攻防の火蓋
会場へ入ると、監督に案内されたコートの脇へ荷物を運んだ。
「ベンチはここだ。」
「はい!」
私は急いでバッグを開き、必要な物を取り出していく。
ドリンク。
タオル。
救急セット。
テーピング。
記録用紙。
ペン。
学校で何度も確認したはずなのに、並べ終えるまで胸の奥が落ち着かなかった。
隣のコートでは、すでに試合が行われている。
ボールが打たれるたびに歓声が上がり、笛の音が高い天井へ響いていた。
「結衣。」
顔を上げると、水谷先輩が立っていた。
背番号三のユニフォーム。
胸元には、キャプテンを示すマークが付いている。
「南陽、あっちでアップ始めてる。」
水谷先輩の視線を追う。
反対側のコート脇に、濃い色のユニフォームを着た選手たちが集まっていた。
その中央で、ひときわ大きな声を出している選手がいる。
「左のエースって、あの人ですか?」
「ああ。十一番。」
練習後に確認した資料と同じ背番号だった。
身長は蓮先輩ほど高くない。
けれど、助走から迷いなく腕を振り抜き、鋭いボールを打ち込んでいる。
「実際に見ると、結構速いですね。」
「高さより、打つ直前までコースが分かりにくい。」
水谷先輩が静かに言う。
「よく見といて。」
「はい。」
私は記録用紙の上部へ書き込んだ。
『南陽高校 十一番 左エース』
そのすぐ下へ、練習で確認した特徴を記す。
『苦しい場面でも打ち切る。クロスへの打ち分けに注意』
「聖明、アップ始めるぞ。」
監督の声に、選手たちが一斉に立ち上がった。
コートへ入った瞬間、周囲の視線が集まる。
「聖明だ。」
「新人戦優勝したところ。」
近くから聞こえた声に、胸が強く鳴った。
神谷先輩は気にする様子もなく、ボールを手に取る。
杉山先輩と小林先輩がネット際でジャンプを繰り返し、水谷先輩と岡田先輩がスパイクの助走を確認する。
守屋先輩は低い姿勢でレシーブを続けていた。
そして、蓮先輩。
背番号四が助走へ入る。
神谷先輩のトスが高く上がった。
踏み切る。
身体が、ネットの上へ大きく浮かぶ。
ドンッ。
放たれたボールが、相手コートの床へ叩きつけられた。
会場の音に埋もれないほど、重い音だった。
南陽の選手たちが、こちらを見る。
特に十一番の選手は、蓮先輩からしばらく目を離さなかった。
「見られてますね。」
私が呟くと、守屋先輩が隣へ来た。
「そりゃ見るでしょ。」
額の汗をタオルで拭きながら、蓮先輩を見る。
「あんなの目の前で打たれたら。」
守屋先輩は一度息を吐く。
「でも、向こうも絶対強い。」
いつもの軽い声ではなかった。
「油断したら、一瞬で持ってかれる。」
「はい。」
「まあ。」
守屋先輩は私を見ると、いつものように笑った。
「持ってかせないけど。」
「頼もしいです。」
「でしょ?」
「守屋、アップ戻れ。」
神谷先輩の声が飛ぶ。
「はい!」
守屋先輩は慌ててコートへ戻っていった。
公式練習が終わり、選手たちがベンチへ戻ってくる。
私は一人ずつタオルとドリンクを渡した。
「蓮先輩。」
「ありがと。」
蓮先輩はドリンクを受け取ると、反対側のコートを見た。
「十一番、やっぱ上手いな。」
「見てたんですか?」
「そりゃな。」
「クロスへの打ち分けが多いです。」
私が記録用紙を見せると、蓮先輩は少しだけ目を細めた。
「ちゃんと見てるじゃん。」
「監督に言われましたから。」
「俺との約束もだろ。」
あの日の帰り道を思い出す。
『ちゃんと見てやって。今の俺を』
「はい。」
「それもです。」
蓮先輩は小さく笑うと、ドリンクを置いた。
「じゃあ今日も頼む。」
「任せてください。」
審判から集合の声が掛かる。
水谷先輩と南陽のキャプテンが、ネットの前へ向かった。
コイントスを終えると、二人は短く握手を交わす。
水谷先輩がベンチへ戻ってきた。
「こっちサーブ。」
監督が頷く。
「最初から仕掛けるぞ。」
「はい!」
スターティングメンバーがコートへ入る。
神谷先輩。
杉山先輩。
水谷先輩。
蓮先輩。
小林先輩。
岡田先輩。
そして、ローテーションに合わせて守屋先輩がリベロとして入る。
私はベンチの端で、震えそうになる手を握り締めた。
目の前に、背番号が並ぶ。
一番。
二番。
三番。
四番。
五番。
六番。
七番。
学校の体育館で何度も見てきた先輩たちなのに、今日は別人のように見えた。
「整列!」
両チームがエンドラインへ並ぶ。
「お願いします!」
選手たちの声が、コートに響いた。
いよいよ始まる。
