第12話 戻れば安くする
残り六日。
七つ目の袋の四日目でございました。二十六。八十六パーセント。
残る二つを、一緒に並べました。播種が始まりますと朝の時が取れなくなりますので、最後の二つはまとめて検めます。
土は、朝のうちに崩れるようになりました。播種の支度に入ります。
昼過ぎ、門に荷馬車が停まりました。
ヴァレンでございました。
「お久しゅうございます、お嬢さん」
「お久しゅうございます」
「畑、進みましたな」
ヴァレンは東の区画のほうを見ていらっしゃいました。畝が南北に切ってございます。
「向きを変えなすった」
「はい」
「手間だ」
「手間でございます」
ヴァレンは笑って、御者台から降りてこられました。
「今日は買いに来たんじゃありません。お渡しに来た」
懐から、紙入れをお出しになりました。中から、一枚の紙をお出しになります。
折り目が四つ付いております。断ち口が、ぎざぎざしております。
わたくしの字でございました。
五二九年、九月から十月。ヴァイデン、カルステン産麦種、三十粒中十七、五十八。
「これは」
「ゲルハルトさんから頂戴しました。三年前に」
ヴァレンは紙を指で挟んだまま、こちらへは渡されませんでした。
「あの人はね、悪い人じゃない。ただ、種と穀の区別がついてなかった。ついてないまま、あんたの帳面を読んじまった」
「読まれたのですか」
「読みましたよ。五十八って書いてある。八十七とも書いてある。差が二十九ある」
ヴァレンは、紙の端を指で弾かれました。
「三年前、あの人はうちから種を買いました。買ってから、この頁を見つけた。順番が逆だったんですな」
「買ったあとに」
「そう。買ったあとに、悪いものを買ったと知った。さて、どうします」
わたくしは黙っておりました。
「返品はできません。もう蒔いちまってる。上に報せれば、自分の目利きが悪かったという話になる」
「先代さまに」
「いや、あの年はもう代替わりの前後でしてね。誰に報せるかも決まってなかった」
ヴァレンは肩をすくめられました。
「だから、無かったことにした。無かったことにするには、頁が邪魔だ」
「それで、破られた」
「そこは、わたしが言ったわけじゃありませんよ。断っておきますが」
「はい」
「ただ、破ったものをどうしましょうと相談されたんで、わたしが預かると申し上げた」
この方は、ご自分の手は汚しておられません。汚さずに、いちばん大事なところだけを受け取っておられます。
ヴァレンは紙を陽に透かされました。
「これが残ってると、翌年からカルステンの種は買えなくなる。あの人は困る。うちも困る」
「それで」
「わたしがもらいました。あの人が破って、わたしが預かった。そういう順番です」
わたくしは、紙を見ておりました。三年前のわたくしの字は、いまより少し大きうございます。
「お嬢さん」
「はい」
「ご相談です」
ヴァレンは紙を紙入れに戻されました。
「ヴァイデンへお戻りなさい」
「……」
「戻ると仰るなら、十八俵を半値にします。金貨百八枚が、五十四枚。それから、これもお返しする」
紙入れを、外套の内へしまわれました。
「悪い話じゃないでしょう。向こうは種が入る。あんたは帳面が戻る。うちは、まあ、損はしますが、あんたが向こうに居てくれるほうが長い目で得をする」
風が出てまいりまして、門の脇の枝が鳴りました。芽が固く膨らんでおります。
「ヴァレンさま」
「はい」
「お届けは、春分の九日後でございますね」
「そう申し上げております」
「半値になりますと、日付は早まりますか」
ヴァレンは、少し黙られました。
「……いや、日付は動きません。物は物ですから」
「では、蒔けますのは五日でございます」
「五日ありゃ十分でしょう」
「ヴァイデンの人手は六人、馬が二頭でございます。一日に六エーカーでございます」
わたくしは門柱のところに立ったまま申し上げました。
「五日で、三十エーカーでございます。埋めるのは八十エーカーでございます」
ヴァレンの目が、少し細くなりました。
「……五十エーカー、余る」
「余ります。俵のほうが」
わたくしは、そこで言葉を切りました。
「五十エーカーぶんの俵は、蔵に残ります。来年まで置きますと、また目が覚めにくくなります」
「そりゃ、あんた」
「戻りません」
ヴァレンは口を開けたまま、こちらをご覧になりました。
「まだ何も言ってませんが」
「戻りましても、日付は動きません」
「……」
「わたくしが戻りますと、来年また同じことが起きます」
わたくしは、門柱から手を離しました。
「わたくしが何とかすると思われているあいだ、どなたも数を測りません。測らなければ、来年もまた、春に種を買うことになります」
ヴァレンは、外套の胸のあたりに手をやられました。紙入れのあるところでございます。
「じゃあ、この頁は」
「どうぞ」
「燃やしますよ」
「どうぞ」
わたくしは頭を下げました。
「十年ぶんの記録は、こちらに九年分ございます」
ヴァレンは、しばらく動かれませんでした。
「お嬢さん。一つ伺ってよろしいですか」
「はい」
「その九冊、誰かに見せる当てはあるんですか」
わたくしは、少し考えました。
「ミレナさまが、写しにいらっしゃいます」
「それだけ?」
「それだけでございます」
「十年かけて、写しに来るのが一人」
「一人でございます」
ヴァレンは、ふ、と息をお吐きになりました。
「割に合いませんな」
「合いません」
わたくしは頭を下げました。
「ただ、その一人が四日目にご自分で数えるようになりましたので、来年からは、あちらの数はあちらで出ます」
「……それが、あんたの取り分ですか」
「取り分と申しますほどのものでは」
「いや」
ヴァレンは、初めて笑わずに仰いました。
「商いの話ですよ、それは」
それから、御者台に戻られました。手綱を取って、一度こちらを見て、それから前を向かれました。
「……あんた、ほんとに怒らないんだな」
「はい」
「怒ってくれたほうが、こっちは楽なんですがね」
荷馬車が門を出てまいります。轍が、前のものの上に重なりました。
わたくしは蔵へ戻りまして、八つ目の布を確かめました。一日目でございます。何も出ておりません。
それから、包みを解いて、五二九年の冊を出しました。
抜かれた一枚は、戻ってまいりません。
残りは、九冊でございます。
九冊で足りるかどうかは、明日、数えれば分かります。
値で動かせるものと、動かせないものがあります。俵の数は金で動きますが、届く日は動きません。届く日が動かなければ、蒔ける面積も動きません。
ヴァレンはそこを分かった上で半値を出しております。分かった上で出したものを断られましたので、この人はこの日、初めて笑わずに帰りました。
明日、エルナは九冊を並べ直します。一枚無くても結論が変わらないかどうかを、確かめなければなりません。




