第10話 十八俵と、九日
残り十四日。
五つ目の袋の四日目でございました。二十八。九十三パーセント。九つのうちで、いちばん良うございます。
同じ日に、六つ目を布に並べました。ここからは四日おきに、検めと並べを同じ日にいたします。播種が始まりますと、朝の時が取れなくなりますので。
南の区画は、一昨日で起こし終わりました。東は半分でございます。
昼前に、ミレナさまの手紙が参りました。三通目でございます。今度は封が一重に戻っておりました。
――エルナさま。
――家令さまが、お暇を出されました。
――わたしがお見せしたからです。
字が乱れておりました。
――アルベルトさまは、わたしを叱りませんでした。叱られたほうが楽でした。
わたくしは、そこで手紙を膝に置きました。
叱られたほうが楽だ、というのは、よく分かります。数を持っていく者はいつも、持っていったあとで独りになります。
手紙には続きがございました。
――コルプ商会から、正式なお見積が参りました。写します。
――カルステン産 麦種 十八俵。一俵につき金貨六枚。〆て金貨百八枚。
――当家へのお届けは、春分より九日ののち。
わたくしは、そこを二度読みました。
春分より、九日ののち。
蒔けますのは、春分から十四日のあいだでございます。九日ののちに届きますと、残りは五日でございます。
わたくしは机の端に紙を引き寄せました。
ヴァイデンの人手は、常のときで六人。馬が二頭。あの人数と馬で一日に蒔ける面積は、六エーカーがせいぜいでございます。十年、毎年見てまいりましたので、そこは間違えません。
五日で、三十エーカー。
埋めなければならないのは、八十エーカーでございます。
――十八俵をお買いになりましても。
そこまで書いて、筆を置きました。
わたくしはもう、あの家の者ではございません。請われましたら申し上げます。請われておりませんことを、こちらから申し上げに行くものではございません。
手紙をもう一度読み直しました。
ミレナさまは、見積を「写します」と書いていらっしゃいます。写した、と書いていらっしゃるだけで、どうすればよいかとは、お尋ねになっておりません。
わたくしは紙を裏返して、机の隅に置きました。
昼餉のとき、父が申されました。
「向こうから、また手紙か」
「はい」
「返事は」
「書きません」
父は汁椀を持ったまま、少し考えておられました。
「エルナ。返事を書かんのは、意地か」
わたくしは箸を置きました。
意地かどうか、自分でもよく分かりませんでした。ただ、書かない理由なら、いくつでも挙げられます。請われていない。あちらには家令がいらした。わたくしはもうあの家の者ではない。
理由がいくつも挙がりますときは、たいてい、本当の理由は別にございます。
「……分かりません」
「そうか」
父は、それ以上お訊きになりませんでした。
午後、東の区画へ出ました。
ヨナが先に来ておりまして、畝の向きを見ております。
「エルナさん、ここ、去年と同じ向きにします?」
「変えます。南北に」
「なんで」
「南北のほうが、日が均等に当たります。東西でございますと、片側だけ伸びます」
「へえ。じゃあ全部やり直しだ」
「やり直しでございます」
ヨナは鍬を持ち直しました。文句は仰いませんでした。打ちながら、わたくしは五日と三十エーカーのことを考えておりました。
考えても、わたくしの畑ではございません。
夕方、井戸端で手を洗っておりますと、ヨナが申しました。
「エルナさん、今日ずっと計算してますね」
「顔に出ておりますか」
「手が止まる」
わたくしは掌を見ました。豆はもう潰れて、固くなりかけております。
「あちらの話でございます」
「あっちの畑、蒔けるんですか」
「間に合いません」
「じゃあ」
ヨナは麦わらを咥え直しました。
「言ってやんないんですか」
「請われておりませんので」
「請われたら言うんだ」
「はい」
「めんどくせぇ人だな、あんた」
ヨナはそう申しまして、鍬を担いで行ってしまわれました。
わたくしは井戸の縁に腰を下ろしまして、しばらくおりました。
めんどくさい、と言われましたのは、初めてではございません。
十年前、ヴァイデンへ参りました最初の秋に、蔵の当番の者が同じことを申しました。三十粒を並べて四日待つのを、待てないと申したのでございます。俵を叩いて音を聞けば分かる、と。
音では分かりません。分かった気になるだけでございます。
あのとき、わたくしは何と申し上げたでしょうか。覚えておりません。たぶん、何も申し上げなかったのだと思います。
言わずに十年やっておりますと、言わない人になります。言わない人が居なくなった蔵で、名前のほうが落ちました。
六つ目の布は、蔵の隅で一日目でございます。
……五十四で、二百四十エーカー。四十八俵。手元は三十俵。足りないのは十八俵。
その十八俵が届く日が、春分の九日後。
数は合っております。十八俵買えば、俵の数は合います。
合いますが、蒔けません。
これは、家令の帳簿と同じでございます。あの方の帳簿では、九月の三十俵と十二月の三十俵が同じ三十俵でございました。数は合っておりました。
コルプ商会の見積でも、十八俵は十八俵でございます。数は合います。
合わないのは、いつも日付のほうでございます。
わたくしは井戸端から立ち上がって、蔵へ戻りました。机に紙を広げて、もう一度書き出しました。
――八十エーカー。一日六エーカー。五日。三十エーカー。
――残り、五十エーカー。
五十エーカーぶんの俵は、蔵に残ります。来年まで置きますと、また乾きが進みます。乾きが進めば、来年はもっと落ちます。落ちた種で蒔けば、来年の取り分けはもっと弱くなります。
三年で、別のものになります。
わたくしは筆を置いて、紙を伏せました。
書いたものは、いつか誰かが読むのだと、この十年、思ってまいりました。
読まれなかったものは、書いていないのと同じでございましょうか。
一日に蒔ける面積というものがあります。人と馬の数で決まっていて、金では増えません。エルナがヴァイデンの人手を「六人と馬二頭」と即答できるのは、十年そこにいたからです。
半値にしても、日付は動かない。動かないものが一つあると、金の話がぜんぶそこで止まります。値切りの得意な方ほど、この止まり方は腹立たしいだろうと思います。
明日、字の読めない男が、帳面の話をいたします。