全員が配置につく。
最初のサーバーは、神谷先輩。
ボールを受け取ると、エンドラインの後ろへ下がった。
体育館の音が、遠くなったように感じる。
神谷先輩がボールを一度床へ突く。
高くトスを上げる。
助走。
踏み切り。
乾いた音が響いた。
ボールは鋭く伸び、南陽のコートへ飛んでいく。
相手のレシーブが大きく乱れた。
「チャンス!」
守屋先輩の声が響く。
返ってきたボールを、水谷先輩が受ける。
神谷先輩がトスを上げた。
蓮先輩が踏み切る。
二枚のブロックが付く。
それでも、蓮先輩の腕は迷いなく振り抜かれた。
ボールがブロックの上を抜け、コートの奥へ突き刺さる。
「よし!」
ベンチから声が上がった。
一点目。
最初の一点は、聖明だった。
私は記録用紙へ丸を付ける。
けれど、そこから南陽の流れが始まった。
次のサーブ。
神谷先輩のボールは、わずかにエンドラインを越えた。
一対一。
南陽のサーブ。
鋭いボールが岡田先輩の前へ落ちる。
レシーブがネットから離れた。
神谷先輩が走り込み、片手でトスを上げる。
蓮先輩が後衛から跳ぶ。
けれど、三枚のブロックが揃っていた。
弾かれたボールが床へ落ちる。
一対二。
次のサーブも、レシーブが乱れた。
返すだけになったボールを、南陽が繋ぐ。
セッターが左へ大きくトスを上げる。
十一番。
助走から一気に踏み切る。
守屋先輩がクロスへ入る。
けれど、ボールはその手の横を抜け、床へ突き刺さった。
一対三。
会場の空気が一気に南陽へ傾く。
「切り替え!」
水谷先輩が声を上げる。
次のサーブ。
今度は守屋先輩が受けた。
けれど、ボールはネット際へ流れる。
神谷先輩が押し込もうとした瞬間、南陽のブロックが先に触れた。
一対四。
笛が鳴る。
監督がタイムアウトを取った。
選手たちがベンチへ戻ってくる。
「落ち着け。」
監督の声は変わらなかった。
「相手の勢いに付き合うな。」
全員が息を整えながら監督を見る。
「レシーブを返そうとしすぎるな。まず上へ上げろ。」
「はい。」
私は記録用紙へ目を落とす。
南陽の十一番が決めた一本。
資料に書いた通り、クロスだった。
その前の練習でも。
アップで打っていたボールも。
苦しい場面ほど、深いクロスへ振り切っている。
「あの。」
声を出すと、監督がこちらを見た。
「何だ。」
「十一番なんですけど。」
私は記録用紙を監督へ見せる。
「レシーブが乱れた時も、さっきも、クロスへ打ってます。」
守屋先輩も用紙を覗き込む。
「確かに。」
「アップでも、苦しい体勢からはほとんどクロスでした。」
監督は一度コートを見る。
「守屋。」
「はい。」
「十一番が左から打つ時、一歩クロスへ寄れ。」
「分かりました。」
「ブロックはストレートを締めろ。」
杉山先輩と水谷先輩が頷く。
「神谷。」
「はい。」
「最初から蓮に集めるな。」
神谷先輩は短く答えた。
「分かってます。」
監督が全員を見渡す。
「一本で切れ。」
「はい!」
選手たちがコートへ戻る。
神谷先輩が配置につきながら声を掛けた。
「一本で切る。」
全員の視線が神谷先輩へ向く。
「焦る点差じゃない。」
水谷先輩が頷く。
「まず一本。」
南陽のサーブ。
ボールは再び守屋先輩を狙う。
「オーライ!」
守屋先輩が正面で受けた。
今度は綺麗に、神谷先輩の頭上へ返る。
南陽のブロックが蓮先輩の方へ寄る。
神谷先輩は、振り向きもせずに真ん中へトスを上げた。
杉山先輩。
短い助走から跳び上がり、相手ブロックが揃う前にボールを叩き込む。
二対四。
「よし!」
ベンチから声が上がる。
杉山先輩が拳を握り、神谷先輩と短く目を合わせた。
次のサーバーは杉山先輩。
狙った場所へ入ったサーブを、南陽が繋ぐ。
再び十一番へトスが上がる。
水谷先輩と杉山先輩の二枚が、ストレートを塞ぐ。
十一番の腕が振り抜かれる。
クロス。
「守屋!」
神谷先輩の声と同時に、守屋先輩が床へ飛び込んだ。
ボールが腕に当たり、高く上がる。
「ナイスレシーブ!」
私も思わず声を上げた。
神谷先輩がボールの下へ入る。
相手のブロックが、また蓮先輩へ二枚付く。
トスは反対側。
水谷先輩が一枚のブロックを見て、指先を狙う。
ボールがブロックに触れ、コートの外へ弾かれた。
三対四。
守屋先輩が立ち上がりながら、こちらを見る。
目が合った。
守屋先輩が小さく親指を立てる。
私も反射的に頷いた。
そこから、少しずつ流れが変わった。
神谷先輩は蓮先輩だけに集めず、杉山先輩と小林先輩のクイックを使う。
