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青春病。  作者: 翠吉
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59/81

波音と笑い声

合宿最終日。

目を覚ました瞬間、身体の重さが昨日までとは違った。

腕も。

足も。

肩も。

自分が練習をしていたわけではないのに、三日間動き続けた疲れが残っている。

布団を畳み、荷物をまとめて食堂へ向かった。

「おはようございます。」

「おはよう、結衣。」

水谷先輩が厨房から顔を出す。

朝食の準備は、ほとんど終わっていた。

机にはパンとゼリー。

昨日の残りのスープも温められている。

「手伝います。」

「じゃあ、飲み物お願い。」

「はい。」

コップを並べていると、二階から大きな足音が響いた。

「最終日ぃ……。」

守屋先輩が壁に手をつきながら食堂へ入ってくる。

「朝からうるさい。」

その後ろを歩く神谷先輩が言う。

「神谷さん、身体痛くないんすか?」

「痛い。」

「じゃあ、もっと疲れた顔してくださいよ。」

「顔に出す必要ねぇだろ。」

「そういうとこっすよ。」

守屋先輩は自分の席へ座ると、机に突っ伏した。

「今日の練習、軽いといいな。」

「最終日に軽くするわけないだろ。」

蓮先輩が笑いながら隣へ座る。

「やっぱり?」

「諦めろ。」

全員が揃い、朝食が始まる。

いつもより会話は少ない。

食べながら足を伸ばす人。

肩を回す人。

眠そうに目を擦る人。

それでも、監督が食堂へ入ってきた瞬間、全員の姿勢が少しだけ正された。

「最終日。」

監督が短く言う。

「午前はフルゲーム。」

守屋先輩が小さく顔を伏せる。

「やっぱり。」

「この三日間でやったことを全部出せ。」

監督は食堂を見渡す。

「疲れてるのは分かってる。」

「疲れた状態で、どれだけ考えられるかを見る。」

「はい。」

「午後は空けてある。」

守屋先輩が勢いよく顔を上げる。

「休みですか?」

「掃除が終わればな。」

「頑張ります。」

「練習も頑張れ。」

「はい!」

朝食を終えると、すぐに体育館へ向かった。

中に入ると、すでにネットが張られていた。

ボールもコート脇へ並べられている。

監督はホワイトボードにスターティングメンバーを書いていた。

いつもの六人。

守屋先輩がリベロのビブスを着る。

神谷先輩が一番のユニホームを整える。

水谷先輩が全員を集めた。

「最後。」

短い言葉。

それだけで、空気が変わった。

「疲れてるからこそ、声出すぞ。」

「はい!」

アップが始まる。

身体は重い。

助走も。

ジャンプも。

レシーブへの一歩目も、初日より明らかに遅い。

それでも、誰も止まらなかった。

「もう一本!」

神谷先輩の声。

トスが上がる。

蓮先輩が跳ぶ。

高い。

三日目でも、まだ跳べている。

強烈なスパイクが床へ突き刺さった。

「ナイス!」

私は記録用紙を開きながら、昨日までに書いた内容を確認する。

セッターの足。

サーブ前の癖。

ブロックの移動。

長いラリーの後の判断。

今日の相手は同じチームの部員。

それでも、見ることはある。

監督が笛を鳴らした。

「始めるぞ。」

二チームがコートへ入る。

十五点先取。

三セット。

最初のセット。

序盤から、神谷先輩たちがリードした。

三日間の疲れがあるはずなのに、ボールは簡単には落ちない。

守屋先輩が拾う。

水谷先輩が繋ぐ。

神谷先輩が散らす。

蓮先輩だけではない。

杉山先輩。

小林先輩。

岡田先輩。

全員が使われる。

八対五。

相手チームのタイムアウト。

私は急いでドリンクを渡す。

「相手、ブロックが少し中央に寄ってます。」

私が言うと、神谷先輩が頷く。

「見えてる。」

「ライト、空きます。」

「ああ。」

試合再開。

最初の一本。

神谷先輩は中央へ上げた。

相手ブロックが寄る。

次。

同じ形から背面。

蓮先輩。

一枚。

高い打点から叩き込む。

「よし!」

九対五。

言ったことが、すぐにコートの中へ反映される。

それが少しだけ嬉しかった。

第一セット。

十五対十。

神谷先輩たち。

第二セット。

相手チームが粘る。

レシーブで崩され。

ブロックに捕まり。

十対十二。

劣勢。

「焦るな。」

水谷先輩が全員を集める。

「昨日と同じ。」

「我慢。」

守屋先輩が続ける。

神谷先輩が短く頷く。

「一本。」

そこから。

守屋先輩が強打を上げる。

