誰よりも高く
二十三対二十五。
第二セット、青峰。
一瞬、何も聞こえなくなった。
あと少しだった。
あと一本で追いつけた。
それでも、最後の一本を取ったのは青峰だった。
守屋先輩は床に片膝をついたまま、落ちたボールを見つめている。
「くそ……。」
水谷先輩がすぐに近づき、その肩を叩いた。
「顔上げろ。」
守屋先輩がゆっくりと立ち上がる。
神谷先輩も全員を集めた。
「切り替え。」
悔しさが、全員の表情に滲んでいた。
「次で決まる。」
神谷先輩が続ける。
蓮先輩が顔を上げた。
「だったら、次を取るだけだ。」
水谷先輩が頷く。
「ああ。最後まで行くぞ。」
「はい!」
全員の声が重なる。
第一セットは聖明。
第二セットは青峰。
一対一。
全国へ進むチームは、次の二十五点で決まる。
監督がホワイトボードを置いた。
「ここまで来たら、技術だけじゃない。」
全員が監督を見る。
「最後に立っていた方が勝つ。」
「苦しくても繋げ。」
「疲れても跳べ。」
「一本も諦めるな。」
監督の視線が、一人ずつを捉える。
「最終セット。」
少し間を置く。
「取りにいくぞ。」
「はい!」
主審の笛が鳴る。
選手たちが再びコートへ向かう。
神谷先輩。
杉山先輩。
水谷先輩。
蓮先輩。
小林先輩。
岡田先輩。
守屋先輩。
三年生の夏が続くか。
ここで終わるか。
私は記録用紙を開き、強くペンを握った。
最終セット。
私たちの夏を懸けた、最後の戦いが始まった。
序盤から、どちらも譲らなかった。
三対三。
六対六。
九対九。
一本取れば、一本取り返される。
蓮先輩が決めれば、青峰のエースが決め返す。
守屋先輩が拾えば、向こうのリベロも拾う。
神谷先輩が中央を使えば、青峰のセッターもすぐに中央を使った。
まるで互いの意地をぶつけ合うように、点数だけが少しずつ積み重なっていく。
十二対十二。
青峰の強烈なサーブが水谷先輩へ飛ぶ。
「オーライ!」
少し乱れた。
神谷先輩が走り、片手でボールを押し上げる。
蓮先輩へ二枚。
高い壁。
蓮先輩は強く振り抜かず、ブロックの指先を狙った。
ボールが外へ弾かれる。
十三対十二。
「ナイス!」
しかし、青峰もすぐに取り返す。
十三対十三。
十五対十五。
十七対十七。
長い試合の疲れが、少しずつ全員の身体に表れ始めていた。
肩で息をする。
膝へ手をつく。
それでも、笛が鳴れば顔を上げる。
十八対十八。
次のサーバーは神谷先輩。
ボールを受け取った神谷先輩が、エンドラインへ向かう。
いつものように高くトスを上げるのだと思った。
けれど。
神谷先輩はボールを掌の上に乗せたまま、青峰のコートを見つめていた。
その構えに、私は息を呑む。
覚えている。
長野での合宿。
誰もいなくなった夜の体育館。
神谷先輩に言われるまま、私が何度も打ったサーブ。
強く打たなくてもいい。
ネットの手前を狙え。
相手を前へ動かせ。
あの時のサーブ。
笛が鳴る。
神谷先輩はほとんど助走を取らなかった。
ボールを低く上げ、力を抜いて打つ。
ふわりと浮いたボールが、ネットを越えた瞬間に失速した。
青峰の選手たちは、一歩後ろで構えていた。
「前!」
反応が遅れる。
リベロが飛び込む。
けれど、ボールは伸ばした腕の少し手前へ落ちた。
十九対十八。
一瞬遅れて、会場がどよめく。
「ナイスサーブ!」
守屋先輩が叫ぶ。
水谷先輩も驚いたように笑った。
「そこでそれ使うか。」
神谷先輩は何も答えなかった。
ただ、コートへ戻る前に一度だけこちらを見た。
目が合う。
ほんの一瞬。
それだけだった。
でも。
あの夜のことを覚えているのだと、すぐに分かった。
胸の奥が熱くなる。
私は記録用紙へ目を落とし、震えそうになる手で数字を書き込んだ。
十九対十八。
けれど、そこから青峰も崩れなかった。
十九対十九。
二十対十九。
二十対二十。
二十一対二十。
二十一対二十一。
二十二対二十一。
二十二対二十二。
一球ごとに歓声が上がる。
一球ごとに、胸が締め付けられる。
二十三対二十三。
青峰のサーブが守屋先輩を襲う。
「オーライ!」
完璧に上がる。
神谷先輩がトスへ入る。
蓮先輩へ三枚。
その瞬間、背面へ上げた。
水谷先輩。
一枚。
強打ではなく、ブロックの後ろへ落とす。
青峰のリベロが床すれすれで拾った。
「まだ!」
ラリーが続く。
青峰のエースが打つ。
杉山先輩がワンタッチを取る。
守屋先輩が繋ぐ。
神谷先輩が走る。
今度は中央。
小林先輩が打ち切る。
ボールが相手ブロックの手を弾き、外へ落ちた。
二十四対二十三。
マッチポイント。
体育館中が沸き上がる。
「あと一本!」
ベンチから声が飛ぶ。
けれど。
青峰は終わらなかった。
次の一本。
相手エースが三枚のブロックを打ち抜く。