南陽のブロックが中央を意識し始めると、水谷先輩と岡田先輩がサイドから決める。
そして、ブロックが分かれた瞬間。
神谷先輩の高いトスが、蓮先輩へ上がった。
助走。
踏み切る。
一枚になったブロックの上から、蓮先輩が叩き込む。
八対六。
初めて聖明がリードを奪った。
「よし!」
蓮先輩が声を上げる。
水谷先輩が背中を叩き、守屋先輩がその周りを走る。
「来た来た!」
「まだ序盤だ。」
神谷先輩はそう言いながらも、蓮先輩へ手を差し出した。
二人の手が短く触れる。
私は記録を取りながら、胸の奥で息を吐いた。
最初の四点が、ずっと遠い出来事のように感じる。
けれど、南陽も簡単には崩れなかった。
十一番を中心に点を重ね、十二対十二。
十五対十五。
点を取っては取り返す展開が続く。
「ワンタッチ!」
水谷先輩の声。
守屋先輩がボールを追う。
ベンチぎりぎりで腕を伸ばし、片手で繋いだ。
「上がった!」
神谷先輩が走る。
ネットから大きく離れた位置で、身体をひねった。
そこから上げたトスは、迷いなくライト側へ向かう。
蓮先輩が走り込む。
ブロックは二枚。
空中で一瞬、時間が止まったように見えた。
蓮先輩は正面へ打ち込まず、ブロックの外側を狙った。
ボールが指先に触れ、客席側へ飛んでいく。
十六対十五。
「ナイス!」
水谷先輩が叫ぶ。
蓮先輩は着地すると、すぐに次の配置へ戻った。
最後まで。
学校で監督に言われた言葉が、頭をよぎる。
蓮先輩の動きに、迷いはなかった。
終盤。
二十対十八。
神谷先輩のサーブが、相手コートの奥へ突き刺さる。
サービスエース。
二十一対十八。
南陽がタイムアウトを取る。
選手たちがベンチへ戻ってきた。
「あと四点。」
監督が言う。
「点差を見るな。一本ずつ取れ。」
「はい。」
守屋先輩がタオルを受け取る。
「結衣。」
「はい?」
「最初のやつ、助かった。」
十一番のクロスのことだと、すぐに分かった。
「守屋先輩が拾ったからです。」
「でも、気づいたのは結衣。」
守屋先輩は笑う。
「ちゃんとチームの一員してるじゃん。」
胸の奥が熱くなる。
「今さらですか?」
私が返すと、守屋先輩は少し驚いたあと、声を上げて笑った。
「言うようになったなぁ。」
「守屋、行くぞ。」
水谷先輩に呼ばれ、守屋先輩が立ち上がる。
「はい!」
コートへ戻る直前、守屋先輩がもう一度こちらを見る。
「あと四本、全部上げるから。」
「はい。」
「お願いします。」
試合が再開する。
南陽も粘り、二十二対二十まで追い上げてきた。
十一番のスパイクが、またクロスへ飛ぶ。
守屋先輩が正面で受ける。
ボールは綺麗に上がった。
神谷先輩がネット際へ入る。
相手のミドルが蓮先輩を警戒し、ライト側へ寄る。
その瞬間。
神谷先輩は背後へ素早くトスを送った。
岡田先輩が助走から跳ぶ。
ブロックの間を抜き、ボールを床へ落とした。
二十三対二十。
次のラリー。
南陽の攻撃を杉山先輩がブロックする。
二十四対二十。
セットポイント。
会場の音が大きくなる。
私はペンを握ったまま、コートを見つめた。
神谷先輩がボールを受け取る。
最初の一点と同じ。
エンドラインの後ろ。
高いトス。
助走。
踏み切り。
打ち込まれたサーブを、南陽が何とか上げる。
セッターが左へ走る。
最後も、十一番。
トスが高く上がる。
水谷先輩と杉山先輩が、ストレートを塞いだ。
十一番の腕が振り抜かれる。
クロス。
守屋先輩が待っていた。
「オーライ!」
ボールが、神谷先輩の頭上へ返る。
神谷先輩は一瞬、コート全体を見た。
そして。
高く、美しいトスがライト側へ上がる。
蓮先輩が助走へ入る。
一歩。
二歩。
三歩。
強く踏み切る。
背番号四が、ブロックの上へ浮かんだ。
ドンッ。
放たれたボールが、南陽のコートへ突き刺さる。
笛が鳴った。
二十五対二十。
第一セット、聖明。
一瞬遅れて、歓声が響く。
「よし!」
水谷先輩が拳を握る。
守屋先輩が蓮先輩へ飛びつき、杉山先輩と岡田先輩がその周りへ集まった。
神谷先輩は大きく喜ぶことなく、全員へ視線を向ける。
「まだ一本。」
その言葉に、全員の表情が引き締まった。
セットを取った。
それでも、誰も喜びすぎてはいなかった。
私は記録用紙の上に、大きく線を引く。
『第一セット 25―20』
初めて公式戦で記録した、一つのセット。
けれど、まだ終わっていない。
まだ、一セット。
私たちの夏は、始まったばかりだった。




