少年とバハムート
『振りきるぞ、振り落とされるなよ』
シヴァが翼を大きく羽ばたかせた。空気を切り裂きながら雲の中を舞う。背中にしがみつくハイネは身体中に纏わりつく水滴と暴風に顔をしかめながら背後を追ってくる追跡者に目をやった。
四枚の翼を羽ばたかせる竜のような魔物。甲高い悲鳴にも似た叫び声を上げながら、数匹の魔物はシヴァに食らい付くように迫っていた。
『あやつらは何だ?』
「ワイバーンだ。ワイバーンの生息地はユンフラングスだ。こんな場所にいるはずがない、共和軍の使いだろう」
ふんっ、と鼻を鳴らすとシヴァは力いっぱいに翼を羽ばたかせた。積乱雲の中を飛び回る一匹の竜と数匹のワイバーン。暴風雨は瞬く閃光と共にシヴァらを襲う。
圧倒的な戦力の共和軍に対抗するべく、帝国軍極東方面要塞に向かったガナム率いる騎士団は昨日の夜に城を出た。
一方、ハイネとシヴァは北東に向かった。共和軍の目撃情報があったため、調査に向かったのだ。しかし、途中で共和軍の放ったと思われるワイバーンの集団に遭遇してしまった。
「地上に出よう。俺が背中に乗っていたらあいつらにやられてしまう」
『貴様を地上に下ろす』
シヴァは身を翻した。上空から一気に急降下し、積乱雲から抜け出た。地上には木々が生い茂っている。急降下したシヴァは木々のすぐ上を滑空した。
『我があのワイバーン共を殺す間に、共和軍の正体を確かめろ。呼べばすぐに向かう』
「呼べば? 何だって?」
ハイネの問いに答える前にシヴァは巨大な鉤爪を地表に叩き付けるようにして減速し、ハイネを地表に乱暴に下ろす。尻餅をついたハイネを見ることもなく、シヴァは大空に飛び立った。
一人、森の中に取り残されたハイネ。鎧についた泥を落としながら辺りを見回した。
「ったく、此処は何処だ?」
腰の鞘に仕舞っている剣を引き抜き、さらに辺りを見回した。自分より巨大な大木がみっしりと生えている森の中に、魔物の気配も共和軍の気配もない。
「嫌に静かだ。此処もユンフラングスと同じなのか?」
剣を再び鞘に納め、周囲を見回しながら歩き出した。
歩き出して数時間、森が開けて渓谷が姿を現した。眼下に広がる巨大な川の麓には人の住んでいる集落のようなものが見えた。
「村か?」
足場の悪い下り坂を、木々の蔦を頼りにゆっくりと下る。足に触れた小石や枝が転がり落ちると、其処には巨大な滝壺が待ち受けていた。水飛沫を全身に浴びながらようやく降りると、数百人程が住んでいると思われる村に着いた。村は木製の家屋で、村全体は巨大な塀により囲まれている。村の入り口に着くと、ハイネは思わず顔をしかめた
ーー静かだ、静かすぎる。
村全体に響き渡るのは滝壺に流れ落ちる大量の水が撒き散らす轟音。僅かに辺りを駆け回る家畜や鳥を除くと、村は何一つとして音を発しない。
腰の剣を引き抜き、村に一歩踏み出した。僅かに湿っている地面に靴がめり込む。じわりと滲み出る水でぬかるんだ村に生気は感じられい。一人、村を突き進むと、広場には驚きの光景が広がっていた。
無惨に投げ出された無数の死体。地面にじんわりと染み出した大量の血がハイネの鼻に、生臭い獣の臭いをもたらした。腕やら脚、裂かれた腹から溢れだす内臓。死んで間もない、共和軍の兵士達が転がっていたのだ。
「これは・・・」
(共和軍の兵士だな? 目撃された者達の亡骸なのか?)
何処からともなくシヴァの声が聞こえる。驚いたハイネは思わず辺りを見回すが、当然シヴァの姿は見当たらない。
「シヴァか、シヴァなのか? 何処から俺に」
(貴様の心に直接話掛けているのだ。血の記憶を交わしたのだ、当然だろうに。)
「心に、そうか」
(ワイバーンは皆殺しにした。貴様が前に言ったように魔物を操る魔女がいないか辺りを探っている所だ。そっちは亡骸以外に問題はないのか?)
もう一度辺りを見回した。大量の共和軍の死体以外に何も・・・。ハイネはあることに気が付いた。
「村人の死体がない。もしかしたら何処かに隠れているかもしれない。お前はどうする?」
(直ぐに向かう)
広場に転がる死体は原型を留めている者は殆どいない。鎧にすら切り刻まれた異様な死体に近付くと膝魔付き、死体を調べる。巨大な爪に引き裂かれたような傷痕は深く、酷いところでは身体を分断している。これ程の巨大な爪はシヴァ以外に見たことがなかった。
「う・・・うぅ・・・」
村の奥から人の声が聞こえる。うめき声、と言うよりも人が泣いているかのような重い声だ。直ぐに立ち上がり、ハイネは広場を後にした。
突き進んだ村の奥は岩壁に繋がっていた。岩壁には洞窟が掘られ、その入り口付近には人が山のように積まれている。そう、村人が投げ捨てられていたのだ。村人の死体が高く積まれ、そのすぐ手前で踞る少年がいた。
(共和軍の仕業だろう)
「くそ! 村人を皆殺しにしたのか」
(その少年が何か知っているかも知れないぞ?)
ハイネはシヴァの提案に乗った。剣を鞘に納め、そっと少年に話し掛けた。
「何があった、此処で?」
「うぅ・・・」
少年は踞ったまま、膝を抱えて泣いていた。顔を伏せたまま、ただ泣き続けるその少年はハイネの問いに答えることはない。
(もう少し優しく話しかけれないのか?)
「どうやって? だったらお前がやれ」
(冗談を)
シヴァはくすくすと笑っている。不満げな表情を浮かべたが、ハイネはゆっくりとその少年に近づく。
すると突然、シヴァが心の声で叫んだ。
(離れろ、小僧!)
少年の影が突然、ハイネに刃を向けた。間一髪で身を翻したハイネの頬を真っ黒な爪が襲ったのだ。僅かに流れる紅の血。急ぎ、剣を抜き取るとハイネは少年と距離をとった。
ーー許さない、絶対に。
少年がゆっくりと立ち上がる。金の髪を靡かせ、白い肌の上を涙が流れていた。赤く充血した瞳からは憎悪に満ちた怒りが見える。その背後に六枚の翼を持った巨人のような化け物が影から出現した。巨大な爪を持つ強靭な腕で少年を覆うように浮いている。六枚の翼で宙に浮くその化け物は鋭い牙を開き、低い声を漏らした
『貴様は我らの敵か?』
「立ちはだかるのなら貴様の敵になる! ここの村人、共和軍を殺したのも貴様か!」
『はっはっはっ、生意気な小僧め。我がバハムートに歯向かうとは』
バハムートと名乗るその怪物は巨大な爪をで不気味に動かしながらシヴァに似た笑い声を上げた。
(まさかバハムートがその少年と契約によって結ばれているのなら逃げろ。さもなければ貴様はそのバハムートに殺されるぞ。)
シヴァはいつになく強い口調だ。この目の前にいるバハムートによほどの脅威を感じているのだ。
当然、ハイネも同様に脅威を感じている。ユンフラングスで戦った四足の魔物やワイバーンとは明らかに格が違いすぎるのだ。バハムートは六枚の翼を羽ばたかせながらこう言った。
『貴様を殺せと、セティが言っている』




