナは微笑んだまま袋を押し戻してきた。
「いいのよ。エレナさんも気に入っていたようですし、私が着てほしいと思ったから」
「……ありがとうございます」
困った表情のまま笑顔を浮かべたエレナは、袋を胸に抱え込む。それを見たアンナはホッとしたような表情になった。
すると、どこからか売り子たちの賑やかな叫び声とは違う、殺伐とした怒鳴り声と子供の泣き声が聞こえてくる。それを聞いたエレナは反射的に走り出していた。後ろからはアンナの呼び止める声が聞こえるが、それを振り切るかのように全力で走る。そうして辿り着いた場所には人だかりが出来ており、その中心には子供を抱きかかえる母親と、泣きじゃくる子供、そしてガラの悪そうな男と裕福そうな身なりをした男性がいた。
「おい! どうすんだって聞いてんだよ! テメェのガキがぶつかった相手を誰だと思ってやがる!」
「どうか、どうかお許しください……」
「許せだぁ!? テメェふざけやがって! 有り金全部出せやゴラ!」
ガラの悪い男が怒鳴っている男の後ろでは、裕福そうな男がニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。それに怯えた母親と子供は怯えた表情で見上げている。
エレナがそれを理解した瞬間、その中に飛び込もうとした。しかし、そうしなかったのは自らの腕を掴んだ手があることに気づいたためである。
「ま、待ってエレナさん……」
「アンナさん……」
そこには息も絶え絶えに、エレナに追いついてその手を握ったアンナがいた。しかし、それに冷たい視線を送ったエレナは冷たい声で言い放つ。
「放してください。助けてあげないと」
「いいから! 待って」
アンナの意図が理解できず、その手を放してもらおうとするが、意外にもしっかりと握られたその手を放すことが出来ない。困惑したエレナと、それを止めるアンナを置いて中心では話が進んでいた。
「本当に……本当に申し訳ありません……」
「だーかーら! 金出せってんだよ! ブン殴られてぇか……あ?」
しかし、ガラの悪い男の声は萎んでいった。周囲で売り子をしていた者たちがいつの間にやら集まってきていたのだ。女性は母親と子供を守るかのように囲み、男たちはその前に立ち塞がっている。その空気に圧倒されたのか、先ほどまでとは少し小さい声でガラの悪い男が凄む。
「なんだテメェら。関係ねぇ奴らは引っ込んでやがれ!」
その声に売り子の男たちは顔を見合わせ、代表して一人が答えた。
「お客さん、この街で揉め事はご法度なんだ。ここはおとなしく帰っていただけませんかねぇ」
その穏やかな声に怒りを再燃させたのか、顔を歪ませたガラの悪い男は叫ぶ。
「テメェ! こちらの方が街にいくらカネを落としてやったと思ってやがる! その方が迷惑かけられたんだぞ!」
「たかが子供がぶつかっただけじゃないですかい。見たところ服が汚れたわけでもなさそうだ」
「ざけんな!」
どうにも相手には血が上りすぎて問答は終わりそうにもない。やがて受け答えしている売り子とは別の男が叫んでいる男に近づくと襟首を片手で掴み、持ち上げる。持ち上げられた男は掴んでいる腕を殴りつけたり、体を蹴ったりしているが一向に手を放す気配は無かった。
「子供がぶつかって謝ってきた。それで終わりでいいじゃねぇか。なぁ、そっちのダンナもそう思うだろ?」
頼みの綱を、いとも簡単に持ち上げられて晒され、唖然としていた裕福そうな男はその言葉にコクコクと頷くと人混みをかき分けて逃げていく。ようやく手を離され地に尻餅をついたガラの悪い男も一睨みすると、それを追いかけて人だかりに消えた。母親と子供の姿はすでになく、集まっていた人だかりも段々と散っていった。
「ね?」
驚いているエレナに、アンナは得意げに笑いかけた。声を発しないエレナに、アンナは自慢げに説明してくれる。
「この街は職人さんと、その店の人たちが協力して治安を守っているの。だから貴女が身を呈して危険に飛び込む必要はなかったのよ」
「すごい街なんですね……」
「でしょ? ……さ、夕飯の買い物をしましょ。手伝って下さる?」
ようやく状況が飲み込めたエレナの言葉に、アンナは微笑むと何事もなかったようにエレナの手を引く。それに「はい」と答えたエレナは手を引かれるままに街の中を歩きだした。
***
二人が出て行った後も、工房内には重い雰囲気が立ち込めたままだった。そんな中、先に口を開いたのはメイビスだ。
「あの嬢ちゃんが、お前さんの言ってた娘なのか」
重苦しい雰囲気に合った声音には、憐れみを感じられる。
「ええ、おそらく」
「そうか……聖紋を身体に刻むなんざ、それこそ大の大人ですら泣き喚くほどの痛みがあると聞く。それをあんな歳で受けるなんざ考えたくもねえ」
「断っておきますが、彼女が望んだことです。私は強要していませんし、それどころか止めすらしました」
「分かってら。むしろ、お前さんが強要してそんな事してたんだとしたら、今頃虫の息だ」
「でしょうね」
メイビスの冗談に聞こえない言葉に、含み笑いを返したメイクは逆に質問した。
「いつ頃ご結婚されたのですか」
メイクの言葉に、メイビスは照れたように答える。
「お前さんがこの街を離れて、少し経ってからだ。街中で助けてやったらこの家に住み着いて、いつの間にやら結婚させられてた」
「それは……なんとも……」
「いいんだ。気が利くし見てくれもいい。それに金をむやみに使わねぇし料理も旨い。俺にゃあ過ぎた女だと思ってるぐらいさ」
自慢げに語る口調は、夫というより父親のようであったが、それでも嬉しそうに語るメイビスにメイクもつい口元が緩む。
「それは羨ましいことで」
「ならお前さんも、あの嬢ちゃんとそういう仲になればいいさ。見たところ、向こうも満更じゃなさそうだしな」
からかい気味な言葉だったが、メイクは苦笑して首を振った。
「言葉の綾ですよ。それに向こうがどう思っていようが、私にその気はありません」
「だが大事には思ってるんだろう」
「……ええ、まあ」
「だったら、たまには飾り物の一つでも贈ってやるといい。それだけでも大事にされてるってこたぁ伝わるだろうよ」
以前のメイビスからはけっして聞けないような言葉に、メイクは目を白黒させたあと暖かい眼差しを送る。
「本当に良い女性なようですね、アンナさんは」
「うるせい」
照れたように呟くメイビスに微笑むと、顎に手をやってしばらく考え込んだメイクは、やがて顔を上げた。そして懐から紙とペンを取り出すと、ペンを走らせる。それを感じ取ったのか、メイビスが話しかけてくる。
「決まったかい」
「ええ……修理と並行してこういった物を作っていただきたいのですが」
渡された紙を見たメイビスは頷くとニヤリと笑う。
「なるほど、いい考えだな。だが、ここは……」
「そうですね、でもこうしたほうが……」
一枚の紙を見ながら、ああでもないこうでもないと言い合う二人の姿は、二人の少年が悪戯を考えているようにも見え、それはエレナとアンナが買い物を終えて帰ってくる直前まで続くのだった。




