コート外のMVP
神谷先輩がゆっくりと席へ座る。
部屋には誰かのすすり泣く声だけが残っていた。
誰も言葉を探せない。
誰も次へ進めない。
監督もすぐには口を開かなかった。
しばらく全員を見渡し、小さく息を吐く。
「……以上。」
そう言って終わらせようとした。
でも。
監督はもう一度口を開く。
「いや。」
「まだ一人。」
部屋中の視線が監督へ集まる。
「話してない奴がいる。」
私は誰のことだろうと思った。
監督は真っ直ぐ私を見る。
「橘。」
「……はい。」
「前へ。」
「……え?」
思わず声が漏れた。
「監督、私……。」
「いいから来い。」
頭が真っ白だった。
私は首を横に振る。
「無理です……。」
「私なんか……。」
「前へ。」
監督はもう一度だけ言った。
その声は優しかった。
私は震える足で立ち上がる。
みんなの前へ歩く。
こんな場所に立つなんて思ってもいなかった。
選手じゃない。
マネージャーの私が。
監督は私の隣へ立つ。
「みんな。」
「この半年、一番成長した奴は誰だと思う。」
部屋は静まり返る。
誰も答えない。
監督は続けた。
「神谷か。」
神谷先輩は首を横に振る。
「違います。」
「蓮か。」
蓮さんも笑って首を振る。
「俺じゃないです。」
「守屋か。」
守屋先輩は涙を拭きながら笑う。
「絶対違います。」
部屋に少しだけ笑いが戻る。
監督はゆっくり頷く。
「そうだ。」
「違う。」
そして。
私の肩へ手を置いた。
「この半年。」
「俺が選ぶMVPは。」
「橘結衣。」
私は何を言われたのか分からなかった。
「……え。」
言葉にならない。
監督は私を見ずに話を続けた。
「四月。」
「入部した頃。」
「ルールも知らなかった。」
「ポジションも知らなかった。」
「ボールを渡すのも怖がってた。」
守屋先輩が少し笑う。
「毎日謝ってましたね。」
「そうだな。」
監督も笑う。
「ペットボトルを並べるだけで精一杯。」
「選手の名前も覚え切れてなかった。」
私は恥ずかしくて俯く。
全部、本当だった。
「でも。」
「五月。」
「六月。」
「七月。」
「お前は毎日変わっていった。」
監督の声が少しだけ柔らかくなる。
「誰より早く体育館へ来た。」
「誰より遅く帰った。」
「頼まれてないことまで動いた。」
「ドリンク。」
「氷。」
「タオル。」
「テーピング。」
「全部。」
「選手が言う前に準備するようになった。」
私は思わず涙がこぼれた。
「そして。」
「ノート。」
部屋のみんなが私を見る。
「相手チーム。」
「ローテーション。」
「サーブコース。」
「ブロック。」
「助走。」
「全部書いていた。」
「俺でも気付かないことが書いてあった。」
監督は蓮さんを見る。
「蓮。」
「お前。」
「復帰できた理由は何だ。」
蓮さんは迷わなかった。
「みんなです。」
少し間を置く。
「でも。」
「橘のノートが、一番大きかったです。」
私は顔を上げる。
蓮さんは私を見て笑った。
「あれがあったから。」
「まだ跳べるって思えました。」
監督は神谷先輩を見る。
「神谷。」
「お前は。」
神谷先輩は即答した。
「助けられました。」
「何度も。」
「ノートだけじゃありません。」
「橘自身にも。」
私は涙が止まらない。
監督は守屋先輩を見る。
「守屋。」
「お前。」
「毎日何回ドリンクもらった。」
守屋先輩は笑った。
「数え切れないっす。」
「試合中も。」
「練習中も。」
「俺が欲しい時にはもう持ってました。」
「助かった。」
監督は岡田先輩を見る。
「岡田。」
「はい。」
「落ち込んでた時。」
「誰が声掛けた。」
岡田先輩は涙を拭く。
「橘です。」
「何も言わず。」
「隣にいてくれました。」
「それだけで。」
「救われました。」
「杉山。」
「はい。」
「怪我した時。」
「誰が毎日アイシング準備した。」
「橘です。」
「テーピングも。」
「何回も巻き直してくれました。」
「小林。」
「お前。」
「忘れ物。」
「一回でもあったか。」
小林先輩は首を振る。
「ないです。」
「全部。」
「橘が確認してくれてました。」
監督は水谷先輩を見る。
「部長。」
水谷先輩は静かに頷く。
「俺。」
「何回助けられたか分かりません。」
「部長として。」
「橘がいたから。」
「周りを見られました。」
「ありがとう。」
最後に監督は部屋全体を見渡した。
「試合には出ない。」
「点も取らない。」
「スパイクも打たない。」
「でも。」
「半年間。」
「誰よりチームを支え続けた。」
「俺は。」
「そう思ってる。」
監督はゆっくり言う。
「俺のMVPは。」
「橘結衣。」
「異論ある奴。」
「いるか。」
誰も動かない。
最初に守屋先輩が口を開いた。
「ありません。」
「文句なしです。」
岡田先輩。
「ありません。」
杉山先輩。
「俺もです。」
小林先輩。
「当然です。」
蓮さん。
「俺も。」
水谷先輩。
「満場一致です。」
最後に。
神谷先輩が私を見る。
少しだけ笑った。
「俺も。」
その一言で。
張り詰めていた何かが切れた。
「っ……。」
涙が止まらない。
「そんな……。」
「私……。」
「何も……。」
首を振る。
「何もできてません……。」
監督は静かに言う。
「それでも。」
「全員がお前を選んだ。」
「それが答えだ。」
私は立っていられなかった。
涙が止まらない。
肩が震える。
息ができない。
監督は少しだけ待ってくれた。
誰も急かさない。
静かな時間だけが流れる。
そして監督は優しく言った。
「MVP。」
「最後に。」
「お前の言葉を聞かせてやれ。」
私はゆっくり顔を上げた。
目の前には。
半年間、一緒に戦ってきたみんながいた。
涙でぼやけて見えなくなるほど、大好きなみんなが。
私は大きく息を吸った。




