第9話 帳簿は合っている
残り十八日。
四つ目の袋の四日目でございました。二十六。八十六パーセント。
九つのうち四つまで検め終わりました。八十六、九十、八十三、八十六。悪くございません。
土のほうも、ヨナが毎日持ってまいります。今朝の分は、指で押しますと縁のところが崩れました。まだ真ん中は固うございます。
昼過ぎに、ヴァイデンから馬が参りました。ミレナさまの手紙でございます。今度は封が二重になっておりました。
――エルナさま。
――申し上げたいことが三つございます。
一つ目は、豆のことでございました。アルベルトさまが、南の八十エーカーに豆を蒔く支度を始められたそうでございます。
二つ目は、数のことでございました。ミレナさまはもう一度、ご自分で三十粒を並べられたそうでございます。今度は袋を変えて。
――十六でございました。五十三パーセントです。
二度目のほうが低うございました。二つの袋で、五十六と五十三。平均で五十四でございます。
記録の五十八より、四つ低うございます。四つでしたら、測り方では説明がつきません。
乾かしすぎのぶんでございましょう。第一、あの粒は指で押してへこみました。
三つ目は、帳簿のことでございました。
――家令さまの帳簿を、見せていただきました。
――暮れの売却の欄に、余剰穀 三十俵、とございました。
――その少し前の頁に、種籾 三十俵 蔵入、とございました。同じ三十俵です。
――日付は、九月と、十二月です。
わたくしは手紙を持ったまま、蔵の柱にもたれておりました。
同じ三十俵が、九月には種籾で入り、十二月には余剰穀で出ております。
あいだに、種籾を余剰穀に振り替えた欄はございません。
――アルベルトさまにお見せしました。
――アルベルトさまは、何も仰らずに家令さまをお呼びになりました。
手紙はそこで終わっておりました。終わりの一行だけ、字が乱れております。急いで書かれたのだと存じます。
わたくしは手紙を畳んで、母の文机の抽斗に入れました。前の手紙と並べます。
それから、蔵へ戻って五つ目の袋を出しました。三十粒を取って、布に並べます。四日目に数えます。
それだけの仕事でございます。今日も、そうでございました。
夕方、ヨナが土を持ってまいりました。
「今日のは、崩れます」
わたくしは受け取って、指で押しました。崩れました。
「あと三日、といったところでございます」
「三日」
「日中に雨が降りませんでしたら」
「降らねぇと思いますよ。西の空が乾いてる」
ヨナは麦わらを咥え直しました。
「エルナさん、向こうで何かあったんですか。朝から馬が来てた」
「家令さまが、お呼ばれになったそうでございます」
「呼ばれた」
「はい」
「そりゃ、まずいやつだ」
ヨナはそう申しましたが、それきり訊きませんでした。この方はそういうところがございます。
二日のちに、下男が知らせを持ってまいりました。薪を運んでいた、あの若い者でございます。
「エルナさま。お屋敷が、たいへんでございまして」
「はい」
「家令さまが、暇を出されました」
わたくしは、椀を置きました。
「今朝でございます。荷は、鞄がひとつきりで」
「そうでございますか」
「あの、それで」
下男は、言いにくそうにしております。
「門を出られるとき、わたくしに仰いました。──蔵の鍵は、机の右の抽斗にある、と」
「はい」
「それだけでございます」
蔵の鍵を、最後に渡していかれたのでございます。
「ご苦労さまでございました」
「あの、エルナさま」
「はい」
「今年の数は、幾つでした」
この者は、毎年それを訊いてまいります。
「八十六でございます。九つのうち、四つまでで」
「そりゃ、よろしゅうございますね」
「よろしゅうございます」
下男は嬉しそうに帰ってまいりました。数の意味は分からないと申しておりますのに、良いと聞くと嬉しそうにいたします。
その席で、ゲルハルトは最後までこう申されたと聞きました。
――帳簿は、合っております。
合っております。九月の三十俵と、十二月の三十俵は、同じ三十俵でございます。数は動いておりません。動いたのは名前だけでございます。
あの方の帳簿には、種籾という欄がございませんでした。ですから、蔵にあるあいだに、名前のほうが落ちたのでございます。
わたくしは、それを聞いたときに、少しのあいだ座っておりました。
あの方は、十年、わたくしに一度も無礼をなさいませんでした。蔵の鍵をお持ちで、朝いちばんに開けてくださったのもあの方でございます。冬のあいだ、蔵が冷えすぎませんようにと、藁を運ばせてくださったこともございました。
その同じ方が、三十俵を余剰穀と書かれました。
どちらも本当のことでございます。人は、そのように出来ております。
嬉しくはございませんでした。腹立たしくもございませんでした。
ただ、蔵の棚は、まだ空でございます。
ゲルハルトが暇を出されましても、三十俵は戻ってまいりません。カルステンの種は五十四パーセントのままでございます。八十エーカーは、まだ埋まっておりません。
残り十六日でございます。
その晩、父が蔵へ来られて、こう仰いました。
「向こうの家令が、辞めたそうだな」
「はい」
「お前が何かしたのか」
「何もしておりません」
「そうか」
父は棚を見上げていらっしゃいました。
「……お前は、それでいいのか」
わたくしは、五つ目の布のほうを見ておりました。まだ一日目でございます。何も出ておりません。
「三日のうちに、南が起こし終わります」
「うむ」
「それが済みましたら、東の区画でございます」
父は、しばらく棚を見上げておられました。
「エルナ」
「はい」
「向こうの八十エーカーは、どうなる」
「豆でしたら、間に合います」
「豆にするか」
「決めるのは、あちらでございます」
「お前は、どちらがいいと思う」
わたくしは、五つ目の布のほうを見たまま申し上げました。
「豆でございます」
「なぜ」
「今年まばらに立った麦から取り分けますと、来年の種が弱くなります。弱い種から取り分けますと、再来年はもっと弱くなります」
「二年、三年と続くか」
「続きます。三年で、別のものになります」
父は、蔵の柱に手を置かれました。
「そこまで見えているなら、言ってやればいいだろう」
「請われておりません」
「請われるのを待っていて、間に合うのか」
わたくしは答えませんでした。
答えられませんでした。
九月に「種籾」で入ったものが、十二月に「余剰穀」で出ていく。数は合っています。合っていないのは名前のほうです。帳簿は、欄のないものを記録できません。欄が無ければ、無いものになる——この話の敵役は、悪意ではなくそれです。
解任されてもなお「帳簿は合っている」と言い続ける人を書くのは、思いのほか気の毒な作業でした。あの方は最後まで、自分が何を売ったのか分かっておりません。
明日は値の話に戻ります。十八俵ぶんの見積が出ます。俵の数ではなく、日付のところをご覧ください。
ブックマークと評価は、うちの帳面に欄をひとつ増やす費用に充てさせていただきます。




