第10話 暗く、湿った街 6
中央にある建物を出てからしばらく歩くと、来るときは静まり返っていた街の住人がいつの間にやら周囲を囲んでいた。どの人も頬は痩せこけ、生気の無いような風貌をしているが、目だけはギラギラと怪しく光っており、その雰囲気は異様の一言に尽きる。
「なによ、何かあたしたちに用?」
今にも飛び掛かってきそうな住人達の空気に警戒したエレナは、メイクを庇うかのように立ち、腰を少し落とす。周囲を見渡すその目は、殺意すら混じっているかのように鋭い。
「花を……ラフレスの花をよこせ」
しばらくは沈黙していた住人達の誰かが、堪えきれなくなったのか呟く。その声はけして大きくは無かったが、死んだかのように静かな街にはよく響いた。そして、それに同調するかのように他の者たちも口々に呟きだした。
「そうだ、よこせ」
「中央に入っていくのは見ていた」
「持ってるんだろう」
「俺たちもあれが欲しい」
「もう耐えられない」
「あれが欲しい」
「ラフレスの花をよこせ」
一人一人の声は小さいが、複数人が同時に声を発しているため、まるで底の見えない谷間を吹き抜ける風が出す得体のしれない不気味さを感じさせる。
「見ての通り、あたしたちは花なんて持ってないわ。そこを通してくれないかしら」
無論のこと、二人は手には何も持っていない。エレナは腰に小さなポーチを付けているだけであり、メイクに至っては手ぶらだ。
「嘘を吐くなあああぁぁ!」
しかし、それでは納得しなかったのか男が一人、口角泡を飛ばしながら飛び掛かってくる。痩せ細ってはいるが、理性を失くしたかのような眼光のせいで、一般人であれば恐怖を覚えて押し倒されてしまうかもしれない。
それでもエレナは冷静だったようだ。飛び掛かってきた男を避けると、下から持ち上げるかように拳を相手の腹に叩き込む。立ち上がる勢いと腕の振り上げによって威力を増したソレは、大の大人を悶絶させるには十分だった。
その男が地面に伏したところで、さらに数人が何事かを叫びながら突っ込んでくる。
一人目、掴みかかろうとしたガタイの良い大男が、振り向きながら伸ばした拳を顎に叩き込まれ地面に倒れこむ。
二人目、背後を取った太めの男が抱き着こうとしたところで、後ろを向かれたまま股間に踵を叩き込まれて顔を青くしながらへたり込んだ。
三人目、小柄な男が頭から突っ込んできたが、顔面に膝を受け痛みのあまり顔を上げると追撃の回し蹴りを首元に受け吹き飛ぶ。
四人目、ヒョロリとした細身で長身の男が突っ込んだ勢いのまま地面に投げ飛ばされ、倒れこんだ顔面に強烈な拳を叩き込まれたあたりで住人達は怯え始めた。
追加が来ないことを確認したエレナが、周囲をゆっくりと睨みつける。
「襲ってくるなら容赦はしないわ」
そして袖をを捲り上げると、そこにはエレナの感情の高ぶりに呼応したかのように、鈍い光を発した聖紋が露わになった。それを見た住人達がさらに怯えたように後ずさると、口々に発する。
「せ、聖紋」
「聖紋持ちだ」
「あんなの無理だ」
しばらく口々になにかを呟いていたようだが、やがて住人達は散り散りに路地へと逃げ帰っていった。後に残ったのは痛みに呻き、蹲る者、意識を刈り取られ、地に伏している者、そしてメイクとエレナの二人だけが残された。
「お疲れ様でした。ケガはありませんか?」
まるでそこに存在していないかのように気配を消していたメイクが、服に付いた土埃を叩き落としているエレナに問う。それに対し、エレナはチラリと視線を向けると首を振った。
「ないわよ。それよりメイクの方は?」
「ありませんよ。私の護衛は優秀ですから」
「良かったわ、その護衛さんが優秀みたいで」
いつもと変わらず軽口を叩くメイクに、エレナも軽口で返すと二人は歩き出す。周囲からは視線を感じるが、先ほどのように襲い掛かろうとする輩はいないようだ。