二十四対二十四。
デュース。
そこからは。
一本取っても、一本取り返された。
二十五対二十四。
二十五対二十五。
二十六対二十五。
二十六対二十六。
二十七対二十六。
二十七対二十七。
誰かが決めるたびに、会場が揺れた。
誰かが拾うたびに、歓声が重なった。
もう何本ラリーをしたのか分からない。
汗で床が濡れる。
息が上がる。
足が動かなくなる。
それでも、誰も止まらなかった。
二十八対二十八。
青峰のサーブ。
守屋先輩が崩される。
神谷先輩がコートの外まで走る。
片手で上げる。
蓮先輩が助走へ入る。
三枚。
それでも跳ぶ。
強く打ち抜いたボールを、青峰のリベロが拾う。
今度は相手の攻撃。
水谷先輩がワンタッチを取る。
岡田先輩が繋ぐ。
また神谷先輩。
また蓮先輩。
何度打っても、落ちない。
何度拾われても、諦めない。
最後は青峰のフェイント。
守屋先輩が前へ飛び込み、片手で上げた。
「ナイス!」
神谷先輩が追いつく。
トスは水谷先輩。
ブロックアウト。
二十九対二十八。
またマッチポイント。
けれど、青峰も取り返す。
二十九対二十九。
三十対二十九。
三十対三十。
スコアボードに並んだ数字を見て、会場がざわめいた。
誰も座っていない。
誰も声を止めない。
この一本が。
この一本だけが。
夏の続きを決める。
三十一対三十一。
青峰のサーブ。
ボールが鋭く水谷先輩へ飛ぶ。
「任せろ!」
水谷先輩が身体を入れる。
完璧なレシーブ。
神谷先輩がネット際へ入る。
青峰のブロックは蓮先輩へ寄った。
トスは中央。
杉山先輩。
速いクイック。
ブロックの間を抜け、床へ突き刺さる。
三十二対三十一。
聖明、マッチポイント。
「あと一本!」
水谷先輩が叫ぶ。
全員が中央へ集まる。
肩で息をしながら。
震える足で立ちながら。
それでも、全員が笑っていた。
「最後まで繋ぐぞ。」
水谷先輩が言う。
「一本。」
神谷先輩が続ける。
蓮先輩が静かに頷いた。
「来たら、決める。」
笛が鳴る。
杉山先輩のサーブ。
青峰のリベロが綺麗に上げる。
相手セッターが走る。
トスは左のエース。
「来る!」
水谷先輩と小林先輩が跳ぶ。
強烈なスパイク。
ブロックに当たり、コートの後方へ大きく弾かれる。
「守屋!」
守屋先輩が走る。
間に合わない。
そう思った。
それでも、守屋先輩は止まらなかった。
床へ身体を投げ出す。
伸ばした腕の先に、ボールが当たる。
高く。
ただ高く。
ボールが上がった。
「上がった!」
神谷先輩が全力で走る。
ネットから大きく離れている。
体勢も崩れている。
それでも、両手を上げた。
青峰のブロックが動く。
三枚。
全員が蓮先輩を見る。
神谷先輩も。
迷わなかった。
高いトスが、ライト側へ上がる。
「蓮!」
蓮先輩が助走へ入る。
一歩。
二歩。
強く床を蹴る。
あの日。
跳べなくなった足で。
怖くて止まってしまった足で。
もう一度。
誰よりも高く跳ぶ。
目の前には、青峰の三枚ブロック。
逃げる場所はない。
それでも、蓮先輩は腕を振り抜いた。
ドンッ!!
乾いた音が、体育館中へ響く。
ボールは三枚の指先よりも高い位置を抜けた。
青峰のコート奥。
ラインの内側へ、真っ直ぐ突き刺さる。
笛。
一瞬。
時間が止まった。
三十三対三十一。
試合終了。
聖明高校、優勝。
「よっしゃあああ!!」
守屋先輩の叫び声が響く。
水谷先輩が両手を上げる。
杉山先輩と小林先輩が蓮先輩へ飛びつく。
岡田先輩も、その輪の中へ駆け込んだ。
神谷先輩は、すぐに守屋先輩の元へ向かった。
床に倒れたままの守屋先輩へ手を差し出す。
「最後の一本。」
息を整えながら、神谷先輩が言う。
「あれがなきゃ、終わってた。」
守屋先輩は、その手を強く掴んだ。
「当たり前っす。」
立ち上がった瞬間、神谷先輩へ抱きつく。
「全国っすよ!」
「重い。」
そう言いながらも、神谷先輩は振りほどかなかった。
私は記録用紙を見つめていた。
最後の点数を書く。
三十三対三十一。
手が震えて、何度も数字が歪む。
歓声も。
泣き声も。
全部聞こえている。
それでも、最後まで書かなければいけない気がした。
「結衣。」
顔を上げる。
神谷先輩が目の前に立っていた。
「もう書き終わったか。」
「……はい。」
神谷先輩が少しだけ笑う。
「じゃあ。」
私の手から、そっとペンを取る。
「今だけは喜べ。」
その瞬間。
視界が滲んだ。
ずっと我慢していたものが、一気に溢れ出す。
「……勝った。」
声が震える。
「私たち、勝ったんですね。」
「ああ。」
神谷先輩が頷く。
「勝った。」
私は泣きながら笑った。
熱くて。
苦しくて。
どうしようもなく好きだった時間。
私たちの夏は。
まだ、終わらない。
終わらせない。




