最後の夜に繋ぐ言葉
ホテルへ戻るバスの中は、驚くほど静かだった。
窓の外には、夕焼けに染まる街並みが流れていく。
試合が終わってまだ一時間も経っていない。
さっきまで何千人もの歓声に包まれていたとは思えないほど、車内にはエンジンの音しか響いていなかった。
私は一番後ろの補助席に座り、膝の上でタオルを握っていた。
誰も寝ていない。
誰もスマホを見ていない。
誰も話さない。
神谷先輩は窓の外を見たまま動かない。
蓮さんはイヤホンも付けず、前だけを見つめている。
守屋先輩は肘を膝に乗せ、俯いたままだった。
水谷先輩はそんなみんなを一度だけ見渡し、また静かに目を閉じた。
監督も何も言わない。
その沈黙が、負けたという現実を何度も突き付けてきた。
ホテルへ到着する。
「お疲れ様です。」
ホテルのスタッフが迎えてくれた。
みんな笑顔を作ろうとした。
でも、作れなかった。
荷物を降ろし、それぞれが部屋へ戻っていく。
私はみんなの背中を見送る。
誰一人、足取りは軽くなかった。
部屋へ戻ると、私はマネージャー用のバッグを床へ置いた。
ドリンクボトルを一本ずつ洗う。
空になったスクイズ。
今日一日で使い切ったテーピング。
氷嚢。
全部が、「試合が終わった」と教えてくる。
涙が溢れそうになり、私は慌てて蛇口をひねった。
冷たい水で顔を洗う。
鏡を見る。
目が赤い。
「駄目。」
私は両手で頬を叩いた。
まだ終わってない。
三年生は、まだ卒業していない。
そう言い聞かせた。
夕食会場。
いつもなら一番うるさい時間だった。
守屋先輩がご飯を山盛りによそって。
蓮さんが「食い過ぎ」と笑って。
水谷先輩が「明日も試合あるぞ」と注意して。
神谷先輩は黙々と食べる。
それが、このチームの日常だった。
だけど今日は違う。
箸の音だけが聞こえる。
誰もおかわりをしない。
誰も笑わない。
監督も静かにご飯を口へ運ぶだけだった。
途中、一人のホテルスタッフが恐る恐る声を掛けてきた。
「皆さん、本当に素晴らしい試合でした。」
全員が顔を上げる。
スタッフは少し照れ臭そうに笑った。
「仕事が終わってから、従業員みんなで見てました。」
「最後まで、本当に感動しました。」
「ありがとうございました。」
そう言って頭を下げた。
誰も返事ができなかった。
代わりに水谷先輩が立ち上がり、深く頭を下げる。
「ありがとうございました。」
スタッフもまた深く頭を下げ、静かに会場を後にした。
その背中を見送りながら、守屋先輩がぽつりと呟く。
「……まだ応援してくれる人、いるんすね。」
誰も返事をしなかった。
でも、その一言だけで少しだけ空気が柔らかくなった。
食事を終え、それぞれが食器を片付ける。
「二十分後、ミーティング。」
監督の声だけが静かに響く。
「はい。」
短い返事。
部屋へ戻り、ジャージへ着替える。
時計を見る。
あと五分。
私はノートを胸に抱え、ミーティングルームへ向かった。
扉を開ける。
もう全員が揃っていた。
神谷先輩。
水谷先輩。
蓮さん。
守屋先輩。
岡田先輩。
杉山先輩。
小林先輩。
誰も話していない。
私は一番後ろへ静かに座る。
監督が部屋へ入ってきた。
全員が立ち上がる。
「お願いします。」
「お願いします。」
椅子へ座る。
監督はすぐには話さなかった。
テーブルに置かれた試合の記録用紙を見つめる。
その紙には、
『白鷹 二十九―二十七 聖明』
その数字だけが残っていた。
監督はゆっくりと記録用紙を閉じる。
部屋には時計の秒針だけが響いていた。
長い沈黙。
誰も顔を上げない。
やがて監督は静かに口を開く。
「……お疲れ。」
そのたった一言で。
張り詰めていた空気が、少しだけ揺れた。
「今日の試合。」
「悔しいな。」
全員が俯いたまま頷く。
「勝てた試合だった。」
誰も否定しない。
「でも。」
監督は全員を見渡した。
「負けた試合でもあった。」
「あと二点。」
「その二点を取る力が、今日の白鷹にはあった。」
「それが、日本一だ。」
部屋は静まり返っていた。
監督は続ける。
「だが。」
「俺は、お前たちを責めるつもりは一切ない。」
「ここへ来るまで、お前たちはどれだけ努力してきた。」
「毎朝の練習。」
「放課後。」
「休日。」
「合宿。」
「怪我。」
「悔し涙。」
「全部、俺は見てきた。」
「だから今日負けたからといって、その努力が消えることはない。」
監督は少しだけ笑った。
「むしろ今日、お前たちは全国へ証明した。」
「聖明高校は、ここまで来るチームなんだと。」
「誰が相手でも戦えるチームなんだと。」
誰も顔を上げない。
でも、みんな監督の言葉を一つも聞き逃すまいとしていた。
監督はゆっくり息を吐く。
「そして。」
「今日で終わりじゃない。」
「まだ話したいことがある。」
「今日は、このチームで過ごす最後の夜だ。」
「だから。」
「三年生。」
「お前たちの言葉を、後輩たちへ残してやれ。」
部屋の空気がまた変わる。
私はゆっくり三年生を見る。
水谷先輩。
蓮さん。
そして神谷先輩。
監督は静かに頷いた。
「まずは、水谷。」
「お前から話せ。」
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