水谷先輩が二段トスを繋ぐ。

蓮先輩が三枚ブロックに当てて外へ出す。

十一対十二。

次のラリー。

長く続く。

何度打っても決まらない。

それでも、誰も止まらない。

最後は杉山先輩のブロック。

十二対十二。

流れが戻る。

十五対十三。

第二セットも取った。

それでも監督は笛を鳴らした。

「三セット目。」

「二セット取ったのに?」

守屋先輩が聞く。

「全国で二セット取ったら終わりとは限らない。」

「それはそうですけど。」

「最後までやれ。」

「はい!」

三セット目。

疲れは隠せなくなっていた。

神谷先輩のトスが少し低くなる。

蓮先輩の助走が一歩遅れる。

守屋先輩の膝も、何度も床へ落ちる。

それでも。

誰かが崩れれば、誰かが支えた。

神谷先輩が追いつけなければ、水谷先輩が上げる。

水谷先輩が乱せば、守屋先輩が繋ぐ。

蓮先輩が止められれば、杉山先輩と小林先輩が決める。

十二対十二。

最後まで、簡単には終わらない。

相手の強打。

守屋先輩が弾く。

ボールが大きくコートの外へ飛ぶ。

神谷先輩が走る。

片手で高く上げる。

「蓮!」

乱れたトス。

それでも蓮先輩は助走を合わせる。

二枚ブロック。

指先を狙い、外へ弾く。

十三対十二。

次の一本。

神谷先輩のサーブ。

相手のレシーブが乱れる。

返ってきたボールを、水谷先輩が丁寧に上げた。

神谷先輩が走る。

中央。

小林先輩。

速い。

十四対十二。

マッチポイント。

「最後!」

水谷先輩が叫ぶ。

相手のサーブ。

守屋先輩が受ける。

少し短い。

神谷先輩が前へ走る。

青峰との決勝で見た時と同じ。

どんな体勢でも、ボールの下へ入る。

トスは蓮先輩。

三枚。

蓮先輩は強く打ち込まず、ブロックの後ろへ落とした。

誰もいない場所。

ボールが床へ触れる。

笛。

十五対十二。

ゲーム終了。

「ありがとうございました!」

声が体育館いっぱいに響いた。

その瞬間、何人もその場へ倒れ込んだ。

「終わった……。」

守屋先輩が大の字になる。

「生きてる?」

水谷先輩が笑う。

「ぎりぎり。」

蓮先輩も床へ座り、首にかけたタオルで汗を拭いていた。

神谷先輩は膝へ手をつきながら、長く息を吐く。

監督が全員を見渡した。

「三日間、よくやった。」

倒れていた選手たちが顔を上げる。

「全国まで時間はない。」

「だが、焦っても強くはならない。」

「今日できなかったことを、明日からまた積み上げろ。」

「はい!」

「午前は終わり。」

監督が時計を見る。

「合宿棟を片付けたら解散。」

「はい!」

返事の中に、少しだけ安堵が混じる。

体育館と合宿棟の掃除を終えた頃には、昼を過ぎていた。

布団を畳み。

床を拭き。

厨房を片付ける。

冷蔵庫の中に残った食材も分けた。

三日間過ごした場所が、少しずつ元の姿へ戻っていく。

「なんか寂しいな。」

守屋先輩が空になった食堂を見渡す。

「昨日まで帰りたいって言ってたじゃないですか。」

「終わるってなると寂しいんだよ。」

「都合いいですね。」

「青春ってそういうもんだから。」

「何言ってるんですか。」

笑い声が響く。

その時、水谷先輩が手を叩いた。

「よし。」

全員が振り返る。

「このまま帰るのもつまんないし、海行くか。」

一瞬、食堂が静かになる。

「海?」

守屋先輩が聞き返す。

「近いだろ。」

「行きます!」

さっきまで疲れ切っていた人とは思えない勢いだった。

「監督、いいですか?」

水谷先輩が確認する。

監督は少しだけ呆れたように息を吐いた。

「事故だけは起こすな。」

「はい!」

「深いところまで行くなよ。」

「分かってます!」

「特に守屋。」

「なんで俺だけ!」

荷物を置き、必要な物だけを持って海へ向かった。

学校から車で少し走ると、窓の向こうに青い海が見えてくる。

「海だ!」

守屋先輩が子どものような声を上げる。

「うるさい。」

神谷先輩が隣から言う。

「神谷さん、テンション低すぎません?」

「疲れてる。」

「海見たら治りますよ。」

「治らねぇよ。」

駐車場へ着くと、守屋先輩は真っ先に砂浜へ走っていった。

「走るな!」

水谷先輩が声をかける。

「大丈夫です!」

言った直後、砂に足を取られて転ぶ。

「全然大丈夫じゃないじゃん。」

蓮先輩が笑う。

夏の海。

強い日差し。

波の音。

体育館とはまったく違う空気だった。

先輩たちは靴を脱ぎ、次々に海へ入っていく。

「冷たっ!」

守屋先輩の声が響く。

「蓮さん、こっち来てください!」

「嫌な予感しかしない。」

