↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
来年の種は、取り置いてございません 〜婚約解消いたしましたので、春に何を蒔くかはご自分でお決めください〜  作者: 甲斐みつは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/15

第10話 十八俵と、九日

 残り十四日。


 五つ目の袋の四日目でございました。二十八。九十三パーセント。九つのうちで、いちばん良うございます。


 同じ日に、六つ目を布に並べました。ここからは四日おきに、検めと並べを同じ日にいたします。播種が始まりますと、朝の時が取れなくなりますので。


 南の区画は、一昨日で起こし終わりました。東は半分でございます。


 昼前に、ミレナさまの手紙が参りました。三通目でございます。今度は封が一重に戻っておりました。


 ――エルナさま。


 ――家令さまが、お暇を出されました。


 ――わたしがお見せしたからです。


 字が乱れておりました。


 ――アルベルトさまは、わたしを叱りませんでした。叱られたほうが楽でした。


 わたくしは、そこで手紙を膝に置きました。


 叱られたほうが楽だ、というのは、よく分かります。数を持っていく者はいつも、持っていったあとで独りになります。


 手紙には続きがございました。


 ――コルプ商会から、正式なお見積が参りました。写します。


 ――カルステン産 麦種 十八俵。一俵につき金貨六枚。〆て金貨百八枚。


 ――当家へのお届けは、春分より九日ののち。


 わたくしは、そこを二度読みました。


 春分より、九日ののち。


 蒔けますのは、春分から十四日のあいだでございます。九日ののちに届きますと、残りは五日でございます。


 わたくしは机の端に紙を引き寄せました。


 ヴァイデンの人手は、常のときで六人。馬が二頭。あの人数と馬で一日に蒔ける面積は、六エーカーがせいぜいでございます。十年、毎年見てまいりましたので、そこは間違えません。


 五日で、三十エーカー。


 埋めなければならないのは、八十エーカーでございます。


 ――十八俵をお買いになりましても。


 そこまで書いて、筆を置きました。


 わたくしはもう、あの家の者ではございません。請われましたら申し上げます。請われておりませんことを、こちらから申し上げに行くものではございません。


 手紙をもう一度読み直しました。


 ミレナさまは、見積を「写します」と書いていらっしゃいます。写した、と書いていらっしゃるだけで、どうすればよいかとは、お尋ねになっておりません。


 わたくしは紙を裏返して、机の隅に置きました。


 昼餉のとき、父が申されました。


「向こうから、また手紙か」


「はい」


「返事は」


「書きません」


 父は汁椀を持ったまま、少し考えておられました。


「エルナ。返事を書かんのは、意地か」


 わたくしは箸を置きました。


 意地かどうか、自分でもよく分かりませんでした。ただ、書かない理由なら、いくつでも挙げられます。請われていない。あちらには家令がいらした。わたくしはもうあの家の者ではない。


 理由がいくつも挙がりますときは、たいてい、本当の理由は別にございます。


「……分かりません」


「そうか」


 父は、それ以上お訊きになりませんでした。


 午後、東の区画へ出ました。


 ヨナが先に来ておりまして、畝の向きを見ております。


「エルナさん、ここ、去年と同じ向きにします?」


「変えます。南北に」


「なんで」


「南北のほうが、日が均等に当たります。東西でございますと、片側だけ伸びます」


「へえ。じゃあ全部やり直しだ」


「やり直しでございます」


 ヨナは鍬を持ち直しました。文句は仰いませんでした。打ちながら、わたくしは五日と三十エーカーのことを考えておりました。


 考えても、わたくしの畑ではございません。


 夕方、井戸端で手を洗っておりますと、ヨナが申しました。


「エルナさん、今日ずっと計算してますね」


「顔に出ておりますか」


「手が止まる」


 わたくしは掌を見ました。豆はもう潰れて、固くなりかけております。


「あちらの話でございます」


「あっちの畑、蒔けるんですか」


「間に合いません」


「じゃあ」


 ヨナは麦わらを咥え直しました。


「言ってやんないんですか」


「請われておりませんので」


「請われたら言うんだ」


「はい」


「めんどくせぇ人だな、あんた」


 ヨナはそう申しまして、鍬を担いで行ってしまわれました。


 わたくしは井戸の縁に腰を下ろしまして、しばらくおりました。


 めんどくさい、と言われましたのは、初めてではございません。


 十年前、ヴァイデンへ参りました最初の秋に、蔵の当番の者が同じことを申しました。三十粒を並べて四日待つのを、待てないと申したのでございます。俵を叩いて音を聞けば分かる、と。


 音では分かりません。分かった気になるだけでございます。


 あのとき、わたくしは何と申し上げたでしょうか。覚えておりません。たぶん、何も申し上げなかったのだと思います。


 言わずに十年やっておりますと、言わない人になります。言わない人が居なくなった蔵で、名前のほうが落ちました。


 六つ目の布は、蔵の隅で一日目でございます。


 ……五十四で、二百四十エーカー。四十八俵。手元は三十俵。足りないのは十八俵。


 その十八俵が届く日が、春分の九日後。


 数は合っております。十八俵買えば、俵の数は合います。


 合いますが、蒔けません。


 これは、家令の帳簿と同じでございます。あの方の帳簿では、九月の三十俵と十二月の三十俵が同じ三十俵でございました。数は合っておりました。


 コルプ商会の見積でも、十八俵は十八俵でございます。数は合います。


 合わないのは、いつも日付のほうでございます。


 わたくしは井戸端から立ち上がって、蔵へ戻りました。机に紙を広げて、もう一度書き出しました。


 ――八十エーカー。一日六エーカー。五日。三十エーカー。


 ――残り、五十エーカー。


 五十エーカーぶんの俵は、蔵に残ります。来年まで置きますと、また乾きが進みます。乾きが進めば、来年はもっと落ちます。落ちた種で蒔けば、来年の取り分けはもっと弱くなります。


 三年で、別のものになります。


 わたくしは筆を置いて、紙を伏せました。


 書いたものは、いつか誰かが読むのだと、この十年、思ってまいりました。


 読まれなかったものは、書いていないのと同じでございましょうか。

一日に蒔ける面積というものがあります。人と馬の数で決まっていて、金では増えません。エルナがヴァイデンの人手を「六人と馬二頭」と即答できるのは、十年そこにいたからです。


半値にしても、日付は動かない。動かないものが一つあると、金の話がぜんぶそこで止まります。値切りの得意な方ほど、この止まり方は腹立たしいだろうと思います。


明日、字の読めない男が、帳面の話をいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。