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来年の種は、取り置いてございません 〜婚約解消いたしましたので、春に何を蒔くかはご自分でお決めください〜  作者: 甲斐みつは


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12/15

第12話 戻れば安くする

 残り六日。


 七つ目の袋の四日目でございました。二十六。八十六パーセント。


 残る二つを、一緒に並べました。播種が始まりますと朝の時が取れなくなりますので、最後の二つはまとめて検めます。


 土は、朝のうちに崩れるようになりました。播種の支度に入ります。


 昼過ぎ、門に荷馬車が停まりました。


 ヴァレンでございました。


「お久しゅうございます、お嬢さん」


「お久しゅうございます」


「畑、進みましたな」


 ヴァレンは東の区画のほうを見ていらっしゃいました。畝が南北に切ってございます。


「向きを変えなすった」


「はい」


「手間だ」


「手間でございます」


 ヴァレンは笑って、御者台から降りてこられました。


「今日は買いに来たんじゃありません。お渡しに来た」


 懐から、紙入れをお出しになりました。中から、一枚の紙をお出しになります。


 折り目が四つ付いております。断ち口が、ぎざぎざしております。


 わたくしの字でございました。


 五二九年、九月から十月。ヴァイデン、カルステン産麦種、三十粒中十七、五十八。


「これは」


「ゲルハルトさんから頂戴しました。三年前に」


 ヴァレンは紙を指で挟んだまま、こちらへは渡されませんでした。


「あの人はね、悪い人じゃない。ただ、種と穀の区別がついてなかった。ついてないまま、あんたの帳面を読んじまった」


「読まれたのですか」


「読みましたよ。五十八って書いてある。八十七とも書いてある。差が二十九ある」


 ヴァレンは、紙の端を指で弾かれました。


「三年前、あの人はうちから種を買いました。買ってから、この頁を見つけた。順番が逆だったんですな」


「買ったあとに」


「そう。買ったあとに、悪いものを買ったと知った。さて、どうします」


 わたくしは黙っておりました。


「返品はできません。もう蒔いちまってる。上に報せれば、自分の目利きが悪かったという話になる」


「先代さまに」


「いや、あの年はもう代替わりの前後でしてね。誰に報せるかも決まってなかった」


 ヴァレンは肩をすくめられました。


「だから、無かったことにした。無かったことにするには、頁が邪魔だ」


「それで、破られた」


「そこは、わたしが言ったわけじゃありませんよ。断っておきますが」


「はい」


「ただ、破ったものをどうしましょうと相談されたんで、わたしが預かると申し上げた」


 この方は、ご自分の手は汚しておられません。汚さずに、いちばん大事なところだけを受け取っておられます。


 ヴァレンは紙を陽に透かされました。


「これが残ってると、翌年からカルステンの種は買えなくなる。あの人は困る。うちも困る」


「それで」


「わたしがもらいました。あの人が破って、わたしが預かった。そういう順番です」


 わたくしは、紙を見ておりました。三年前のわたくしの字は、いまより少し大きうございます。


「お嬢さん」


「はい」


「ご相談です」


 ヴァレンは紙を紙入れに戻されました。


「ヴァイデンへお戻りなさい」


「……」


「戻ると仰るなら、十八俵を半値にします。金貨百八枚が、五十四枚。それから、これもお返しする」


 紙入れを、外套の内へしまわれました。


「悪い話じゃないでしょう。向こうは種が入る。あんたは帳面が戻る。うちは、まあ、損はしますが、あんたが向こうに居てくれるほうが長い目で得をする」


 風が出てまいりまして、門の脇の枝が鳴りました。芽が固く膨らんでおります。


「ヴァレンさま」


「はい」


「お届けは、春分の九日後でございますね」


「そう申し上げております」


「半値になりますと、日付は早まりますか」


 ヴァレンは、少し黙られました。


「……いや、日付は動きません。物は物ですから」


「では、蒔けますのは五日でございます」


「五日ありゃ十分でしょう」


「ヴァイデンの人手は六人、馬が二頭でございます。一日に六エーカーでございます」


 わたくしは門柱のところに立ったまま申し上げました。


「五日で、三十エーカーでございます。埋めるのは八十エーカーでございます」


 ヴァレンの目が、少し細くなりました。


「……五十エーカー、余る」


「余ります。俵のほうが」


 わたくしは、そこで言葉を切りました。


「五十エーカーぶんの俵は、蔵に残ります。来年まで置きますと、また目が覚めにくくなります」


「そりゃ、あんた」


「戻りません」


 ヴァレンは口を開けたまま、こちらをご覧になりました。


「まだ何も言ってませんが」


「戻りましても、日付は動きません」


「……」


「わたくしが戻りますと、来年また同じことが起きます」


 わたくしは、門柱から手を離しました。


「わたくしが何とかすると思われているあいだ、どなたも数を測りません。測らなければ、来年もまた、春に種を買うことになります」


 ヴァレンは、外套の胸のあたりに手をやられました。紙入れのあるところでございます。


「じゃあ、この頁は」


「どうぞ」


「燃やしますよ」


「どうぞ」


 わたくしは頭を下げました。


「十年ぶんの記録は、こちらに九年分ございます」


 ヴァレンは、しばらく動かれませんでした。


「お嬢さん。一つ伺ってよろしいですか」


「はい」


「その九冊、誰かに見せる当てはあるんですか」


 わたくしは、少し考えました。


「ミレナさまが、写しにいらっしゃいます」


「それだけ?」


「それだけでございます」


「十年かけて、写しに来るのが一人」


「一人でございます」


 ヴァレンは、ふ、と息をお吐きになりました。


「割に合いませんな」


「合いません」


 わたくしは頭を下げました。


「ただ、その一人が四日目にご自分で数えるようになりましたので、来年からは、あちらの数はあちらで出ます」


「……それが、あんたの取り分ですか」


「取り分と申しますほどのものでは」


「いや」


 ヴァレンは、初めて笑わずに仰いました。


「商いの話ですよ、それは」


 それから、御者台に戻られました。手綱を取って、一度こちらを見て、それから前を向かれました。


「……あんた、ほんとに怒らないんだな」


「はい」


「怒ってくれたほうが、こっちは楽なんですがね」


 荷馬車が門を出てまいります。轍が、前のものの上に重なりました。


 わたくしは蔵へ戻りまして、八つ目の布を確かめました。一日目でございます。何も出ておりません。


 それから、包みを解いて、五二九年の冊を出しました。


 抜かれた一枚は、戻ってまいりません。


 残りは、九冊でございます。


 九冊で足りるかどうかは、明日、数えれば分かります。

値で動かせるものと、動かせないものがあります。俵の数は金で動きますが、届く日は動きません。届く日が動かなければ、蒔ける面積も動きません。


ヴァレンはそこを分かった上で半値を出しております。分かった上で出したものを断られましたので、この人はこの日、初めて笑わずに帰りました。


明日、エルナは九冊を並べ直します。一枚無くても結論が変わらないかどうかを、確かめなければなりません。

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