そう言いながら近づいた蓮先輩へ、守屋先輩が思い切り水をかける。

「お前。」

次の瞬間。

蓮先輩が両手で水をすくい、倍の量を返した。

「うわっ!」

「先にやったの守屋だからな。」

水谷先輩も巻き込まれ、三人で水をかけ合い始める。

杉山先輩たちは少し離れた場所で、砂浜に線を引きながら何かを話していた。

「結衣も来なよ!」

守屋先輩が手を振る。

「私はここでいいです!」

靴を脱ぎ、波打ち際へ立つ。

足元まで来た水が、すぐに引いていく。

冷たい。

でも、気持ちいい。

少し離れた場所には、神谷先輩がいた。

海には入らず、砂浜に座って先輩たちを見ている。

私は少し迷ってから、その隣へ向かった。

「入らないんですか?」

「ああ。」

「せっかく来たのに。」

「見てるだけでいい。」

「全然楽しそうに見えません。」

神谷先輩がこちらを見る。

「お前は?」

「楽しいです。」

「ならいい。」

それだけ言って、また海へ視線を戻す。

いつもの短い返事。

でも。

少しだけ口元が緩んでいるように見えた。

「結衣ー!」

守屋先輩の声。

振り返る。

その瞬間。

冷たい水が身体へかかった。

「きゃっ!」

「守屋先輩!」

「足だけじゃつまんないでしょ!」

「やりましたね!」

近くに落ちていた小さなバケツを手に取り、水をすくう。

「結衣、待って。」

「待ちません!」

守屋先輩へ向かって思い切りかける。

「うわっ!」

「結衣、意外と容赦ないな。」

水谷先輩が笑う。

「水谷先輩も笑ってる場合じゃないです!」

「俺も?」

そのまま水谷先輩にもかける。

「よし、全員敵だな。」

「ちょっと待ってください!」

逃げる。

でも砂に足を取られて、思うように進めない。

後ろから水が飛んでくる。

笑い声。

波の音。

気付けば、部活着の裾まで濡れていた。

「神谷さんだけずるい!」

守屋先輩が砂浜を指差す。

「凛太郎も連れてこい!」

水谷先輩が言う。

「やめろ。」

神谷先輩が立ち上がる。

その時には、蓮先輩と守屋先輩が両側から腕を掴んでいた。

「離せ。」

「全員参加です。」

「俺はいい。」

「駄目です。」

「守屋。」

「はい?」

「後でレシーブ追加。」

「今は聞こえません!」

二人に引っ張られ、神谷先輩も海へ入る。

足元へ波が来た瞬間、守屋先輩が水をかけた。

「お前。」

神谷先輩の低い声。

「すみません。」

「遅い。」

神谷先輩が静かに水をすくう。

次の瞬間。

守屋先輩の顔へまともにかかった。

「神谷さんまで!」

「先にやったの、お前だろ。」

蓮先輩が笑う。

結局、全員が濡れた。

誰が誰に水をかけたのかも分からない。

逃げて。

追いかけて。

笑って。

体育館では見たことのない顔ばかりだった。

しばらくして疲れた私たちは、砂浜へ並んで座った。

目の前には、光を反射する海。

少し遠くで、波がゆっくりと崩れている。

「楽しかった。」

守屋先輩が仰向けになる。

「疲れた。」

水谷先輩が隣で笑う。

「明日からまた練習だけどな。」

蓮先輩の一言に、守屋先輩が顔を覆った。

「今は言わないでください。」

「現実だろ。」

「今日は忘れさせてください。」

笑い声が起きる。

水谷先輩が立ち上がった。

「写真撮るぞ。」

「またですか?」

私が聞く。

「合宿の記念。」

「カメラ持ってきてます。」

「さすが結衣。」

スマートフォンを置ける場所を探し、タイマーを設定する。

全員が海を背に並ぶ。

ユニホームではなく。

汗だくの練習着でもなく。

髪も服も濡れたまま。

誰も格好つけていない。

「結衣、早く!」

守屋先輩が手を振る。

「今行きます!」

急いで列へ向かう。

空いていた場所は、神谷先輩の隣だった。

少しだけ迷ってから、その場所へ入る。

「ちゃんと前見ろ。」

神谷先輩が小さく言う。

「見てます。」

「あと三秒!」

水谷先輩の声。

「聖明、全国行くぞ!」

「おー!!」

シャッターの音が響く。

画面を確認すると、全員が笑っていた。

集合写真の時とは違う。

優勝旗も。

ユニホームもない。

ただ、海を背に笑っているだけの写真。

それなのに。

きっと私は、この一枚もずっと忘れないと思った。

全国へ向けた合宿だった。

苦しくて。

疲れて。

何度も早く終わってほしいと思った。

でも。

本当に終わるとなると。

もう少しだけ、この時間が続けばいいと思った。

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