しばらくは無言で歩き続ける二人だったが、ふとメイクが口を開く。
「いつも荒事を押し付けてすみません」
困ったような哀しいようなメイクの表情をエレナはチラリと見やると、視線を前に戻しながら答えた。
「いいのよ。あなたがケガしたらあたしがいる意味がないもの。それにずっとずっと前に約束したでしょ? メイクがどんな危険な所に行って、どんな危険な目にあっても、あたしが助けてあげるって」
「……」
メイクの位置からでは、少し前を歩くエレナの表情はわからない。なんと答えたものかとメイクが歩きながら考え込んでいると、エレナが先に声を発する。
「目下のところ、疲れた体を揉みほぐしてくれれば嬉しいわね」
そう言われて顔を上げたメイクの視線の先には、振り向きながら楽しそうに笑うエレナがいた。その表情に僅かな申し訳なさを感じつつも、メイクは困ったように笑い、丁寧な動作でお辞儀をした。
「かしこまりました、お嬢様」
「よろしい」
兄妹、あるいは恋人のようにふざけながら歩く二人は、死んだかのようなこの街には似つかわしくないものだったが、まるで二人には関係ないかのように柔らかな空間が二人の周囲にはあった。
二人がヤドリギ亭へとたどり着いた時には、日が傾き、空にはくっきりとした明暗が出来始めていた。
「おかえり。話は聞けたかい?」
宿では女主人であるらふすがテーブルを隅々まで磨き上げているところだった。
「ただいまー」
「ただいま戻りました。そこそこ詳しい話を聞けましたよ」
「そうかい。お腹空いたろう? もうすぐ晩飯にするから少し待っといで」
ラフスは二人の言葉に二カリと笑うと、快活に言った。
その夜、たらふく食べた二人は明日の出発に向けて荷造りをしていた。衣服を畳み、日用品に不備が無いか確かめ、句動二輪の後ろに乗せるバッグの中に次々と詰め込んでいく。黙々と作業していた二人だが、エレナが口を開いた。
「この街はこれからどうなるのかな」
ボソリと呟くように言った言葉に、メイクは作業を続けながら答える。
「おそらく、近いうちに住人達の暴動が起きるでしょうね。あの様子ではここからの復興は難しいでしょうし」
エレナは昼間襲い掛かってきた住人達の姿を思い浮かべる。頬が痩せこけ、肌は不健康そうに青白く、それでいて目には怪しい光を宿した住人達だ。
「人々が何かに依存し、それなくしては生きられなくなってしまった時にその供給が立たれると、それを手に入れようとして大きな争いが起きます。暴動や戦争が。それは先人たちが記してきた歴史の中にも、非常に多く書かれています。たとえそれが国、街、一家族であったとしても規模が違うだけです」
「でも……それじゃあラフスさんはどうなるの? 他のラフレスを使ってない人たちは?」
「……それはわかりません。その争いの中で命を落とすかもしれませんし、たくましく生き残るかもしれません。ですが、それは我々歴史の語り部には関係の無いことです」
「そう……だよね……」
メイクの容赦ない言葉に、エレナは俯いてしまう。いつの間にやら作業を進めるべき手は止まってしまっているが、メイクは気にせず続けた。
「ところでエレナ。私はこの店で食べたあの白いスープの作り方が知りたいのですが、ラフスさんに聞いてきてくれませんか」
いきなり話が切り替わったことに驚きつつも、『わかった』と立ち上がったエレナに、メイクは独り言のように声を出す。
「私はここで作業しているので、下には降りません。ですから、エレナが調理法を教えてもらっている間、誰に何を教えたとしてもわかりません」
エレナは立ち止まり、メイクを見やるが、背を向けて作業を続けるその表情はわからない。その姿にニコリと笑うとエレナは部屋の扉を開けながら言った。
「ありがとう、メイク」
「さて、なんのことですか?」
扉が閉まる音を聞いたメイクは、苦い顔をしながら作業を続けるのだった。




