30人前のカレー
翌朝。
いつもより少し早く学校へ着くと、体育館の裏にある合宿棟の前には、すでに大きな荷物が並んでいた。
「おはようございます。」
「おはよう、結衣。」
水谷先輩が段ボールを運びながら答える。
「食材、冷蔵庫に入れてあるから確認お願い。」
「分かりました。」
合宿棟へ入る。
中は少し古く、木の床を歩くたびに小さく音が鳴った。
一階には食堂と浴室。
二階には畳の部屋がいくつか並んでいる。
食堂の奥にある厨房へ向かい、昨日買った食材を確認する。
肉。
野菜。
飲み物。
朝食用のパンとゼリー。
全部揃っている。
「結衣。」
入口から声がして振り返る。
神谷先輩が、飲み物の入った箱を抱えて立っていた。
「それ、どこ。」
「冷蔵庫の横で大丈夫です。」
神谷先輩が箱を置く。
「朝飯は食ったか。」
「はい。」
「そうか。」
それだけ確認すると、すぐに厨房を出ていく。
相変わらず短い。
でも。
以前なら、そんなことすら聞かれなかった気がした。
「全員集合!」
体育館から監督の声が響く。
急いで向かうと、選手たちはすでにコートの中央へ集まっていた。
「今日から三日間。」
監督が全員を見渡す。
「全国で戦える体力を作る。」
守屋先輩が小さく顔を引きつらせる。
「初日から嫌な予感しかしない。」
「聞こえてるぞ。」
「何も言ってません。」
「午前は基礎体力。」
監督は構わず続ける。
「午後はゲーム形式。」
「夜は映像を使って全国大会の対策をする。」
「はい!」
「食事、掃除、洗濯も自分たちでやれ。」
「遠征先で誰かが全部やってくれると思うな。」
全員が頷く。
「マネージャー一人に任せるのも禁止だ。」
その言葉に、何人かが私を見る。
「結衣が全部やってくれると思ってました。」
守屋先輩が冗談っぽく言う。
「守屋。」
「はい。」
「今日の夕飯、お前が作れ。」
「すみませんでした。」
笑い声が起きる。
「アップ始めろ。」
「はい!」
合宿初日の練習が始まった。
最初は体育館の周りを走る。
その後はダッシュ。
ジャンプ。
体幹。
いつもの練習より、明らかに量が多い。
「あと一本!」
監督の声が響く。
選手たちは汗だくになりながら、何度もコートを往復する。
私はタイムを記録し、空になったボトルを交換する。
「守屋先輩、これ。」
「ありがとう……。」
ドリンクを受け取った守屋先輩は、その場に座り込んだ。
「初日でこれって、三日目生きてます?」
「たぶん。」
「たぶんなんだ。」
蓮先輩が隣で笑う。
「まだ午前だからな。」
「言わないでください。」
午前練習が終わる頃には、全員が床に倒れ込んでいた。
「昼まで一時間。」
監督が時計を見る。
「各自、食事と休憩。」
「はい……。」
力のない返事が重なる。
昼食は買っておいたパンとおにぎりで簡単に済ませた。
午後の練習も終わり、時計を見るともう六時を過ぎていた。
「夕飯作るぞ。」
水谷先輩が声を上げる。
「今日はカレーでいいんだよな?」
「はい。」
私は厨房へ向かい、冷蔵庫から食材を取り出す。
「誰が手伝う?」
「俺やります。」
守屋先輩が真っ先に手を上げる。
「つまみ食いするから駄目。」
「信用なさすぎません?」
「昨日の買い出し見たら無理だろ。」
水谷先輩が笑う。
結局、水谷先輩と守屋先輩、私の三人で作ることになった。
蓮先輩たちは食堂の準備。
神谷先輩は監督と夜のミーティング用の映像を確認している。
「結衣、玉ねぎお願い。」
「はい。」
まな板の上へ玉ねぎを置く。
皮を剥き、包丁を入れる。
隣では水谷先輩が肉を切っていた。
「結衣、料理するんだ。」
「たまにですけど。」
「意外。」
「どういう意味ですか。」
「もっと全部お母さんにやってもらってそう。」
「失礼です。」
「ごめん。」
水谷先輩が笑う。
その向こうでは、守屋先輩が人参を不揃いな大きさに切っていた。
「守屋先輩、それ大きすぎます。」
「男の料理はこれくらいでいいんだよ。」
「火が通りません。」
「じゃあ小さくします。」
素直に切り直す姿に、思わず笑ってしまう。
鍋で肉と野菜を炒める。
水を入れ、煮込む。
体育館とは違う音が厨房に響いていた。
包丁の音。
鍋が煮える音。
食堂から聞こえる先輩たちの笑い声。
合宿なのに、どこか家にいるような空気だった。
「いい匂い。」
蓮先輩が厨房を覗き込む。
「まだです。」
「一口だけ。」
「守屋先輩と同じこと言わないでください。」
「俺は味見。」
「俺も味見だったんだけど。」
守屋先輩が不満そうに言う。
「二人とも出てってください。」
私が言うと、蓮先輩は笑いながら食堂へ戻っていった。
カレーが完成し、全員で食堂の長い机を囲む。
「いただきます!」
声を揃え、食べ始める。
「うまっ。」
守屋先輩が一口目で声を上げる。
「俺が切った人参のおかげだな。」
「大きさバラバラでしたけどね。」
「それがいいんだよ。」
水谷先輩も笑いながら食べている。
「結衣、これ何杯分作った?」
「一応、三十人前くらいです。」
「余るか?」
「この感じだと余らないと思います。」
蓮先輩はすでに一杯目を食べ終えていた。
「おかわり。」
「早いです。」
「練習したから。」
次々に皿が空になっていく。
私は足りなくならないか心配しながら、鍋の中を確認した。
「結衣。」
神谷先輩に呼ばれる。
「はい?」
空になった皿を持って立っていた。
「おかわりですか?」
「ああ。」
「どれくらい入れます?」
「普通。」
「神谷先輩の普通が分かりません。」
「さっきと同じ。」
皿を受け取り、同じくらいの量を盛る。
神谷先輩はそれを受け取ると、少しだけ足を止めた。
「うまかった。」
「え?」
「カレー。」
短く言って、自分の席へ戻っていく。
私はお玉を持ったまま、その背中を見送った。
「結衣。」
水谷先輩が笑いを堪えながらこちらを見ている。
「手、止まってる。」
「止まってません。」
慌てて鍋へ向き直る。
「凛太郎、ああいうこと言うんだな。」
「普通に感想言っただけです。」
「まだ何も言ってないけど。」
「水谷先輩も葵みたいなこと言わないでください。」
食堂に笑い声が響く。
私は顔が熱くなるのを誤魔化すように、残ったカレーをかき混ぜた。
全国へ向けた夏合宿。
厳しい練習ばかりだと思っていた。
でも。
こんな時間も、きっといつか思い出になる。
そう思いながら、私は笑い声の中へ戻っていった。




